第558話 分身の術

 振り下ろされた木槌は倫郎の身体に叩きつけられていた。

 倫郎の身体は陶器のように細かい破片となって庭に散乱していく。

 それは夢の中の出来事のように感じられ、着地して木槌を背負った茶色の髪の人影を見つめていると周囲に物音が戻っていた。

 茶色い髪の人影は姿を消し、庭に目を転じるとそこには血だまりが出来ている。

 それが先ほどまで喧嘩をしていた倫郎だと気が付き、恐怖が心の中に広がっていった。

 惨劇の現場で泣き叫んでいるところを松蔭家の家人に発見され、倫郎を殺したのは人外の妖の仕業だと見なされた。

 自分が見た茶色い髪の人型の存在の話を素直に話した結果、陰陽師を営む松蔭家の家業故に妖の恨みを買い、年端もいかぬ子供が犠牲になったと判断されたのだ。

 倫郎に痛めつけられた傷を見た大人たちは、妖に立ち向かって生き延びたことを褒められさえしたのだが、自分では事実を理解していた。

 あの茶色の髪の妖は自分が呼び寄せて、倫郎を殺させたのだということは松蔭家の大人には理解できなくても当事者である自分には自明のことだったのだ。

 松蔭家ではお抱えの医師に頼んで死亡診断書を書かせ、倫郎の死は病死として扱われた。

 しかし、一族の中には自分を疑う者もおり、父は母と自分を連れて逃げるように松蔭家を後にしたのだった。

 新しい仕事を始めた父は苦労した様子だったが、今でも健在だ。

 そして自分は、父には内緒で大木槌と名付けた茶色い髪の妖を使って仕事を請け負うようになっていた。

 松蔭家はそもそも裏稼業を生業とする陰陽師であり、商売敵や恨みを持つ相手の呪殺を請け負う影の存在だった。

 自分は子供心に憶えていた顧客の一人と接触して呪殺を請け負い、首尾よく依頼者の商売敵を抹殺することに成功したのだ。

 それは、松蔭家が請け負っていた緩慢な効き目の呪詛と違い、交通事故を装ってターゲットを抹殺する大木槌の能力に依頼者は大いに喜んだ。

 そして口コミでうわさが広まり、持ち込まれる仕事は次第に増えていった。

 顧客を奪い合う関係でもあり、松蔭家が自分の存在に気づくのは時間の問題だと思えた。

 そうなれば倫郎を殺害した疑いが再浮上する可能性もあり、松蔭家とはいつか衝突することになるのではないかと考えている。

 しかし、そうなったときは戦うだけだと割り切っていた。父や自分を虐げた松蔭家に対しては恨みの念しかない。

 一度抗争になれば遠慮なく殲滅できると考えていたのだが、自分をつけ回していたのは全く無関係の異能力者の一団だったらしい。

 手の内がわからない集団との遭遇は得体の知れない不安を掻き立てるものだった。

 僕に流れ込んだ記憶は目の前の雫石の現在の思考へと収束していき、僕は彼に対して取るべき態度を決めかねていた。

「驚いたな。本当に松蔭家の差し向けた者ではないのだな。しかし、私は父や自分を虐げた松蔭家に復讐するために生きているのだ。青臭い正義感から私の邪魔をするつもりならば捨て置くわけにはいかない」

 雫石と僕の心は一時的にリンクして互いの考えや記憶が流れ込む状態となっていたようだ。

 それは、僕が彼の過去を知ったのと同じように雫石も僕の過去や手の内を知ってしまったことも意味していた。

「第三者の殺人を請け負うことは復讐とは関係ないはずだ。特殊能力を使って人を殺している奴を見過ごすことは出来ない」

 僕は今更後に引けなくて雫石を糾弾するが、僕自身の想いを彼も共有している訳で、僕が彼を倒すほどの武術を習得しているわけではないことは見透かされていると言って良かった。

「建前論で私と戦うのならばそれもいいだろう。その青臭い正義感が奥方やお子達の幸せな生活を壊さなければ良いがな」

 雫石の余裕のある表情でニヤリと笑いその恫喝は僕を怯ませた。

 雫石から間合いを取り頭上に日本刀を振り上げたものの、雫石を一刀で両断するほどの気迫も技量もない事が自分でもわかる。

 その時、を再び祥さんの声が響いた。

「ウッチーさん上に気を付けて」

 頭上から空気を切り裂く音が耳に届く。

 鷹のような翼を持つものが頭上から急降下しているのだと気付くが、頭上の敵に刀など振り上げているうちに雫石に斬られてしまう気がした。

 迂闊に動くわけにもいかず、頭上から鷹のような羽を持つ者の鈎爪の攻撃を受けることを半ば覚悟した時、正面で対峙していた雫石の顔に驚いたような表情が浮かぶのが見えた。

 雫石の視線をたどると、黒く長い影が僕の頭上を後方から高速度で通過するところだった。

 それは体の表面が漆黒の龍のような存在でその口には僕を襲おうとしていたタカのような翼を持つ者を咥えてその身をくねらせながら上空へ急上昇していく。

「黒龍なのか!?」

 背後を振り返ると祥さんが満面に笑みを浮かべて頭上を旋回する黒龍を見上げている。

 雫石は自分が使う式神が二柱とも封じられたことを悟り、僕の注意がそれたすきに猛然と攻撃を仕掛けていた。

 しかし、刺突で僕を刺し貫こうとする雫石に対して、僕の身体は意識するよりも早く反応していた。

 機先を制されたにもかかわらず、僕が振り上げた日本刀は目にも止まらない速さで振り下ろされた。

 雫石は受けの構えを取ることもできずに、頭部から僕の斬撃を受けた。

 そして、僕が振り下ろした日本刀が彼の身体を両断した時、その姿は和紙で作られた人型に変わり、二つに切り裂かれた紙の人型はひらひらと宙に舞った。

 やがて、周囲には都会のバックグラウンドノイズが戻り、駐車場や病院のロビーで遠目に人が動いているのが見て取れる。

 僕は孟雄さんが送ってくれた日本刀を鞘に納めると、駐車場のアスファルトの上に落ちた和紙の切れ端を拾い上げた。

 和紙でできた人型には真新しい血の染みがありそれが何か呪術的な意味合いで付着したものだと推察できた。

 僕は雫石が放った二柱の式神と彼の分身となった人型を拾い集めて病棟に戻ることにした。

「祥さん、黒龍を召喚できたんだね。おかげで助かったよ」

 僕が礼を言うと祥さんは当惑した表情で答える。

「本当に私が召喚したのでしょうか?もう一度やれと言われてもできる自信はないのですが」

「祥さん以外にそんなことを出来る者はいないよ」

 僕は手にした和紙の細工物と祥さんを交互に見比べながら、立て続けに遭遇した人外の存在を思い浮かべるのだった。

 病棟に戻ってから山葉さんの検査の終了まで僕たちはしばらく待たされた。

 戻って来た山葉さんは術後の経過は良く、がんの再発の兆候はないと告げたが、待ち時間の間に僕たちが遭遇した雫石玲の話をすると、表情を暗くした。

「その男手練れの式神使いの上に分身の術も使えるのだな。ウッチーと精神的に接触したということは私達の家も知ってしまった可能性があるだけに注意しなければ」

 僕たちの間に沈黙の時間が流れたが、莉咲を抱えた裕子さんが穏やかな口調で僕たちに話す。

「話を聞いたところではその男は婿殿と互角の腕前。その上、祥ちゃんの黒龍を目の当たりにしたのならばそう簡単には仕掛けて来ないはずよ。それに黒龍様に睨まれたのだから、分身を盾に逃げたご本人は帰る途中で交通事故にでもあっているかもしれないわ」

 楽天的な裕子さんの言葉は僕たちの緊張を和らげ、莉咲は親しい人たちが揃っているのでご機嫌だった。

 僕は雫石と再び接触する時があればどちらかは無事ではいられないと思うのだった。

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