第557話 陰陽師の一族

 狩衣姿の男は僕が頭上の存在に気を取られているうちに目の前まで迫っていた。

 その手にはいつのまにか日本刀が握られており、中段に構えた切っ先は僕に向けられている。

「貴様は松陰家の者だな。父を無能と嘲るだけでは気が済まず私のすることにも干渉するならば相応の対応をさせてもらおう」

 狩衣姿の男は冷たい視線を僕に向け、冷静な表情の下に怒りが秘められているように思えた。

「松陰家という名は知りません。僕は先日葦田大学のキャンパスの近くで男性が殺されるのを目撃したのですが、あなたが関わっていると思って話を聞きたかったのです」

 男は意外そうな表情を浮かべたが、その表情はすぐに険のあるものに戻る。

「私の領域内で自在に動き、大木槌を無力化しておきながら松蔭家とは関わりがないというのか?そちらの娘も何かを連れているし、松陰家が差し向けた刺客以外にはそのようなことが可能とは思えない」

 僕たちの周辺の状況が変化したのは狩衣姿の男が僕たちを松蔭家という勢力の刺客と判断して自らの能力を使って迎え討つ態勢を取ったという事だったのだ。

「僕たちは松陰家とは関係ない。僕の妻がいざなぎ流の陰陽師をしているし、彼女が宮司の家系ということもあって、たまたま心霊能力が高いだけだ。僕は目の前で人が一人殺されてそれが交通事故として処理されるのを見たからそれが気になっていた。そんなことを誰にも知られないままに実行できる存在を見逃すわけにはいかないからだ」

 僕が自分たちの素性を説明している間も、狩衣姿の男は油断なく刀を構えたままだ。

「そうか。私の名は雫石玲という。そなたが松陰家と関りがないとして、正義の味方を気取って私を罰そうとでもいうのか。お前がその最後を見たという男は大手銀行の経営陣に名を連ねていたのだが、現金自動支払機のシステム障害が発生した責任を自分とは別派閥に属するシステム開発の担当者に押し付けたのだ。その担当者は心労のあまり自殺を図り、一命をとりとめたものの脳の広い範囲に損傷を負って回復が難しい状態となっている。私はそのシステム開発担当者の家族に頼まれて恨みを晴らして差し上げたのだ。そなたの奥方が陰陽師ならばそのような依頼を受けたことも一度ならずあるのではないかな?」

 僕は先ほど覗いた病室で、カーテンで仕切られたベッドに沢山のモニター類が接続されていたのを思い出していた。

 彼の話が事実だとしたら同情すべき部分もあるが、請負で殺人を行っている異能力者の存在が正当化されるわけでも無い。

「僕の妻はそのような依頼を受けることはない。大きな会社の組織内部のことなら告発して被害者の無念を晴らすことだってできるはずだ。式神的な存在を使って呪殺することが正当化されるわけではない」

 雫石玲と名乗った狩衣姿の男はわかっていないというように首を振りながら僕に答える。

「正当化されないというなら松陰家はどうなのだ?あいつらは此度の事例ではシステム開発担当者の家族の口を塞ぐためにその力を使おうとしたのだ。たまたま奥さんが私と連絡を取る伝手があったため、私が対抗措置を取ったうえで、元凶となったあの男を消しただけのこと。それをとやかく言うのなら貴殿の存在も消すだけの話だな」

 雫石は異能力を使って非合法に人を殺すことについては何の躊躇もしていない口ぶりで僕に刀を向ける。

 僕は自分の日本刀を上段に構え、雫石と対峙するしかなかった。

 その時、背後から祥さんの声が響く。

「ウッチーさん危ない!上にも気を付けて」

 その声にかぶさるように空気を切る音と共に黒い影が上空から迫るのを感じる。

 僕は雫石から目を離さないようにしながら後退したが、目の前を何かがかすめて急降下し、地面際から急上昇して再び上空へと戻っていくのが目の端に見える。

 雫石の配下である翼を持った存在が襲ってきたのだ。

 空からの襲撃をかわして僕は少し気を抜いたのかもしれない。

 雫石はその隙を逃すことなく、日本刀で斬りつけてきた。

 普段の僕だったらそこで対処することが出来なかったかもしれないが、孟雄さんが送ってきた日本刀に潜む存在は僕の動きを支援していたようだ。

 僕の身体は男の動きに反応して上段から躊躇なく刀を振り下ろし、その攻撃は雫石の踏み込みの速さを上回っていた。

 雫石は僕の振り下ろした刀を受け止め、僕と彼は日本刀を交差させて至近距離で睨み合う形となった。

 彼の息遣いを感じられるほどの距離にいることで、僕の意識に何かが流れ込んでいることが感じられる。

 それはどうやら雫石の記憶のようだ。

 自分を殺すつもりで刃を向けている雫石と対峙していることを意識してはいるものの、僕はその記憶を追体験し始めていた。

 その記憶の主体は小学校の低学年程度の子供で、古い日本建築の人気のない廊下の隅で少し年上に見える男の子と向かい合っていた。

「玲のお父さんは本家筋のくせに何の能力も持っていないのだろう?親類の間で役立たずだって笑い物になっているんだぜ」

 記憶の中ではその男の子は倫朗という一つ年上の従弟だとタグ付けされており、同時にいつも絡んできては自分をいじめる嫌な奴だと連想が浮かぶ。

「ちがうよ。僕のお父さんは松陰家を運営する大事な仕事をしているんだよ」

 倫朗はせせら笑うと、噛んで含めるように説明を始めるのだった。

「松陰家の大事な仕事というのは陰陽師として依頼を受けた能力を使った仕事のことだ。お前のお父さんはその能力がないから、使用人でもできるような仕事をあてがうわれているだけなんだ。わかったか」

 子供にとって一歳の違いは太刀打ちし難い差となって現れる。

 倫朗は日ごろから年の差による体格の差をいいことに自分を小突き回していたのだが、それだけでは飽き足らずに親の話を持ち出して心理的なマウントを取ろうとしていたのかもしれない。

 しかしその話題は、親族との会話で何となく感じていただけに自分の癇に障る内容だった。

「ちがうよ。お父さんは立派な人なんだ」

 むきになって拳を振り上げたことは倫郎にとって意外だったようで、子供の頃からそれなりに武道の鍛錬を受けていたこともあって倫郎は鼻血を垂らして俯く結果となった。

「このお、役立たずの子供のくせに」

 倫郎は激高して暴力をふるい、それは子供の喧嘩の域を遥かに超えるものだった。

 腹を殴られてうずくまった時、何かの気配を感じて顔をあげると、倫郎は石造のように動きを止めて佇んでおり、屋敷の庭から聞こえていた蝉しぐれすら聞こえず周囲は静寂が支配している。

 そして、倫郎の隣には大きな木槌を背中に背負うように持った見慣れない人影が立っていた。

 その人影は茶色い髪をして長い前髪からは光る青い目が覗いている。

 普段と異なる状況に、成り行きを見守っていると、茶色い髪の人影は大きな木槌を振り上げて跳躍したのだった。



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