3.似たもの夫婦 ②

◇◇◇◇


「亜子ちゃんたいへんだ!」



 鷹雪くんの大きな声に、ハンガーにかけていたお洗濯ものを落としそうになってしまった。普段は大きな声を出したりしないのに。どうしたんだろう。

 声の方へ走っていくと、飼い猫のお世話をしていた鷹雪くん。

 猫用のおトイレの前で立っている。

 おトイレを失敗しちゃったのかな?



「どうしたの?」



 広い背中に声をかければ、青い顔をして振り返る。

 この世の終わりみたいな顔をしている。

 そんな表情に、ゴクリとのどを鳴らしてしまう。

 そんなに重大事件が……



「トイレの砂がなくなりそう」

「へっ」



 それだけ?

 首をかしげていると、鷹雪くんも同じように首をかしげる。「大変でしょ?」と可愛らしく言った。



「ま、まあ大変ですけど……」



 お砂がなくなっちゃったら、この子たちのおトイレが困っちゃうもんね。

 おトイレを済ませたらしい鷹丸たかまるを見つめると、「にゃう!」と挨拶をしてくれる。私も「にゃっ!」と返した。

 それを見ていた鷹雪くんが笑っている。



「亜子ちゃんかわいー」

「にゃうぅ……」



 またやってしまった。

 鷹雪くんの前ではやらないと決めていたのに(こうやってからかわれるから)。

 この子たちに挨拶をされると、ついつい無意識で返してしまう。



「俺にも『にゃっ!』ってやってよー」

「やだもん。たーくんと小夏ちゃんにしかやらないもん」

「ぶー」



 いじけている彼を無視して、私はお洗濯もののもとに戻った。まだ家事の途中だ。



「あとでお砂買ってくるからね」



 足元を通り抜けていった鷹丸に声をかければ、言葉が通じたのか「なーん」とお返事をしてくれる。

 それがかわいくて、鷹丸をもふもふと撫でた。

 ごろりと寝転がって、おなかを見せてくれる。しっぽをふさふさと振っている。

 誘い上手なんだから。

 おなかを夢中になってぐにぐにと撫でていると、鷹雪くんに見つかってしまった。



「鷹丸いいなあ」

「おなかをぐにぐにしてほしいの?」

「うん」



 うん、って。

 甘えんぼさんなんだから。

 試しに鷹雪くんのおなかに触れてみれば、ぐにぐにするお肉なんてない。つかめるお肉もごくわずか。

 たくましく割れた腹筋しかない。

 むう、と顔を見上げると楽しそうな笑顔。


「ぐにぐにできないよ」

「ははは!亜子ちゃんの方がぐにぐにできそうだね」


 試しに、なんてにやりと笑って、おなかを掴まれてしまった。逃げ出すことなんてできない。

 後ろから抱きつかれるような形で、鷹雪くんの腕がおなかに回る。

 いやらしい手つきでおなかを撫でたり、さすったり。

 ――これは……ぐにぐにじゃない……

 なんて反論もできなくて、されるがまま。

 これじゃあ、まるで……



「亜子ちゃんのおなか、気持ちいいっすね」

「よくないです……」



 と呟いてしまえば私の負けだ。

 鷹雪くんの手が止まってしまった。

 催促のつもりで振り返れば、「ん?」と意地悪な顔をする。

「鷹丸が見てるよ」とベランダのすみで丸くなっていた鷹丸を指さす鷹雪くん。



「続きはお買いもののあとだね」



 と囁かれて、頭をぽんぽん。そうだった。

 猫砂を買いに行かなくては。

 お洗濯ものを干すのだって途中だ。



「亜子ちゃん、エッチなんですから」

「ち、ちがうもん……元はと言えば鷹雪くんが……」

「あ!また俺のせいにする」

「そうだもん。今日は鷹雪くんのせいです」



 ぷん、と怒ったふりをして、洗濯カゴの中から1枚取り出す。鷹雪くんのパンツだった。それを見てまた彼はにやにやと笑っている。

 私はまたほっぺを膨らませるしかない。

 ぱんつくらい、別にどうもしないもん。もう慣れました。毎日のように洗って干して畳んでるんだから、なにも感じないよ。



「お洗濯終らせて、買い物行って、それからどうしようねえ」

「どうもしませんけど」



 ぴしゃりと言うと、鷹雪くんは「そー?」とつまらなそうにTシャツをハンガーにかけていく。

 毎回毎回、あなたの思いどおりになんてならないんだから。私だって、たまには反抗するんだからね。そういうところを見せていかないと、ずるずると彼のペースにはまってしまいそうだから。



「亜子ちゃん」



 と呼ばれるたび、まだどきどきする。

 あなたの行動は予測がつかないから。

 なにをしてくれるの?

 呼ぶ方へ振り向けば、近づいてきたあなたの香り。ほっぺに柔らかい感触。

「へへっ」と子どものように笑うあなた。

 かわいい人なんだから。

 仕返しに、首もとにあるほくろへキスを(ほっぺには、背伸びをしないと届かないから)。

 そうすると、驚いたような顔をしてくれる。

 きれいな緑色の瞳がまんまるだ。



「俺はいつでも待ってるからね」



 と囁いて、私の耳元をくすぐるいじわるな手。

 顔を見つめればいつものきれいな顔。黙ってさえいれば、かっこいい人なのに。


 私は気づかれないように小さくうなずいて、お洗濯ものを干すことに専念した。

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