第6話 意識①
ハナは『忘却の霧』の中、廃墟と化した市街地を群青色のスーパーカブでゆっくりと走っていた。
その街は地方の最大人口都市のような風情で、かつての駅前にはビルも立ち並び、人の往来がそれなりに多かったことが駅前の歩道の幅で推測された。
ただ、今では常に『霧』が出ているために、歩道のタイルには目地から溢れかえるように苔が生しており、またタイルのかつてのオレンジ色を覆い隠すようにカビが侵食しており、さらにところどころに普通都会では見られないような大きなベージュ色のキノコが生え揃っていた。
まさに新たな生態系が徐々にこの駅前広場にて誕生しているようだった。
ビルも遠目にはさほど影響を受けていないようにも見えるが、近付いて見てみると窓ガラスは割れ、コンクリートは剥げ落ち、1階部分から徐々にツタのような植物の侵入を許しているようだった。
――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、だったっけ。
『霧』の発生により一瞬にして人影が平野部から消え失せ、たった半年でこのような状況になっていることに、改めて人類や社会の脆弱性を感じるハナであった。
今日は特に目的地もなければ依頼もなかった。
また特に屑拾いに精を出す気分にもなれなかった。
ハナは何となく駅前の昔の栄華と現在の廃墟を重ねて追想してしまい、この『忘却の霧』の世界に深く静かに沈殿していきたい感傷的な気分になっていた。
――そういう日もあってもいいでしょ。
「ナギ、今日は適当に屑拾いでもして、そのままこの辺の廃屋で寝ようか」
『オッケー、ハナ』
上空で周囲を警戒してくれているナギから明るい返答が来た。
ナギに上空からの警戒を任せつつ、スーパーカブでゆっくりと街中を観光気分になりつつ走っていた。
道に面した商店にはショーウィンドウや褪色した看板が設置されており、靴屋、電気屋、カフェ、雑貨屋、その他いろいろなお店があった。
どのお店も陳列棚や看板等かつての賑わいを随所に垣間見ることも出来たが、当然のことながら、どの店にも人影はなく、電気もついておらず、ガラスは割れており、飾られていたであろう商品がバラバラと散乱していた。
既に
「お、ナギ、ペットショップがあるよ。何か欲しいものある?」
『いやー、特にないかなぁ。餌も自分で取った方が美味いし……』
「まぁそりゃそうか」
『そう言えば、もっと寒くなる時に備えて、厚手のライダースジャケットが欲しいみたいなことを言ってなかったっけ? この辺にそういうお店は無いの?』
とナギは上空から地上の様子を想像しつつ、話を続ける。
「うーん、あまり見つからないかなぁ。商店街というよりも、広い国道沿いとかにあるかな、多分。バイクや車を駐車できる広い駐車場が必要だからね」
そんな会話をしつつ、大通りの末端にまで来ると、急に広場のような視界が開けた場所に出てきた。
どうやら付近の立看板の地図を読む限り、学校や公民館、公園や広場などの公共施設が密集した地区のようだった。
その中の施設の1つに図書館があるのがハナの目に止まった。
「ナギ、ちょっと図書館寄って良い? 今日はもう予定もないし」
『お、珍しいね、良いよー』
ハナはナギに断った上で、道沿いに設置されている案内を見ながら公立図書館へと向かった。
ハナは群青色のスーパーカブで図書館まで乗りつけて、きっちりと駐輪場にスーパーカブを停車させた。
その図書館は非常に立派な外観をしていた。コンクリートを主体としたモダンな建築物ではあったが、曲線を多用した正面のファサードが、セメントの灰色の冷たさを和らげており、むしろ優美で温かみのある印象を来訪者に与えていた。
その図書館は案内板によれば地方都市の中央図書館らしく、蔵書数が多いのはもちろん、非常にスペースにゆとりを持って作られた図書館で、閲覧室や自習スペースも非常に充実していた。
ハナは電気の付いていない広々とした図書館の中を、ランタンを手に周囲を照らしながらゆっくりと気ままに散策していた。
ハナの右肩にはもちろんナギもいたが、電気が通っておらず暗いため、既にうつらうつらしているようだった。
ランタンの光が薄い『霧』に乱反射し光輪を生じさせている中、ハナはランタンを顔の高さまで掲げ、その光の輪の中から周囲を眺めていた。
図書館はあまり散らかった様子はなかったが、木製の年季の入った長机の上には埃が堆積しており、指でなぞると綺麗な線が生まれるほどだった。
そして本棚の間を歩くと、ランタンの光輪の中で綺麗に体系だてて並べられた本が天井近くまで積まれているのが見られ、『霧』の中の建物で、本に書き記された様々な知識・人類の共有財産が『忘却』の彼方へと旅立っていくのが感じられるようだった。
そして、本棚に整然と秩序建てて並べられた背表紙のタイトルが、まるで次に消滅する知識をまざまざと示しているようで、動植物の
ハナは何脚もある本棚の間を、物思いに耽りつつ、背表紙の名前を読むでもなく、ただただ眺めていった。
何だか少しだけ悲しい気分になった。
すると、ふと、とある背表紙が目に止まった。
それはハナが中学生のときに読んだことのある物語だった。
2つの断絶された不可思議な世界で同時並行的に物語が語られていくのだが、片方の世界の危機を救うには、別の世界の人間の協力が必要不可欠であるにもかかわらず、別の世界の人間にとっては、もう片方の世界はそ別世界の教義上「あまりにも不幸で可哀想」な環境であって、そもそも助けない方が彼らのためにもなる良いと執着的に信じ込んでしまうために全く協力が得られず、片方の世界は破滅を迎えるという、SFともファンタジーともつかないバッドエンドの小説だったはずだ。幸福は文化によって尺度は異なるとか、異文化間の協力の難しさとか、そういった教訓が含まれていたような気がする。
あらすじは覚えているものの、具体的な内容は忘れていたため、折角だからとそれを手に取って、ハナはランタンの灯りを頼りにしつつ窓際の席で読みはじめた。
――そうだったそうだった。思い出してきたぞ。謎に料理の描写に力を入れてて、それが美味しそうなんだよなぁ、これ。……あと、そういえば私、2つの世界を行き来できる
などとハナは一人で思いつつ、このような『忘却の霧』が満ちた人類の危機にもかかわらず、そこから目を逸らして、過去の作者の妄想に耽る甘美な時間を目一杯楽しんだ。
物語を数時間かけて読み終えると、既に太陽は沈んでおり、外も真っ暗になっていた。
ナギも既に寝ているようだった。
――今日は何もしなかったなぁ……。でも楽しかったなぁ……。
とハナは思いつつ、ぼーっと窓の外に広がる暗闇に目を向けていると、その『霧』の暗闇の中で、赤い光がぽーっと弱々しく光っているのが目に留まった。
昼間には太陽光で見えにくかったのだろうと思われた。
「ナギ、ナギ。ごめんね、ちょっと起きて。あの光は何だと思う?」
「……んぁ……、確かに……何だろうね? ちょっと見てくるから、待っててよ」
とナギが言って、図書館から出ていき、様子をイヤーカフの通信機から伝えてくれた。
『なんだか変な建物の入口で光っているみたいだけど……』
「変な建物? 何だろうね……。行ってみるか」
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