第9話 折れた箒

 入学試験に参加する以上、皆一様に箒の扱いには自信があるはず。まともに飛べないにも関わらず入学試験に参加する者が居れば、正気を疑う行為だ。


 そもそも、そんな有様であれば『招待状』が届きはしないだろう。


「魔力切れですかね?」


「どうでしょうか……」


 四十キロと経たずに魔力切れというのは考えづらい。長年の研究と技術革新によって箒の燃費効率は飛躍的に向上している。どれだけ魔力量がなくとも、普通に飛ぶだけなら誰もが百キロは軽く飛べるはずだ。


 おそらく、何らかのトラブルだろう。


 なんにせよあのまま飛ばせ続けるのは危険だ。墜落や接触の危険もある。試験監督生として見ぬふりはできなかった。


 アリスがふらつく箒の方へ飛ぶと、その後ろにシユティも続いた。どういう腹積もりかわからなかったが、アリスは特別それを注意しなかった。


「うわっ……とと! なんで、言うこと、聞いてくれなぁあああ⁉」


 何とか箒を制御しようと、少女は必死にハンドルを握っている。だが思い通りにはいっておらず、やはり箒に何らかのトラブルがあったのは間違いなさそうだった。


「大丈夫ですか?」


「ふぇっ? うわぁっ……⁉ だ、大丈夫ぅうううう‼」


「大丈夫じゃなさそうですね……。試験監督生のアリス・バルキュリエです! とりあえず箒を浜に下ろしなさい!」


「は、浜にっ⁉ で、でもそれじゃリタイアになぁああああああああああ⁉」


「安心しなさい! トラブルで着陸してもリタイアにはなりません! ともかくこのまま飛び続けるのは危険です! 一度、浜に降りなさい!」


「は、はいぃぃいいいいいい⁉ で、でも、コントロールが効かなくてええええええ‼」


 どうやら自力で着陸すら難しいらしい。よくここまでコースアウトせず飛んできたものだと感心しながら、アリスはシユティの協力を得て少女の箒を浜まで誘導する。


「あ、あのっ……」


「ハンドルから手を離しなさい。魔力が供給されるとまた暴れ始めますよ」


「あ、はいっ!」


「君、名前はなんて言うの?」


「え、えっと、ミナリー・ロードランド……って言います」


「ミナリーちゃんかぁ。あたしはシユティ・シュテイン。よろしくね、ミナリーちゃん」


「は、はいっ! よ、よろしくお願いします!」


 優しく微笑むシユティに、ミナリーは緊張した面持ちで答える。その反応に可愛いなぁと呟くシユティに、ミナリーは顔を赤くした。そんなやり取りをしている内に、三人は無事に近くの浜へ着地する。


「ミナリーと言いましたね? 少し箒を見させてもらえますか?」


「あ、はいっ……!」


 アリスは許可を得てミナリーの箒に触れた。フレームは綺麗に磨かれているが、少し古い型のようだ。使い古された箒に見られる傷が幾つかあり、さらに左の側面には凹みがあった。


「……やっぱり」


 フレームを開き、中身のコアを見たアリスは納得したように頷く。


 コアとなっているシラカバのホウキに、縦に大きな亀裂が走っていた。


「そんなっ⁉」


 後ろで覗き込んでいたミナリーが悲鳴に似た声を上げる。


「け、今朝は何ともなかったのに……!」


「ミナリー、この側面の凹みはかなり新しいものに見えますが、心当たりはありますか?」


「その凹みは…………あっ! 実は今朝、会場に来る途中に他の人の箒とぶつかっちゃって……」


「それですね……」


 フレームの凹み自体は小さいが、衝撃はコアに亀裂を入れるのに十分だったのだろう。随分と古そうな、くたびれたシラカバのホウキだ。老朽化していたのだろう。


「で、でも事故の後は普通に飛んでここまで来て……!」


「スタート直後に変な音がしたのではありませんか?」


「……っ、そ、そう言えば。その後から、コントロールがだんだんと効かなくなって」


「流し込まれた魔力の量に耐えられなかったのでしょう。普通に飛ぶ分にはギリギリ耐えられたのでしょうが、レースでスピードを出そうとすれば大量の魔力がコアに流れ込みます。当然、それを受け止めるだけの耐久性がコアになければ……、こうなります」


 大きな亀裂は、もはやホウキが使い物にならないことを示していた。飛行でふらついていたのは、コアから魔力がろくに供給されず箒のバランスを保つ術式が上手く作動していなかったせいだろう。箒の安定性を制御するバランサーを欠いて飛べば誰だってああなる。


「……ミナリー、替えのコアはありますか?」


「い、いいえ……。その箒も貰い物で……」


 箒のコアは普通の掃除で使うホウキではなく、魔力を持つ特別な植物を原料とし魔術加工を施して空を飛ぶために作られた特製品だ。


 大量生産された量産品もあるが、基本は魔術師一人一人が特注し自分に合ったものを使うため値が張る。大量生産の量産品でも庶民に手が届くような額ではなく、生活が苦しい家庭には大きな買い物だった。


「だから、替えは一つもなくて………」


「……そうですか」


 アリスは判断を下す。


 破損は応急処置できるレベルを超えている。替えのコアもない。


 ミナリー・ロードランドは、飛行不能。


 そう、判断する他ない。


「あ、あの! ありがとうございました。そろそろ、行かないと! レース、まだ終わって居ないですし、今からでも何とか――」


「棄権しなさい、ミナリー」


「…………え?」


 アリスはミナリーが箒に伸ばしていた手を掴み、告げた。


「これ以上の飛行は危険です。試験監督生として飛ばせるわけには行きません。棄権しなさい、ミナリー」


「ま、待ってください! まだ、飛べます! 今からなら、まだっ!」


「諦めなさい」


「嫌ですっ‼」


 アリスは掴んでいた手をミナリーに振り払われる。ミナリーはハッとした様子で俯くと、ごめんなさいと絞り出すように言った。


 棄権したくないのだろう。王立魔術学園に入学しなければならない、彼女なりの理由があるのだ。熱くなる気持ちは、アリスにも痛いほど伝わってきた。


 ……だが、


「許可は出せません」


 アリスはあくまで冷静に、言い放つ。


「危険です。あなただけじゃない。レースを見に来ている人たちもです。周囲を巻き込む事故になったらどうするつもりですか? 箒には衝撃緩和術式がありますが、生身の人間にはないんですよ?」


「…………っ」


「今年は、諦めなさい」


 一年程度の浪人なら珍しい話ではない。今年は運が悪かったのだ。仕方がない。


 ……そこまでアリスは口にしなかったが、言いたいことは伝わっただろう。


「それ、でも……」

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