第2話 修行④
ジカイは訥々と語り始めた。
「私は修行の結果として死んでしまったのかと。それによって輪廻の道に入ってしまったのかと。しかしそれにしても、私が記憶する限り変な霧が出ている以外は、今までの現世と変わりありませんでしたし、私自身も全く何も変化がありませんでした。またこのような現象はお釈迦様の教えにはございません。従って、それは違うと考えました。
それでは、私以外の人々がお隠れになってしまったのかと考えました。動物も含めて全て消滅してしまったのかと。つまり私はこの場所で一人っきりで生きているのかと考えました。もし、そうだとすると、私がたった一人、ここで生きていく意味とは何なのだろうかと……。
仏教の考え方に
「……なるほど」
ハナは曖昧に頷いた。
「ひたすらに祈り、身を清め、お釈迦様の教えに従って一人で生活していると、逆に今まで存在が当たり前だった他者・他人を明確に意識するようになり、そうしてふと気付きました。私の現在を形作っているのは、過去の様々な人との出逢いによるものであると。たとえ消滅してしまったとしても、過去の数えきれない縁起や因縁によって今の私がいるのだと。そうであるならば、私は消滅してしまった人々のために祈り、感謝しながらこれからも修行をしていこうと考えました。そうして今日までひたすらに、一人で修行を続けて参りました。
そして今日、ハナさんと出会いました。これも縁起です。特に「たまたま」観光でいらしたことに、私は深く感動致しました。私がこうしてここで修行を続けていたために生まれた縁起なのでしょう。それによって、ハナさんからまだ消えていない人類がいるということを聞くことができました。今後は、その人々のためにもこの場所で祈りの道を歩んで行きたいと決意いたしました」
ジカイは静かな言葉で己の決意を明確に示した。
口調こそ淡々としたものだったが、ジカイの信念は強く、決して揺らぐことは無いであろうことが容易に理解できた。
「あの……、ジカイさん。ジカイさんも霧の中で動けるようですし、ダイバーとして活動しながら、修行をしたり仏法を説いて回ったりしたら良いのではないでしょうか……」
「私はまだ修行の身です。そういった大それたことができる身上ではございません」
「……」
ハナは何も言えなかった。
何も言えなかったが、誰もいない世界の中で、誰にも知られず、こうして今まで一人で祈り続けていたジカイに、非常に清らかで尊い感情を抱いた。
自分しかいない世界で、他者のために祈り修行をすることに一体どれ程の意味があるのだろうか、という誰もが抱く疑問を軽々と超えて、究極の利他的行為と言える修行を続けてきたこのジカイの行為に、畏敬と尊敬の念を抱かざるを得なかった。
そして、この先も人々のために祈りを捧げ続けるというジカイの強い決意に、憧れにも似た強く眩い光明を見た。
『忘却の霧』が蔓延する絶望的な世界の中、誰もが皆、生きるのに必死で、自分のためだけに行動しているにも関わらず、その『霧』の片隅で、誰にも知られず、ひたすらに他者のために祈り、修行をしている人がいると思うと、ハナは自然な笑みが溢れた。
不思議と人類の未来は明るいのかもしれないと感じた。
そうしてハナはある提案をした。
「あの、ジカイさん……」
『ハナー、なんであんなことしたのさ?』
上空で道の先導と周囲の警戒をしてくれているナギから通信音声が聞こえてきた。
ハナとナギは世界遺産の寺院から最寄りの村へと、来た道をスーパーカブで引き返していた。
今日はその帰り道の途中で、どこかの廃屋に入って宿代わりにする予定である。
「いや、まぁ……、あの決意に感動してさ。あんな凄いお坊さんにお布施しておくと、ほら、何か巡り巡って縁起みたいな感じで良いことありそうじゃん」
ハナはイヤーカフ型通信機を通して返答した。
ハナは数日分の食糧と保存食を、近くの村までに必要な分を残して、お布施として全てジカイに手渡すことにしたのだった。
お金も渡そうとしたが、「使う時が来ないので、お気持ちだけありがたくいただきます」とジカイにやんわりと断られてしまった。
『うわー、なんかそれ、動機がヤラシイよ、ハナ。そんなお布施で現実的な利益を求めちゃダメでしょ』
「動機が不純なのはわかってるって。でもさ、あの人の話を聞いていると、なんかあの人の役に立ちたくなったんだよ。そのついでに、まぁ、ほら、何か良いことあったらいいな……、とは多少思っているけどさ……」
ハナはナギの指摘にしどろもどろになりつつ返答した。
『ほらー。ヤラシイじゃん。それじゃハナも今後は修行ってことで、旅行に行かず仕事一筋にする?』
「それは絶対やだ! 無理だよ。……世界の救済はあの人に任せて、私は私でこの『霧』の世界を楽しまないと、と思ってるよ!」
『何それ』
ナギの呆れたような軽口を聞きつつ、『忘却の霧』の中をハナは軽快に走っていた。
ハナは行きの道よりも、どこか心なしか世界が明るく見える気がした。
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