第41話十年前❽

 その後も休み時間になるたび、私の周りは生徒たちで溢れんばかりの状況が続いた。正直なところ、話していることは半分も理解できていなかったが、話しかけてくれる生徒たちは、満足そうな表情を浮かべているように感じられたため、問題は無かったのでしょう。

 興味を示してくれるのは、嬉しいことですが、会話ができない中で過ごす時間は、とても精神的に辛い部分がありますね…。

 そして六度の授業を終え、ようやく一日が終わろうとしていた。言葉の壁を感じつつも、過ごしきった一日は、一言では表現しづらいほどに、衝撃的なものでした。ただ、一つ言えることは今自分が、とてつもなく疲労しているということです。

 これ以上付き合うのは、体力的に難ありと判断したため、早めに帰り支度を終え、手を振ってクラスメートたちにお別れした。教室を後にし廊下に出ると、セミアがゆっくりと歩み寄ってきた。

「お嬢様、お疲れ様でした。では、共にお屋敷へ戻りましょう」

「あなたもお疲れ様。私も早く休みたい気分だわ」

 セミアが、早々に帰宅へと誘導したこと自体には、多少疑念を抱いたけれど、私も疲労を感じていたため、セミアに従うことにした。会話を終え、二人で校舎を出るために玄関を目指して歩き出すと、呼び止められてしまった。

「アンリサイドさん!」

 後方から呼び止め、駆け寄ってきたのは、クラスの担任である女性だった。

「どうかされましたか?」

「すみません。ご用意していただいた書類にいくつか変更点があったみたいでして、お時間よろしければ今から職員室に来てもらえませんか?」

「わかりました。行って解決できるというのなら、私たちは問題はありません。お嬢様、少々お時間いただいてもよろしいですか?」

「それくらいなら、大丈夫よ」

 担任が言うには、どうやら書類に不備があったらしい。職員室の場所は私もわかっていたため、一度一階に向かおうとしたが、その行動を見た担任が、経路の提案をした。

「今の時間だと、一階に生徒たちが集中してるので、こちらの渡り廊下を通った方が早く着きますよ」

 言い終えると、自分で指差した方へと、歩き始めた。私は、セミアに何を言ったのか尋ねて、内容を理解した。この学校は、校舎が二棟に分かれているため、渡り廊下と呼ばれる廊下を通ることによって二階や、三階でも、もう一つの校舎に移動できるらしい。

 私たちは、担任の先導に従い、ペース良く職員室へと向かっていく。そんな中、トイレを過ぎたところにある一室の前を通った時に、私の足は止まった。それに気づいたのは、私の後方を歩いていたセミアだった。

「どうかなされましたか?」

「セミアさん。本がたくさんあるこの部屋は、もしかして図書室ですか?」

 私が問うと、セミアは部屋の入り口上部に設置されている札を見上げた。

「そのようですね。ここは図書館で間違いありません。しかし、それがどうかなされたのですか?」

「大したことじゃないんだけど、少し興味があるの。行ってみてもいいかしら?」

「…、申し訳ありません。私の目の届くところにいていただく必要があるため、そちらの要望に関しましては、許可致しかねます」

「そ、そう、仕方がないわね。わかりましたわ」

 少し悩んだ素振りを見せたセミアだったが、図書室へは向かわせてくれなかった。担任は、二人で会話している私たちに気づいて、図書室を越えた先にある階段の前で待機してくれていた。それに気づいて、私たちも図書室の前を通過して、職員室へと向かうことにした。

 しかし、私は図書室を諦めきれないでいた。明日は、必ず行こうと決意しつつ、名残惜しく振り向くと、図書室から本を持ったままトイレへと姿を消した女子生徒を見つけた。

 別にそれを見つけたからといって、何かしないといけないわけではなかったけれど、感覚的に、追いかけた方がいい気がした。

「セミアさん。お手洗いに行きたいのだけど、少しだけだから待っていただけませんでしょうか?」

「お手洗いですか?それでしたら、問題はありません。教師の方には、私からお話しておくので、先にお向かいください」

「ありがとう」

 そう言って、私はトイレへと向かった。走ることはしませんでしたが、歩幅を広め、競歩のような速度で来た道を戻っていく。

 トイレに辿り着くと、そこに人の姿は無く、個室が一つ締め切られていた。さっきの女子生徒はここにいるのでしょう。私は、接触を図るための方法を考えることにしました。

 見たところ、ここのトイレは個室の上部に障害物が存在しないため、あそこから声を掛ければ会話自体は問題なさそうだ。しかし、あまり大きな声を出すと、後から来たセミアに聞こえてしまう恐れがあるため、そこは慎重に行動しなくてはならない。

 危険はあるものの、時間もそれほどあるわけではないため、私は女子生徒のいる個室の隣へ入室し、足のかけられるところを探して、なんとか個室の上部から顔を出すことができた。この行いは、少し忍びないですが、手段や状況を選んでいられないことを理解していただきたいですわ。理解してもらえるわけが無いですが…。

 覗き込んだ個室には、案の定女子生徒がいた。しかし、彼女には衣類の着崩れが全く無く、便座に座ったまま、本を広げていた。なぜこんなところで読んでいるのか気になりましたが、やはりそんなことを気にしている余裕はありません。

「あの、すみません」

 彼女の頭上から、小声で声を掛けたが、彼女は反応を見せてくれなかった。何度か繰り返してみたものの、やはり反応は無かった。声も少しづつ大きくしていたつもりだったが、声は届いていないみたいでした。

 時間的にも余裕が無いため、私はノートの一ページを破り、メッセージを書いて彼女に届けることにした。内容は端的に、『わたしのなぞをといてほしい』と記した。ノートのページを折り畳むと、再び個室の上段へと登った。彼女を見下ろすのも二度目になるが、変わらず本に夢中の様子だった。ノートを破る音とか、よじ登る音とか全部聞こえていなかったのでしょうか…。

 とりあえず、私は折り畳んだメッセージを彼女の頭目掛けて投げた。すると、狙い通り彼女の頭にぶつかった後、床に落ちた。そして、ようやく彼女が反応を示した。やはり、今まで私のことには気づいていなかったようだ。

 その様子を見て、私は声を掛けた。彼女は見上げるようにして、私と目を合わせると、短い悲鳴のようなものを漏らした。

 私は必死で声を出さないように、人差し指を口元に運んだり、拝むように手を合わせてお願いした。その時、トイレの中へと入ってくる足音が近づいてきた。私は、足元に気をつけながら、すぐに床へと降りた。

「何やら、声が聞こえましたが、大丈夫なのですか?」

 この声は、間違いなくセミアだ。こうなってしまっては、よじ登ることも会話をすることもできない。どうすれば良いのかと考えている時、足元にも隣接する個室へと繋がる僅かな隙間があることに気づいた。私は、彼女が気づいてくれることに賭けて、五枚のカードを撮影した写真を送りつけた。

 写真は、また撮影すればなんとかなる上、そもそも現物が手元にある。今は、これが私にできる最大限の方法であると信じることにしましょう。

 そこまでやって、最後に演出として洗浄を行い、個室から出た。

「ごめんなさい、セミアさん。私は、大丈夫ですわ」

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