第6話 意識③


と言われてイヴに頼まれたのが、地下にあった発電機の燃料調達であった。

どうやらこの国立人間拡張研究所は人間の身体や脳にメスを入れることもあるため、ある種の病院としての機能もあり、外部から完全に遮断されて電気・ガス・水道が稼働可能で、『忘却の霧』が充満した現在では隔離シェルターのように使用されているとのことだった。


そして『霧』が世界に充満してから約半年が経過し、燃料を節約しつつ発電機を回してきたが、何故かそもそも最初の燃料の残量が少なく、もうすぐ底を突いてしまうとのことだった。

「そんな緊急時の発電機、使う機会なんてどうせ来ないだろ、とタカを括って燃料補充を怠っていたのでしょう」とのイヴの言だった。

イヴは建物のシステムと一体的に機能する基幹系に属し、システムから独立して動くことができないため、建物から指令を受けられない外では活動出来ず、どうしようもなくなったために『霧』発生直後から入口のランプを光らせていたらしい。


ハナはしばしば自分のスーパーカブの燃料調達のために、そこら辺に打ち捨てられた車からガソリンをポンプで汲み上げて、それを燃料タンクに入れるという作業を行っていたため、作業自体は手慣れたものだった。

「……、でも量がなぁ……面倒だ……」

ぶつぶつ言いながら研究所から借りてきた大きなタンクにガソリンを入れ続ける。

「まぁまぁ、後でいいものをくれるって言ってたしさ!」とナギは明るく慰めてくれた。

その間もハナは手を休めずに、次々と研究所近くの路上や駐車場に停まっている車からガソリンを拝借していく。

「でも、良いものって何だろう……。医薬品とかだったら確かに嬉しいけど、イヴの言い方だとそれ以外にも何かありそうだったし……」

「『皆が欲しがるものです』って言いつつ、内容は『私の口からは説明できません』って、一体何だろうねぇ……」

ナギは内容に余り興味がないのか、非常に眠そうにしていた。

かなり夜も遅い時間になってしまっていた。


ようやくタンクいっぱいにガソリンを入れ終わり、研究所に戻ると、事前に教えてもらっていた研究所の外にある燃料注水口からガソリンを注ぎ込む。

イヴ曰く『燃えれば何でも大丈夫』という高性能な発電機だそうだが、やはり一般的なガソリンのような液体の方が、燃料効率が良いとのことで、今回はガソリンをお願いされたのだった。

タンク内のガソリンを入れ終わると、外壁に設置されたスピーカーからイヴの声がした。

『ありがとうございます。満タンになりましたので、研究所内に戻ってきてください』


研究所内にハナとナギが戻ると、研究所入口近くの待合スペースのようなところにイヴが座っていた。

「ありがとうございました。これで燃料に関してはあと2年は持つかと思います」

「どういたしまして。ちなみにイヴはここで発電機を動かして何をしているの? さっき入った時も、ぱっと見ではイヴ以外には誰もいないようだったけど……」

ハナは右肩で眠ってしまったナギを待合スペースの机に乗せつつ、イヴに尋ねた。

「実はですね、この建物には20人以上の研究者がいるのですよ……」

とイヴは『忘却の霧』が充満した日のことを語り始め、教えてくれた。


今から約半年前、『忘却の霧』が世界中の平野部に満ちたその日、ここも例外ではなく『霧』の中に沈むこととなった。

錯綜する情報、どうやら人体に有毒らしいという噂、回線が逼迫してほとんど閲覧出来なくなったウェブサイト、とにかく慌てずに行動をしてくださいと繰り返すばかりで、何も有益なことは流してくれないテレビ、全く繋がらない電話、どんどん少なくなっていく情報取得手段。

この研究所は研究成果を患者に還流することも目的に病院機能も有しているため、ある程度の災害や戦争にも耐えられるように設計建築されており、その一環として、毒ガスにも耐えられる構造を有していた。

そのため、『霧』が人体にとって有害であると判明した時点で、まずは研究所全体として外部から隔離した上で、研究所を隔離シェルターとして活用してその中で生活をしていくこととした。

その時点で既に約20人ほどの研究者が研究所内にいた。


仕方なく研究所内で生活を余儀なくされた研究者らではあったが、次に問題となったのは食糧であった。

水については地下水を汲み上げられるため豊富にあったが、食糧については燃料と同じく、「まさか本当にシェルターとして使われる機会が巡ってくるとは」ということで、節約して1週間程度しか無かった。

それがシェルターのタイムリミットであった。


1日経ち、2日経ち、3日経った。

外部からの情報をどうにか手に入れられないか、ラジオや無線通信など、様々な手段を試みたが全く成果は無かった。何も情報は得られなかった。

また『霧』が晴れないかとも願ったが、その願いが叶うことも無かった。


4日経ち、5日経ち、6日経った。

遂に食糧が底を突くのが現実的になり、明日以降どうするのか各研究者で決めることとなった。

情報を何も得られなかった中で、有毒の『霧』に包まれながら決死の覚悟で霧が無いところを目指してシェルターを出るのか、研究所内で餓えに飲み込まれながら死んでゆくのか、或いは……。


「そうして提示された3つ目の選択肢が、拡張意識の中で個々人が各自バラバラに生活していくというものでした。つまり、現実の感覚を全てシャットアウトし、五感を電気的・疑似的に刺激し、それに対する脳の反応を読み取ることで、各人の持つ記憶通りの仮想的な『現実』の世界で、まさに現実同様に各自が擬似的に生活をしていくというものです」

とイヴは言った。

「その『現実』の世界は、真にその人が考えることは全て叶うことになります。脳の反応を読み取った上で、その通りに仮想現実が構築されることになりますので、ある意味で当該個人にとって理想的なリアル世界と言えます。会話をしている相手の反応も、自分の脳の反応を読み取った結果の出力ですから、こちらの想定する返答が想定通りに返ってくることになります。

この方法を使うことで、現実の身体の感覚は無くなりますから、脳が稼働する必要最低限の栄養さえ確保できていれば問題ありません。つまり食事や食糧は不要となり、点滴だけで生き延びられるため、色々な節約と代用を駆使すればかなりの日数を生き長らえさせることが可能です。現状の想定では、今後あと1年弱は維持可能です。

この案が提示されたとき、この技術は完成したばかりで短期的な稼働しか試されておらず、反発した研究者や無理だと言う研究者もいましたが、結局のところ確実に生き延びるにはこれしか方法が無かったため、最終的には全研究者がこの方法を採ることにいたしました。そうして、『霧』が晴れるか、なんらかの情報により研究所の外で生き延びる方策が見つかった段階で、改めて現実世界に戻ることになりました。

私はこの研究所で開発されたシステム一体型の基幹的汎用ロボットなのですが、彼らの点滴袋を取りかえたり、ここの管理・運営・維持を任されており、それと共に、研究者がそれぞれ希望するタイミングで現実に戻る作業を任されております。

それで、ハナ様。現在の外の状況を教えていただけますか? 全く外部の情報を得られず、誰か来ないものかと半年間外の赤い光を点けていたのですが、ハナ様が初めてなのです……」


ハナはこの研究所の『忘却の霧』の中で生き延びる方策に非常に驚いた。

そういった仮想現実のような、人の意識世界の中の『現実』世界に入れるという技術が完成していたとは全く考えもつかなかった。


「なるほど……この研究所の現況はわかりました。……それでは、現在の状況を教えますので、その前にちょっとこの研究所内部を見せてもらっても良いですか?」

ハナは折角なので興味本位にこう提案をした

イヴは「良いですよ、行きましょう」と言ってくれた。

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