2.堀越フマ
JR田町駅から少し離れた喫茶店の店内から、堀越フマは道路の向かいのマンションを監視していた。
監視するターゲットがあのマンションの3階の一室にいることは分かっていたが、こうして窓越しに監視を初めてから2時間ほどたっても、室内でターゲットが動く気配はなかった。まだ正午前である。おそらく、眠っているのだろう。
フマは既にぬるくなったカフェラテを、ほんの少しすすった。
店内に置かれたテレビでは、今朝、第一次遠征隊が無限地平の55アースに到達したというニュースが流されている。画面では、第一次遠征隊から送られてきたという映像が映されていて、リーダーのウォルツァー・アルガータや、遠征隊のメンバーの中で唯一の日本人、立花スガタなどが今の感動や、今後の展望などを熱っぽく語っていた。
そんなニュースもすぐに終わり、今度は山形県で雌雄両方の特徴を持つ変わったバッタが見つかったという、極めて平和で日常的なニュースに切り変わった。
地球が平面になってから、15年が経った。
地球が平面であるという事実も、日本から東へ行ってもアメリカ大陸はなく無限地平があるのだということにも、疑問に思う人はほとんどいなくなっていた。
無限地平とは、平面となった地球の本来の表面の果てに現れた大陸や海の事を指す。その名の通り、果てなく、無限に広がっていると考えられており、今のところ、第一次遠征隊が到達したという55アース――1アースが4万キロメートルなので、220万キロメートルの地点においてもなお、果ては存在していない。おそらく、どこまでも行っても、人間の力では果てに到達することは出来ないだろう。
そもそも、膨大な労力の果てに、世界の果てに到達したとして、はたして何が得られるのだろうか。フマには分からなかった。昔、月や火星を目指していたような人たちのロマンが、空を飛ぶことが出来なくなり行き場を失い、上方向ではなく横方向に向かっただけのことだろう。ただなんとなく、未知のものに向かって行きたいだけなのだ。
30分ほどして、ようやく室内でターゲットに動く気配があった。
キザったらしい笑みを浮かべている優男の写真へ意識を集中する。その写真は、妻の不倫相手を見つけ出してほしい、という依頼主から送られて来たものだった。
すると、写真の男――ターゲットがいま、この瞬間に立ち止まっているのか移動しているのかが、より細かく感じ取れるようになった。
室内を広範囲に行ったり来たりする動きは、これから外出しようという人間の動きの特徴である。このまま待って入れば、外に出てくる可能性が高い。
はたして、しばらく室内をうろうろしていたターゲットが、マンションの外へ姿を現した。
その顔は、依頼主から送られてきた写真とは似ても似つかないものだったが、既にターゲットが整形していることを聞いていたので、別段驚くこともなかった。そもそも、完全に別人に成りすましているような状況だからこそ、整形していようとも写真一枚で対象を見つけ出すことの出来るフマへ依頼してきたのである。そうでなければ、たった1日の人探しで数十万円も取るような、三十路の女探偵の元に依頼は持ち込まないだろう。
フマは持っていたカメラでターゲットの顔を撮影すると、あらかじめ調べておいた、ターゲットが出てきた部屋の表札に書かれた名と共に、依頼主へ送信する。1時間ほどして、依頼主から依頼料が振り込まれてきた。今回の依頼はこれで完了だ。このあと、ターゲットの詳しい動向などは、別の探偵にでも頼むのではないか、とフマは想像していた。
夕方、フマが事務所にしている大塚の雑居ビル5階へ戻ると間もなく、インターフォンが鳴った。
インターフォンのモニターには、グレーのスーツを着た、40台の男が立っていた。
「人探しのお願いをしたいのです」
佐竹と名乗った男は、そう言ってフマの
それは、髪の毛をほとんど白にちかい金色に染めた、若い男の写真だった。目はぼんやりとしており、覇気はない。この写真を撮られること自体が億劫だと言っているような顔である。
「彼の居場所がわかりますか?」
佐竹は言った。
フマは、佐竹がそうたずねる前から、写真を見た瞬間から、既にこの写真の男がどこにいるのかを知ろうと、意識を写真へ強く向けていた。
しかし、何も感じ取れるものは無かった。
何も感じられない、ということはつまり、この写真の男はこの世にいない、ということである。どこかで生きているのであれば、即座に対象がどの方角のどのくらいの距離にいるのか、という感覚がはっきりとフマに伝わってくるはずなのだ。だから、その事実を告げようと、フマは口を開きかけた。
だが、言葉を発するその直前に、本当に薄っすらと、どこか遠く、遥か彼方にこの写真の男の存在を感じることができた。微弱で、非常にぼんやりとした感覚ではあるが、確かに彼が存在しているという感覚があった。
しかし、それはとても奇妙なことだった。たとえ対象がどれだけ離れていようとも、どれだけ死にかけていたとしても、この地上のどこかで生きているかぎり、強弱など関係なくはっきりと対象の居場所を感じ取ることが出来るのだ。こんな風に、わずかにしか感じ取ることが出来ない、という状況は、フマが能力を得てから初めてのことだった。
「わかりますか」
口を開きかけたまま止まっていたフマの様子を見て、佐竹はわずかに微笑みながら言った。
「この人を探せ、と言われても、見つけられません」
フマは写真から意識を逸らして答えた。今の状況では、精々『前方90度方向のどこか遠く』程度しか分からない。この程度の情報で人探しをするのは不可能である。
「そうですか。ちなみに、どちらの方角からしているかは分かりますか? もちろん、それに答えていただくだけで、依頼料が発生することは存じています」
佐竹に言われ、フマは念のためもう一度写真に意識を向けたあと、西の方角を指さした。
「西の方、としか分かりません。真西なのか、南西なのか北西なのか、はっきりとは分からない。ぼんやりしています」
フマが答えると、佐竹はうなずいた。
「では、彼らについてはどうでしょう」
佐竹は再び、フマのスマートコンタクトへ写真を、今度は複数枚、送って来た。
それは年齢が20~40台の、ほとんどが男の写真だった。フマはその一枚一枚に対して、どこにいるのかと意識を集中させたが、最初の男と同様に、微弱でぼんやりとしたものしか感じ取ることが出来なかった。ただ、そうやって何人もの対象に向けて連続して意識を向け続けた結果、一人目の時よりも明確に、方角と距離を感じ取ることが出来た。
「全員、西。真西から西南西に近い方角。距離は4~5アース程度の場所にいます」
フマは答えた。4~5アース離れた場所とは、つまり全員が、無限地平上にいるということだ。
「その感覚は、彼らに近づけば、近づいたということが分かる、と認識してもよろしいですか?」
佐竹は目を細めて言った。
「そうですね……、感覚は弱いですが、基本的には普段感じているものと違いはありません。近づいていけば、彼らを直接見つけ出すことも不可能ではないと思います。ただ――」そこでフマは首をかしげた。「無限地平上にいるのなら、全員居場所はモニターされてるはずですよね? 私に人探しの依頼などしなくても、管理局に問い合わせれば良い話では?」
無限地平へ赴く人間は、すべて管理局の監視下に置かれ、その監視からはいかなる手段をもってしても逃れる術はないはずである。
「いま、あなたも彼らの居場所がはっきりとは分かりませんでしたよね? 同じことが、管理局のシステムでも起こっている、ということです」
佐竹は答えた。
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