第533話 憑依のレベル

 山葉さんは眠り続ける森田さんの顔を見ながら話し始めた。

「森田さんはそもそも霊感が少ない人だ。凶悪な霊が出合い頭に取り憑くとしたら、霊感が強い鳴山さんなのだ。しかし森田さんは何かの霊に憑依されていることが疑われるうえ、別人と思われるほど豹変する状態まで至っているからには何かの原因があるはずだ」

 僕は彼女が話している間に文庫本を拾い上げていた。

「ウッチー、その本には死霊が潜んでいるかもしれないのに」

 山葉さんは心配そうな表情で僕の様子を窺うが、僕は文庫本に接触しても何も起きないという確信があったのだ。

「美咲嬢の結界は強力ですからたとえ霊が憑いていたとしても、さっきの閃光でどこかに飛ばされているはずですよ。山葉さんと祥さんは霊が宿った石を持ち込もうとして自分たちの魂も弾き飛ばされたことがありましたよね」

 山葉さんは僕の説明に納得した様子だが、同時に不思議そうに鳴山と森田さんを眺める。

「そういえばそうだ。鳴山さんは意識不明にこそなったが霊魂は身体に残っているが、何故私たちのケースと相違が生じたのだろう?」

 鳴山さんは僕たちの会話を理解するにつれて顔色が悪くなっていくのが明らかだった。

「ちょっと待って下さい。俺たちはそんな危険な状態だったのですか」

「うむ、事前に警告すべきだったが私がうっかりしていた。大変申し訳ないことだ」

 山葉さんあっさりと謝ったが、鳴山さんの顔色は回復しない。

 僕は鳴山さんに改めて詳細な状況説明をしようとしたが、森田さんが身じろぎしたのが目に入った。

「森田、大丈夫か?俺がわかるか?」

 鳴山さんは森田さんの雇い主でもあり真っ先に声を掛けたのだが、森田さんはうなされているように小さな声を漏らすものの目を覚まさない。

「森田さん聞こえますか。聞こえたら返事をしてください」

 山葉さんが問いかけると森田さんはうっすらと目を開けた。

「ここはどこなんだ?」

 森田さんは覗き込んでいる僕たちの顔を順番に見てからゆっくりと上体を起こした。

「森田、ここはカフェ青葉のスタッフ用スペースだよ。俺たちは幽霊と一緒に結界を抜けようとしたために結界に引っかかってしまったらしい」

 鳴山さんが状況を説明すると森田さんは、理解できないという雰囲気で尋ねる。

「結界ですか?なぜ僕たちがそんなものに電撃攻撃されなければならないのですか?」

 鳴山さんが答えに窮しているので僕は代りに説明することにした。

「森田さん、実はあなたに霊が取り付いていた可能性が高いのです。結界の効果で取り憑いていた霊は排除されたと思うのですが念のためにお祓いをすれば完璧だと思いますよ」

「え?僕が取り憑かれていたのですか?そんなはずはないと思いますよ僕はいつもと変わりなく生活していたのですから」

 森田さんはシャープなイメージに変貌した顔で僕に訴えるが、依然と変貌著しい顔なのに本人は自覚がないのが不思議だ。

「今まで何回かミニヨン二号館でもお祓いをして見せたが、あれと同じだ。違うところは祓う対象があなたに憑いている霊だという事かな」

 山葉さんは森田さんに穏やかな笑顔を浮かべながら告げるが、森田さんは不安を抱えた雰囲気が拭えない。

「森田、今日はそのためにお邪魔したのだから、彼女にお祓いしてもらおうぜ」

 鳴山さんが森田さんに勧めると彼は答えた。

「そうですね。頭がぼんやりとしていた感じですがやっと思い出しました。山葉さん是非お祓いをお願いします。僕の仕事の能率が落ちているのが霊に取り憑かれているためだとしたら、何とかしてもらわないと困るのです」

 森田さんの言葉を聞いて、山葉さんはゆっくりと立ち上がった。

「よし、それではこれから式王子を使った浄霊に取り掛かろう。森田さんはこの部屋の中央に座ってくれ」

 山葉さんは午前中に祈祷の準備をしていたので和室の中央には式王子をセットした「みてぐら」がしつらえてあり、いつでも祈祷を始められる状態だった。

「あ、祈祷って結構時間が掛かるんですよね。ちょっとトイレに行っていいですか」

 森田さんが訴えたので、僕は彼にトイレの場所を教える。

「店舗側のトイレを使ってください。そのドアからカフェの店内に入れますから左にトイレがあります」

「ありがとうございます」

 森田さんは和室の畳から一段低い床の上にある自分の靴を見つけて履くと、バックヤードから連保に続くドアを開けてトイレに行った。

「彼に霊が取り付いていたにしては結界でダメージを受けた様子がなくてよかった」

 山葉さんがつぶやいたので、僕は自分が考えた仮説を披露することにした。

「これは僕の推論でしかないのですが、美咲嬢の結界はこの建物に進入しようとする霊や妖には強力に作用するけれど、人に取り憑いた霊に対してはパワーセーブするのかもしれませんね。そうでないと、人に寄り添っている祖先の霊やその人自身の魂にも反応してしまい、誰もこの建物に入れないことになってしまうからです」

 山葉さんは僕の言葉からいろいろなケースを思い浮かべていたようだが、やがて僕に言った。

「その仮説は正しいと思う。かつてウッチーに霊が取り付いていたことは幾度かあったが、この建物に入る時にウッチーが結界に引っかかった記憶はない」

 鳴山さんはバックヤードと店舗の間のドアに目を向けながらぼくに明るい笑顔を向けた。

「どうやら、浄霊していただけそうですね。このところ森田の調子が悪くて在庫管理が滞っていたので、元に戻ってくれないと困るのですよ」

 僕は結界騒動で中断していたミニヨン二号館のトラブル解決に向けたお祓いを始められることを疑わず、室内の配置を整えて祈祷の準備をはじめたが、山葉さんがスタンバイを整え、いつでも祈祷できる状態となっても森田さんはトイレから戻ってこなかった。

 間延びした時間が過ぎた後、僕はオーダーを受けた料理を運ぶためにバックヤードに来た祥さんに尋ねた。

「森田さんがトイレに行ったまま戻らないのだけど、まだ出てこないかな?」

 祥さんは僕の言葉を聞いて怪訝な表情を浮かべた。

「森田さんってさっき入り口で倒れていたのを運んだ人ですよね。バックヤードから出てきて帰ろうとしていたので、大丈夫でしたかって声を掛けたのですけど、もう大丈夫だけどちょっと頭痛が残っているから先に帰ることにしたと言って帰って行きましたよ」

 僕は、冷水を浴びせられた気分になった。

「しまった、私は森田さんに衝いた霊は彼に霊感がない故に潜在意識を通じた暗示等で彼を支配している程度だと思っていたが、実際は完全に彼の身体をコントロールしていたに違いない」

 山葉さんの言葉は全てを説明しているように思え、僕は言葉を失っていた。

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