第561話 山葉のお散歩

 孟雄さんが到着した翌日、僕たちは山葉さんの散歩のために代々木公園に出かけた。

 莉咲がお腹の中に居る頃に、山葉さんの体調維持のためによく出掛けた場所なのだが、彼女が双子を懐妊した今回は、お腹が大きくなり過ぎたため散歩は敬遠していた。

 しかし、山葉さんが一緒に過ごす時間が少なかった孟雄さんと莉咲のために近場でいいから出かけたいと言うので、とりあえずお散歩に行くことになったのだ。

 代々木公園の駐車場に自家用兼業務用として使っているWRX-STIを置いて外に出ると、莉咲は孟雄さんを家族と認識した様子で、裕子さんと孟雄さんに挟まれて機嫌よく歩いている。

 僕は孟雄さんから贈られた辻斬り佐吉の刀を全長が百二十センチメートルほどの釣り竿ケースに入れて持ち出していた。

 たとえケースに入れていても、警察官に見とがめられたら銃刀法違反を問われる事案だ。

 銃刀法は不思議な法律で、小さな果物ナイフでも正当な理由なしに持ち歩いていたら逮捕される可能性があるのだ。

 世の中の国家権力が嫌いな人々は、反政府的な思想を持つ人々を不当に逮捕するために使われるかもしれないと警鐘を鳴らす。

 しかし、僕は被疑者が真に周囲に危害を加える可能性がある場合に警察官がその法律を適用するのであろうと信じることにしていた。

 そうは言っても、一見して日本刀と分かる状態で持ち歩けば、当然のように警察官に尋問を受けることになるので、釣り竿ケースをカモフラージュに使っているのだった。

 公園とはいえウイークデイのお昼過ぎとなれば、公園内を歩く人はまばらで、こっそり日本刀を取り出して検分してもトラブルになる可能性は低そうだ。

 僕がわざわざ辻斬り佐吉の刀を持ち出したのは、カフェ青葉の建物内でその刀を抜けば、美咲嬢の結界が反応するのではないかと危惧したからだった。

 僕は、表通りからは建物の陰となり、反対側は神社の森となっている辺りで釣り竿ケースから日本刀を取り出し、鞘から抜いた。

「ふむ。刃こぼれがほとんど見られない。幕末の日本で暗殺に携わった人ならば、敵と刃を交えてボロボロになっていてもおかしくないと思うのだが」

 山葉さんは刀身を眺めて控えめな感想を述べるが、その刀身には樋と呼ばれる溝が一直線に走り、刃先は怪しい光を放っているようにさえ見える。

「この刀を使った時は踏み込みが早くなり、気がついたら相手を斬り伏せている感じだったのですよ」

 山葉さんは僕の言葉を聞いてゆっくりと首を振る。

「この刀を使えば強くなると思い、頼れば頼るほどに刀に宿る霊に深く取り憑かれていく。ウッチーは蜘蛛女に取り憑かれた前科があるから余計に気を付けなければならないのだ。私も惜しい気がするがこの刀は封印するしかないよ」

 山葉さんの言葉は僕の痛いところを突いており、刀を使いたいと口に出すことははばかられる雰囲気だ。

 僕たちが日本刀の見分をしていることに気が付いて、孟雄さんが散策していた歩道から僕たちがいるベンチに戻り、裕子さんと莉咲がそれに続いた。

「僕はこの刀が美しいと思い、所有できるように申請をして徹君に送ったのだが、素性を良く調べていなかったのは大失敗だったよ」

 孟雄さんは申し訳なさそうに僕に告げるが、僕としては刀の能力に助けられているので謝ってもらう筋合いもない。

「そんなことはいいですよ。みんながこれを封印した方が良いと思うのなら、外には出さないようにしてしまっておけばいいだけのことです」

 僕は少なからず惜しいと思いながら、その刀を封印することに同意したのだった。

「ところで、辻斬り佐吉とはどんな人だったのですか?幕末時代の人として、名前は聞いたことが有るのですが、業績とか思い浮かばないのです」

 僕が尋ねると、山葉さんも首を傾げた。

「そうだな。幕末に天誅と称して敵対する人々を数多く暗殺したことは知っているが若くして死んだのではなかったかな」

 孟雄さんは小さなため息をついてから僕に言う。

「彼は貧困な環境に生まれ、苦労して武術を極めたものの、教養がなく人を斬る事しかできなかったためやがて落ちぶれて、身を持ち崩したところを佐幕派の一団に襲われて最後を迎えたと言われています。その霊が取り付いているとしたら徹君には持たせたくない所以でもあるのです」

 僕は辻斬り佐吉の刀を釣り竿ケースに収めると背中に背負うと、刀の話はそれまでにして散歩に意識を切り替えた。

「さあ、もう少し散歩しようか。莉咲がお腹の中に居る時もここにお散歩に来ていたんだよ」

 僕が話しかけると、莉咲は山葉さんのお腹を見ながら僕に尋ねる。

「双子ちゃんも一緒にお散歩できるかな」

 僕は莉咲の成長ぶり目を細めながら答えた。

「すぐに一緒に歩けるようになるよ。その時は莉咲がお姉さんだから手を引いてあげないといけないね」

 莉咲ははにかんだような笑顔を浮かべ、彼女の祖父母と母は温かい目で見守っている。

 莉咲が先頭に立ち大きなおなかの山葉さんを囲んでゆっくりと歩く散策路はありふれた日常ではあるが、大切な時間だと僕には思えた。

 散歩を終えて下北沢のカフェ青葉まで戻ると、冬の短い日は暮れかけていた。

 裕子さんはガレージに収まったWRX-STIから降りると、山葉さんを気遣いながら二階まで付き添い、莉咲を連れた孟雄さんがその後に続く。

 僕はWRX-STIのトランクルームに収納していた日本刀入りの釣り竿ケースを取り出してその後を追おうとしたが、まだシャッターを閉めていなかったガレージの外に数人の人影があることに気が付いた。

 通りすがりの人でないことはその人々が揃ってこちら、つまりガレージの中に居る僕の方を向いていることで察しがつく。

 僕は来客かと思って何の気なしに釣り竿ケースを抱えてガレージの外に出た。

「うちに何か御用ですか」

 僕の言葉を聞いたその人達は、面白い冗談を聞いたようにどっと笑う。

 僕は少なからず気分を害してその人々を観察したが、ガレージの中から見た時は逆光のために服装まで確認できなかったのだが、その人々が時代がかった狩衣姿でいるのを見て取り、先日遭遇した雫石という陰陽師まがいの人物と、彼と確執があったという松蔭家という勢力があったことを思い出した。

「何か御用ですかとは聞いてあきれる。先日我らの顧客であるミナモ銀行の常務取締役の橋本氏が葦田大学付近で惨殺された際に現場近くでそなたの姿が見たという目撃証言があるのだ。知っていることをつまびらかに申さぬと身のためにならぬぞ」

 僕の家に押しかけた狩衣姿の男たちのリーダーらしき年かさの男性は妙に時代がかった言葉づかいで僕に詰問するのだった。

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