第68話 一方その頃

 アメリア王国の王都アメリア。その中央に聳え立つ王城のバルコニーから、シフア・シュテインはスペリアル湖上空での戦闘を眺めていた。


「どうやら終わったようじゃの」


 シフアの隣、頭に王冠を乗せた女性が双眼鏡から目を離して言った。


「どうやらそのようだね」

「……はぁ。心臓に悪いにもほどがあるじゃろ。どうしてわらわがこうも冷や冷やせねばならんのじゃ」


 アメリア王国の現女王、ルクレティア・アメリアは胸に手を置いて深々と溜息を吐いた。


「バルキュリエの妹の方が墜ちた時には肝が冷えたぞ。回復術師は現場に向かっておるのじゃろうなぁ? 死なせてしもうたら、援軍を差し向けなんだわらわらの責任じゃぞ」

「大丈夫だよ、ティア。アリシアはそんなにやわじゃないし、ミナリーが絶対に死なせない」

「……教え子がドラゴンと死闘を繰り広げておったというのに、高みの見物を決め込む教師とはいかがなものかのぅ」

「教え子を信じているのさ」

「物は言いようじゃな。というか、信じておったのは教え子でなく教え子の中に居る〈あの者〉であろうに」

「まあ、否定はしないけどね。でも、あの子はミナリーで、ミナリーはあの子だ。だったら教え子と言って差し支えはないだろう?」

「……物は言いようじゃな」


 ルクレティアは再び溜息を吐く。

 とにかく、ドラゴンと戦っていた少女たちが無事で何よりだと彼女は思う。もしも誰か一人でも犠牲になっていたら何とも後味の悪い展開になっていたことだろう。


 ルクレティアが振り返ると、扉の近くに控えていた侍女がバルコニーの傍まで近づいてきていた。侍女から報告書を手渡され一通り読み終えたルクレティアはシフアに向かって告げる。


「どうやらキリクス近郊でも三体のドラゴンが復活したようじゃ。古龍種で間違いないじゃろうな」

「こちらの予測通りだね。状況は?」

「派遣しておいた国家魔術師が撃退……と言いたいところじゃが、先を越されたようじゃな」

「キリクスなら仕方がないさ。あそこは極端に言えばここよりも安全だからね」

「我が国の最高戦力を田舎町で遊ばせている余裕はないんじゃがなぁ」

「じゃあ呼び戻すかい?」

「店が忙しいから無理と五度も断られたらもう無理じゃろ」


 それに色々と訳ありなので、戻って来られたら来られたで政治的に不味い。


「それよりも、じゃ。ある程度の予測はしておったとは言え、これはちと作為的なものを感じはせんか?」

「だね。スぺリアル湖に沈んでいたドラゴンと、キリクス近郊で復活したドラゴン。出現のタイミングが重なっているのは少し気になるところだ」

「学者連中の予測では一週間から一か月は間が空くはずだったんじゃがな。ほぼ同時刻とは薄気味が悪い。よもや、〈教団〉の連中が関わっておるのではあるまいな?」

「どうだろう。信者が今も活動している可能性は否定しきれない」

「……邪龍信仰。厄介なことにならぬと良いが……」


 かつて地上がドラゴンに支配されていた時代。人々は地上を追われ穴倉での生活を余儀なくされていた。そのような極限生活の中で、信仰に救いを求めた人々は少なくない。


 当時最も力を持っていた存在を崇め奉る信仰の誕生は、仕方のないことだろう。

 邪龍ヨルムンガンド信仰は、アメリアだけでなく大陸各地で見られた信仰だ。彼らはドラゴンに生贄を捧げることで、ドラゴンの庇護を受け生活していたとされる。屠龍王ドラングニルによって邪龍が討伐された後も彼らは邪龍を信仰し続けたという。


 やがて各地の邪龍信仰者が集まり、彼らは邪龍教団と名乗るようになった。

 〈教団〉の目的は邪龍ヨルムンガンドの復活。

 彼らの経典では邪龍ヨルムンガンドは屠龍王ドラングニルによって討伐されてはおらず、今も大陸のどこかで封印され眠りについているとされている。


 それは事実だった。


「邪龍の復活。それだけは何としても阻止しなくちゃいけない」

「じゃな。教団の動向はわらわの方で調べておく。お主は教え子の元へ向かうと良いじゃろう。本当は心配しておるのじゃろう?」

「……顔に出ていたかな?」


 頬に手を当てながら尋ねてくるシフアに、ルクレティアは肩をすくめて答える。


「もうかれこれ二十年以上の付き合いじゃろうが。姉さまほどではないが、お主のことならそれなりにわかっておるつもりじゃよ」


 長い付き合いだ。歳こそ姉の同級生だったシフアとは少し離れているが、昔からもう一人の姉のように慕ってきた。

 平気そうな口ぶりをしていながら、シフアが内心ずっと教え子を心配していたのは手に取るようにわかっていた。


「そうだね。……それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

「うむ。そうするが良いじゃろう」


 ルクレティアはそう言って、去っていくシフア・シュテインの背中を見送る。彼女の姿が扉の向こうに消えるのを待って、ルクレティアは振り返りバルコニーの向こうに広がるスペリアル湖へと視線を向け深々と溜息を吐いた。


「屠龍暦千年だの、終末の年だの、ドラゴンの復活だの。どうしてこうわらわが王位を継いだ途端にこうなるのじゃ。本来なら姉上が王位を継ぐはずじゃったのに。…………はぁ。王女なんて辞めて田舎でパン屋でも開いてのんびり暮らしたいのじゃ……」


   ※


「くちゅんっ!」

「おかーさんかぜひいた!? だいじょうぶっ!?」

「ええ、大丈夫よ、ナルカ。誰かがお母さんの噂をしているみたいね」

「うわさー? おとーさんかなぁ?」

「きっとそうね。そろそろ配達から帰ってくるから、噂をしていたか聞いてみましょうか」

「あいっ!」



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