第4話 故郷⑤


朝ごはんをゆっくりと堪能して、ナギも朝ごはんから戻ってくると、二人で牧場へと向かうことにした。

民宿の入口では、ナギがたぬきの阿吽像を見て「何これ……!顔……やば……!」と引き笑いを起こすことになった。

その後あまりにツボに入ったのか、オウムらしい「キョエキョエ!」という騒々しい鳴き声が響き渡った。

「ナギ、こういうくだらない置き物、大好きだもんね……」と苦しそうに笑っているナギを見て、ハナは近所迷惑になってないかなぁ、と思った。


民宿から左に出て、しばらく未舗装の道路を歩いていくと牛舎やその他酪農用施設が複数あり、その奥には広い草原が広がっていた。

小高い丘の斜面のほとんどが牧草地になっているようで、非常に広々としており、そこで牛が呑気に草を喰んでいる様子が見られた。


ハナは牛舎に入ると、そこに牛はほとんど残っておらず、ヒカリとその両親が鍬のような道具を使って、床の掃除をしているところだった。

「あ、ハナおねーさん! と、オウムさんも来た!」とヒカリが叫んだ。

「このオウムはナギって言うのよ。私の旅の仲間ね。宜しくね」

ナギは軽く「ケー!」とだけオウムらしい鳴き声を発したのみで、意味のある言葉は発しなかった。

人間と同様の知能を持って喋るオウムはどうしても異質な存在であるため、信頼できる人の前でしかナギは基本的には喋らないようにしている。

その方が色々と危機管理上良いというのが、これまでの経験則だった。


「あら、いらっしゃい。あなたがハナさんね。主人から聞きましたが、ヒカリが昨日から大変お世話になってしまっているようで、ありがとうございます」

ヒカリの母親が恐縮した様子でハナに挨拶をした。

垂れた目元が非常にヒカリと似ており、親子であることが実感された。


「いやいや、お世話だなんて……。今日ここに来たのも私がお願いしたからですし。それにしても元気で良いお子さんですね。いつも家業を手伝ってくれるんですか?」

ハナがヒカリのことを褒めたことが聞こえたらしく、こちらを向いて胸を張っていた。

「ええ、そうですね。とても親バカなんですけれど、自慢の娘ですね」

それを聞いたヒカリはさらに胸を反らしていた。

「えっへん」という声が聞こえたような気がした。


「しかもヒカリ、最近では民宿と牧場の両方を継ぎたいと言ってくれていて、本当にありがたいことです」と言った後で、母親は唐突に声のトーンを落として、ハナに近づいて言葉を続けた。

「半年くらい前まで普通の世界だったのに急に何だかよく分からない『霧』に覆われて、人類はどんどん消えていって生活も余裕がなくなって、人も街も仕事も文化も芸術も色々なものが次々と消滅して……、あぁ、人類は本当に滅亡するのかなって、本当に毎日毎日憂鬱で暗い話題ばかりじゃないですか。それでもあんなに明るく元気にすくすくと育ってくれて。しかも家業を継ぎたいだなんて、ちゃんと未来を見据えて生きているだなんて、本当に自慢の娘なんです。ヒカリは……本当に、文字通り、私たちの光なんですよ……」


母親は涙を堪えている様子だった。

父親はやはり口下手らしく特に何も言わなかったが、ヒカリを見る目は非常に暖かく、母親と同じ思いを抱いているのだと感じられた。


ヒカリはこちらで話されている内容が聞こえなかったらしく、母親に近づいてきたが、涙を堪えてグッと顔に力を入れている母親を怪訝な様子で見ていた。

それでも何かを子供なりに感じ取ったのか、気を取り直して、元気よくこう言った。

「よっし、ハナおねーさん! この牧場で私の一番の自慢を教えてあげるね!」

そう宣言すると、ヒカリはハナの手をとって、牛舎から外へと駆け出した。


「何を見せてくれるのかな?」

ハナは手を引っ張られながらヒカリに優しく尋ねた。

「それは見てのお楽しみ!」と言いつつ、ぐいぐいとハナの手を引いていく。

牛舎から外に出て、そのまま牧草地の小高い丘のようなところを山頂の方へと進んでいった。

左右にはぽつぽつと牛がのんびりと草を食べている様子が見られた。

ところどころには牛糞が落ちており、湿っているものは独特な臭気を放っていたが、それがそのまま牧草地の肥料となっているのだろう。

『霧』の影響が見られない、非常に平和な光景だった。


その丘の一番上には大きなケヤキの木が1本、空へと伸びるように聳え立っていた。

周囲は全て牧草地であるため、そのケヤキの木だけがまるで天を見据えるように青空を背に堂々と立っていた。

新緑の葉がこんもりと生い茂っており、その下には柔らかな日差しが緑のヴェールの隙間を縫って差し込んでおり、一頭の牛が気持ちよさそうに寝転んでいた。

そこだけを切り取ると宗教画になりそうな雰囲気であった。

「ヒカリちゃん、一番の自慢って、あの木かな?」とハナは尋ねると、「んー、そうだけど、ちょっと違うかな」とのヒカリの回答。


さらにハナはヒカリに手を引かれて、遂に小高い丘の頂上、ケヤキの木の下に到着した。

そうしてハナとヒカリが後ろを振り向くと、ここまで歩いてきた牧草地、両側に広がる山林、ヒカリの両親が経営している牧場施設、民宿を含む市街地、さらにその直下に怪しげに広がる『忘却の霧』の白い雲海、そしてそれらを全て包み込む大空を一望できた。

非常に雄大な景色だった。

牧草地の新緑から、雲海の白色、さらにその間に広がるモザイク状の市街地が見事コントラストを描き出していた。


「この木の下から見える景色が私の自慢だよ。凄いでしょ!」

ヒカリは両腕を広げ、くるりとハナの前で一回転をしつつ自慢気に言った。

「すごく綺麗……」とハナは心の底から思った。

「おお……凄い……」とナギもハナにだけ聞こえる声で呟いた。

寝そべっていた牛がこちらをチラと胡乱そうな目で見てきたが、すぐに目を閉じてしまった。

平和な光景だった。

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