第545話 生霊退治の祈祷

 沼は店の奥にあるカウンターまで戻って杉田さんがパンケーキを食べる様子を眺めていたが、隣に来た山葉が囁いた

「彼女には引きこもりの息子さんが居ると言っていたが、あれはもしかしたら息子さんが飛ばした生霊なのではないだろうか」

 山葉の物の怪霊に関する蘊蓄は、沼にの信じる宗教体系と違うこともあって理解しづらい部分がある。

「生霊ってどういう現象なのですか」

 沼が不思議そうに尋ねると、山葉は沼が理解できないと予測していたように生霊について説明し始める。

「生霊というのは文字通り生きている人間の想念が霊と化して他者に禍を及ぼしたりする現象だ。生霊というのは、人間の潜在意識を反映しているので、本人ですら生霊の仕業について感知していない事例も多いのだ」

 沼はよくわからない気分で、山葉が生霊とカテゴライズした事象がのそのそと動き回るのを見つめる。

 生霊は杉田さんがパンケーキを食べるところを少し離れた頃から見ているかと思えば、別のテーブルを覗くなど、落ち着きがなく、料理を運ぶ祥は迷惑そうに迂回している。

「そういえばその生霊みたいなやつは簡単な言葉を話していました。私に晩御飯食べた?と尋ねたくらいです」

「なるほど、先ほどからの動きを見ていると周囲の人間に危害を加えようとするそぶりも見せないので、その素性を考えていたのだ。もしも杉田さんの息子である引きこもりのおじさんが飛ばした生霊ならば、これから杉田さんのお家に乗り込んで生霊退治をしてみるのも面白いかもしれないね」

 山葉は本当に面白いと感じているらしく、気軽に出かけそうなそぶりを見せるが、沼は問題の生霊に自分のダガーの刃が立たなかったことを思い出し、事はそんなに簡単ではないのではないかと憂慮する。

「あいつはものすごく丈夫で厚い皮に覆われているので私はナイフを使って倒すことが出来なかったのです」

 山葉は沼の言葉を興味深そうに聞いていたが、自信のある表情で沼に宣言した。

「杉田さんが食べ終えたら彼女に浄霊を薦めてみよう。幸いラストオーダーを早めに設定しているから、祥ちゃんに任せておけば店はまわるはずだ」

 最近の山葉は、以前ほどカフェの業務に執着しなくなっており、今回もフロアマネージャー的な業務を祥に任せて祈祷に赴くつもりのようだ。

「私も一緒に行ってもいいですか」

 沼が遠慮がちに尋ねると、山葉は屈託のない笑顔を浮かべる。

「この獲物を見つけたのは沼ちゃんだから、一緒に浄霊する権利があるというものかな」

 沼はそんな権利を主張するつもりは無かったが、生霊事件の結末を見届けたい気持ちは強い。

 やがて、杉田さんがパンケーキセットを食べ終えたところを見計らい、山葉は客席に赴くと彼女に浄霊の祈祷を勧め始めた。

「本日はうちの店員がお世話になりました。ところで、私達は悪霊や妖の類に取り憑かれた方々を浄霊するサービスも請け負っているのですが杉田様には私の見たところ生霊と思われるものが取り憑いているのです。よろしかったらこちらのパンフレットに乗っている浄霊の祈祷を受けてみませんか」

 杉田さんはちょっと胡散臭そうな表情で山葉の話を聞いていたが、大きなため息をついてから山葉に答える。

「私に取り憑いているとしたら死神かもしれないわね。実は私は区の健康診断新案を受診して胃癌の疑いがあると診断されたの。近いうちに手術を受ける予定で、今日は医療費の上限額の申請をするつもりだったけれどそれはまた後日にするわ。でも、ご祈祷をしていただけるなら私の死神ではなくて息子をお祓いして欲しいくらいだわ」

 沼は彼女が癌の手術を控えていると聞いて驚いたが、息子の祈祷を依頼するとしたら山葉の想定に沿って話が進んでいるようだ。

「そうなのですか。私が見たところ死神はいないと思いますから、息子さんの祈祷を考えてみましょうか。息子さんは何か祈祷を執り行ったらよいと思えるような状況でもあるのですか?」

 山葉が尋ねると、杉田さんは少し沈んだ表情で話し始める。

「私の息子はもういい年なのですが、以前にうつ病と診断されて仕事を止めてしまったのです。医師に掛かり投薬治療で症状は改善したのですが、人の前に出るとお腹が痛くなると言って外出すらしなくなり、数年が過ぎてしまったのです。あなたのご祈祷を受けたら息子の気分が変わって外に出る気にならないかと思ってお願いしようかと思っているの」

 沼の見たところでは、杉田さんは祈祷の類を信じるタイプではないが、息子のために藁をもすがる思いで依頼しているように思える。

「そうですか。息子さんに対して直接に害をなしているものが居ればそれを祓うこともできますし。祈祷を受けたことによってプラシーボ効果で外出する気分になるかもしれませんね。息子さんはこのお店に出てくることも難しいのでしょうか?」

 山葉の質問に杉田さんは考え込む。

「そうね。息子も時々は外出することああるけれど、せいぜいコンビニとか電気屋さんに行く程度なので、ここに連れてくるのは難しいかもしれない」

 杉田さんの言葉を聞いた山葉は更に畳みかける。

「それでしたら出張で祈祷して差し上げることもできますよ。料金はこちらに書いてありますが。ご近所なら経費もそう掛かりませんよ」

 杉田さんは山葉の巫女姿の写真が印刷されたパンフレットを眺めていたが、山葉の顔をじっと見つめてから答えた。

「それでは、出張で祈祷していただこうかしら」

 山葉は満面の笑みで杉田さんの言葉を聞いていたが、壁に賭けた時計を見ながら杉田さんに尋ねた。

「この後お時間が取れるようでしたら、杉田様が帰られるのに合わせて私たちがお宅まで出かけることもできますよ」

 杉田さんは、熱心な山葉に押し切られた雰囲気でうなずいて見せる。

「わかりました。一緒に家まで来てくださいな。息子に連絡すると逃げてしまうかもしれないからサプライズでお祓いしてもらうことにしましょう」

 山葉は客席から食器を回収している徹を手招きしながら杉田さんに告げる。

「祈祷用の荷物もありますので私どもの車でお送りします。少しお待ち下さい」

 山葉はトナカイさんの扮装の徹と荷物の打ち合わせを始めた。

 沼は、杉田さんが車に乗生霊も車に乗り込むのだろうかとその状況を想像していた。



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