第40話 敗者たちの入浴(アリシア視点)

 ミナリーと一緒にお風呂に入る権利を賭けたジャンケンに敗れたあたしたち三人は、ミナリーやクレアさんより先に三人でお風呂に入ることになった。


 不満そうに頬を膨らませるナルカの服を脱がせて、一緒に浴室に入る。寮のお風呂よりも少し小さい。タイル張りの床が冷たかったので、魔術で温風を室内に巡らせ寒さを紛らわせる。


「ありしゃーまじゅつつかえるの⁉」


「あたしを何だと思ってるのよ。これくらい誰でもできるわよ」


「でもでも、おとーさんできないよ⁉」


「えぇ……」


 ナルカのお父さん……確か、レインさんだったかしら。優し気な顔立ちの人で、良いお父さんって感じだったけど、この程度の魔術も使えないのはちょっとヤバいと思う。


「おとーさんまじゅつつかえないからね、ナルカがかわりにつかってあげることあるの!」


「へぇー、ナルカはもう魔術が使えるのね」


「ふふーん! ナルカはてんさいですから!」


「天才は自分で天才とは言わないものよ」


 平らな胸を張ってドヤ顔をするナルカにくぎを刺しておく。本当の天才は、自分が天才とすら思っていない。どんなことも平然とこなして、努力のずっと先を行く。


 ……姉さまがそうだ。


「ありしゃー? どうしたの? おなかぽんぽんぺいん?」


「ううん、何でもないわ」


 というか、ぽんぽんぺいんってなに?


「まあいいわ。そんなことより、ちゃっちゃとお風呂済ませちゃいましょ」


「あい!」


 まずは湯船に入る前に、ナルカを一通り洗ってあげましょうか。


 と思ってシャワーの方を見たら、既にシャンプーハットを頭にかぶったアンナがお風呂椅子に座っていた。準備万端とでも言いたげにこっちを見ている。


「ナルカ、アンナが髪を洗ってほしそうにこっち見てるわよ」


「アンナおねぇちゃんあらったげる!」


「いや、あの、私はアリシアさんに……」


「どばぁーっ!」


「シャンプーハットを無視してお湯をかけないでください……っ!」


 アンナがこっちに助けを求める視線を向けてくるけど無視。あたしはかけ湯をして、湯船にゆっくりと体を沈めた。


「はふぅ……」


 心地のよさに思わず吐息が漏れてしまう。


 昔からお風呂は好きだ。温かいお湯に全身が包まれるのがいい。心まで温かくしてくれるような錯覚に陥る。昔から、気が休まるのは湯船の中だけだった。


 ……けど、


「目が、目がぁ……!」


「アンナおねぇちゃんだいじょうぶ⁉ おゆかけるね!」


「まっ……シャンプーハットがずれて、今かけられると……っ!」


「ざばぁーんっ!」


「い、ぎぁあ……ぐぬぅ……!」


 不思議だ。この家に来てから、湯船の中じゃなくても心が温かいと感じた。ミナリーが居て、ナルカが居て、アンナやクレアさん、レインさんも。みんながあたしの心を温かくしてくれる。


 家族ってこんなにも温かいものなんだって、教えてくれる。


 ミナリーに誘われて、ついてきてよかった。


「ありしゃー」


 と、アンナの髪を洗い終えたナルカが湯船に入ってきた。アンナはとっくに泡が落ちた頭にシャンプーハットをつけたまま「水、怖い……。泡、痛い……」と目を両手で押さえながらぶつぶつと呟いている。放っておきましょうか。


「ありしゃー、ほうきってのれるー?」


「箒? 乗れるわよ、当たり前でしょ」


 急に何を聞いてくるんだか。今更そんな当たり前のことを聞かれるのはちょっと新鮮な気分だった。


 でも、そっか。貴族でもない限り、箒なんて買うことすら難しいのよね。ミナリーみたいに箒を譲り受ける方がおかしくて、世間一般じゃ箒に乗れないどころか持っていない方が当たり前なんだ。


「おぉー! ミナねぇといっしょ!」


「そうね。ここだけの話、ミナリーよりもあたしの方が箒に乗るのは上手いわよ?」


「ほんとっ⁉ ありしゃーすごい!」


「それほどでもあるわね」


 手放しですごいすごいと褒めてくれるナルカに、ちょっとだけ得意げな気持ちになる。


 でも、どうして急に箒に乗れるかなんて聞いてきたのかしら。


「あのね、ありしゃー。ナルカもほうきにのりたい!」


「箒に?」


「あい! ナルカにほうきののりかたをおしえてください!」


 ナルカはぺこりと頭を下げて、ブクブクと湯船に頭を沈めた。すぐにぷはぁっ、と顔を上げて犬のように頭を振って水滴を飛ばす。


「乗り方くらいなら教えてあげられるけど、あんたまだ小さいでしょ。箒に乗ってどうするつもりよ」


 あたしもナルカと同じくらいの歳で箒に乗り始めた。


 ただ一般的には、箒の乗り方は学校で徐々に教わっていくものだ。あたしのように、競技魔術師の家系で生まれでもしない限り、こんな小さな子に箒の乗り方なんて教えない。


 落下や衝突の危険もあるし、何より迷子が怖い。


 数年に一回は貴族の子供が箒で屋敷を飛び出して行方不明になるし、確か二十年近く前には今の王女様の姉君が同じように行方不明になって一か月後に農村で農家として暮らしているところを発見されるという事件もあったらしい。その姉君はもう亡くなったらしいけど、かなりのじゃじゃ馬だったそうだ。


 そんな事例もあるから、箒の乗り方を教える際には注意が必要だ。


 まあ、ナルカの場合は箒に乗れても乗る箒がないから危険は少ないだろうけど。

教えるのは構わない。でも、ちゃんと乗りたがる理由だけは聞いておかなきゃいけない。


「えっとね……」


 ナルカは少し恥ずかしそうに、けれど意を決するように両手をギュッと握って、強い意志を持って言った。


「ミナねぇといっしょに、おそらがとびたいから!」


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