第2話 修行①

ハナは小さい頃から旅行が昔から好きだった。

行ったことのない土地で、見たことのない景色、したことの無い体験をするのが大好きだった。

翌日に動物園に行くとわかれば、前日は興奮でなかなか寝付けずに睡眠不足になりつつも出かけて、ふれあいゾーンで動物の臭いに当てられてゲロを吐いたこともあった。

中学校の修学旅行の時には、学校で配られるものとは別に、ハナお手製のミニガイドブックを作成して、同じ行動班の班員をドン引きさせたこともあった。

家族やグループ旅行だけでなく、一人旅も大好きで、休日になると一人で電車の終着駅までひたすら乗っていくこともあった。


ハナにナイフ投げを教え込んだおじいに、今のスーパーカブを貰ってからは、休日に一人でカブに乗って遠くに行くこともしばしばだったし、もちろんおじいとのツーリングも何度も何度も楽しんだ。

海岸線や山岳地帯、高原道路や牧草地、最先端のビル群から鄙びた温泉地まで、いろんな所を群青色のスーパーカブで走ってきた。

旅行に出る時の高揚感、美味しい地産品を使った食事、移動の際のぼーっとした空白の時間、地元の人との心温まる交流、見たことの無いような綺麗な景色、旅行から帰ってきた時のほんの少しの寂寥感。ちょっとしたトラブルも旅行の醍醐味だと言える。

ハナはこれら旅行にまつわるもの全てが好きだった。


――学校をサボって一人旅行をしたこともあったなぁ……。さすがにバレてめちゃくちゃ怒られたけど。

とハナは懐かしく潜霧士ダイバーとして活動する以前のことを思い出す。


通常の潜霧士ダイバーは、どこかの村を生活拠点として定めた上で、その村のために働くことが多い。

というのも、『霧』が満ちた世界では、その『霧』の中で行動できる唯一の人々という意味で、ある種の「特権階級」的な存在となってしまった潜霧士ダイバーは、常に村人から差別的な視線を受け続けることになる。


しかも潜霧士ダイバーとして行動できるか否かは、恐らく先天的なものであって、訓練ではどうしようもないとなれば、より一層、村人たちの羨望や嫉妬、やっかみの感情を掻き立てることになる。

それ故に村人との関係構築は非常にセンシティブな問題なのであった。


そこで潜霧士ダイバーは、村で足りない物資があれば、麓の廃墟となっている廃村に屑拾いをしにいき、送電設備等の不備が『霧』の中にありそうだとわかれば、その箇所の点検・修復作業を行い、『霧』を隔てた村と手紙のやりとりをしたい場合はその村までわざわざ届けるなど、村のために一生懸命に働くのである。

そうやって信頼と実績を村人の間で構築していくことで、村人と軋轢が発生しにくくなり、安心・安全・安定した生活を営めるのである。

だからこそ潜霧士ダイバーは生活拠点を定めることが多いのであった。


それにも関わらず、ハナは特に生活拠点を作ることなく、潜霧士ダイバーとして屑拾い等をして日銭を稼ぐ日々を送りつつ、根無草のように転々とスーパーカブで村から村への移動を続けていた。

と言うのも、ハナはこんな世界になったにもかかわらず、未知の土地に行きたい、未知の景色を見に行きたいと言う欲求が抑えられないのであった。

これは興味や関心というよりも、ある種の衝動に近いとハナは思っている。

むしろ、こんな世界だからこそ、『霧』の中を自由に移動できる潜霧士ダイバーたる私が、未知の土地に行かなければならず、未知の景色を見なければならない。

そんな使命感すらハナは持っていた。


そういう渇望的な旅への使命感の下、ハナは誰もいない廃墟と化した本屋の旅行本コーナーで旅行ガイドブックを立ち読みしていた。

この前行った村でお金に加えて食糧や保存食を沢山手に入れることができたため、日雇い仕事は一時中断をして、『霧』の中でどこか遠くまで行ってみようと考えていた。

この本屋まで既に半日以上、群青色のスーパーカブを走らせてきた。


「この辺では……、お、世界遺産がカブで行ける距離にあるみたいね」

「いいじゃん、行ってみようよ!」

とナギがハナの右肩からガイドブックを見つつ楽しげに言った。

「じゃ、ナギ、この地図覚えて。今が多分この辺りだからこう行ってこう行って……」

「はいはい……、まぁ覚えたけど、ハナって本当に地図読めないよねぇ……」

ナギは呆れたようにハナに言った。


ハナはオウムに馬鹿にされたにもかかわらず、情けなさそうに言い訳を言い募った。

「仕方ないじゃない、前はケータイの道案内で音声に従っていれば到着したんだから、慣れてないんだよ……」

「よし、それじゃ、地図に慣れるためにも、今回はハナが自力で頑張るってのはどうよ?」

「えー、無理だよ……。日が暮れても到着する未来が見えない……」

「……ハナは相変わらず諦めが早すぎるよ」


ハナはナギに軽口を言われてしまったが、無理なものは無理だったので、よろしく頼むよと言う意味を込めて、ナギの頭を人差し指でカキカキしてやった。

すると意味が通じたのか「しゃーねぇなぁ」とナギは言った。

「じゃ、道案内してやるから行くぞ」

ナギは頼られたのが嬉しいのか、頭を掻いてもらったのが気持ちよかったのか、満更でもない感じで言って、ハナの右肩からばさりと飛び立ち、割れた窓ガラスの隙間から『霧』のかかった空へと飛んでいった。

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