兄さん

日曜日の夕方


兄さんは


ひどくつかれた顔で


帰ってきた


ひとりぼっちで


背中をまるめて


声を震わせながら


『コンカツがうまく行かない。』と


ぼくたちの前で言いました。


なぐさめようと


したけれど


『一人にしてくれ。』と


兄さんは言いました


このときぼくは


思い出した


あれは10年前の


5月のことだった


会社で知り合った


嫁さんに


プロポーズをして


結婚を決めました


そしてぼくたちは


夫婦になりました


けれど兄さんはあの日から


無口になった


ぼくたちの


結婚式にも


顔を出さなかった


兄さん


兄さんが一番つらかったのだね


兄さん…兄さん



ぼくの嫁さんが


作った料理も


『食べたくない。』と


兄さんは言って


ひとりぼっちで


家を飛び出して


なじみの居酒屋に


行きました


カウンターの席で


酒をのんで


枝豆をひとつ


つまみながら


『ぼくの恋人は…どこにいるのかな…』と


さびしそうに


つぶやいていました


この時ぼくは


思い出した


兄さんは


ずっとガマンをしていたのだと


ぼくたちのために


兄さんは


適齢期(じき)を逃していた


ぼくたちは


兄さんが


幸せになれるようにと


会社の人に


お見合いを頼んだのだけど…


兄さんは


『嫁さんはいらない』と


ぼくたちに言いました


兄さん


兄さんが一番つらかったのだね…


兄さん…兄さん



それから1年後


兄さんは


『会社をやめる』と


ぼくたちに言って


ひとりぼっちで


背中をまるめて


部屋に閉じこもって


しまいました


兄さんはずっと


何もかも


ガマンを重ねて


生きてきた


人生これからだと


言うときに


身も心も


ボロボロになっていました


この時ぼくは


思い出した


ぼくがわがままで


あったばかりに


兄さんばかりが


ガマンをして


ぼくばかりが


幸せになっていたのだと


そして兄さんは


会社をやめました


ぼくたちは


『おつかれさま』の


一言も言えずに


どう取り繕えばよいのか


分からなかった


兄さん


兄さんが一番つらかったのだね…


兄さん…兄さん


兄さん…兄さん



そして次の朝


兄さんは


おへんろさんの姿で


ぼくたちに


『一人旅に出るから』と


言いまして


あの日


ひとりさびしく


旅立って行きました

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