第523話 血の抱擁
リビングルームから階段まで続く廊下にはドアが二つ存在しており、それはいわゆる客間的な部屋と亡くなった悦子の父の居室だった部屋だ。
そのうちの客間に続くドアのうこうから物音が聞こえることに気が付いて、隼人は足を止めた。
「このドアの向こうから何か聞こえる」
自分の後に続いて歩いている未来を振り返って小声で話すと、未来も物音に集中しているように目をとしたまま答える。
「私にも聞こえる。悦子さんが自室にいるとは限らないから覗いて見よう」
隼人は未来の言葉にうなずいてからドアノブに手をかける。
既に自分たちは妖が支配する時空に取り込まれているという自覚があるので、ドアを開けるという行為にどれほどの意味があるのか疑問だったが、それを開けない事には内部を窺えない事は確かだった。
ゆっくりとドアノブを回すと、そこは施錠されておらず何の抵抗もなくドアは開く。
ドアの内側は床の間がしつらえられた和室で、襖で仕切られた別室が存在することも見て取れる。
床の間に続くスペースに日本刀と脇差が飾られ、部屋に足を踏み入れると足の下には畳の感触が感じられた。
先程聞こえた物音の正体が何かわからず、更に部屋の中に足を踏み入れるが和室に置かれた家具調度は少なく六畳間の中央に置かれた座卓が目に付く程度だ。
座卓の手前まで進んで部屋の中を見回そうとした時隼人は背後から突き飛ばされたように感じた。
「兄者!!」
未来の声が耳に入るが、隼人は畳の上に倒れてその上には何かがのしかかっていた。
顔をあげると目の前には大きな牙を持つキチン質の口器が迫っており、その上には太い触角と二列に並んだ光る目が見える。
それは、リビングルームで見たのと同程度の巨大アシダカグモだった。
隼人は自分に突き立てられようとしている牙そのものを片手でつかんで防ぎ、残りの手に持った包丁をアシダカグモに突き出すが、厚いキチン質に阻まれて包丁は刺さらない。
隼人が焦って包丁を振り回していると、巨大アシダカグモは急に動きを止めた、隼人が不思議に思いながら自分の上に覆いかぶさったアシダカグモの下から這い出すと、未来が部屋に飾られていた日本刀を抜いてアシダカグモの胸部に突き刺したところだった。
「これでおあいこだ」
未来は微笑を浮かべてアシダカグモから刀を引き抜くと、刀身に付着した青みがかった透明な液体を振り払った。
「ついでだからここも調べてみよう」
未来は無造作に隣室との間を仕切る襖を引き開けたが、隼人はその中を見て息を飲んだ。
部屋の天井から白いロープのようなもので悦子が逆さにぶら下げられており、部屋の中には数体の巨大アシダカグモが蠢いているのだ。
「悦子さん!今助けてあげる」
未来は日本刀を手にして、部屋の中に居る巨大アシダカグモに果敢に挑みかかった。
隼人も包丁を手に巨大アシダカグモと戦わざるを得ない。
アシダカグモは前足を高く上げた姿勢から、意表を突くような速さで隼人に襲い掛かったが、隼人は身をかわすとアシダカグモの頭胸部の上に飛び乗っていた。
そして、キチン質の堅い外骨格でできた頭胸部の中央辺りを狙って両手で持った包丁の切っ先を振り下ろす。
隼人の全体重を包丁の先端に込めた攻撃はキチン質を突き破り、中枢部を破壊されたアシダカグモは八本の足を丸く折り畳んで痙攣を始めた。
隼人は足先からチリのように砕けて崩壊を始めたアシダカグモから飛び降りたが、部屋の中では未来が日本刀を振るって他のアシダカグモと戦っている。
その時、未来が振り回した日本刀が支えていた糸を切ってしまったのか、天井から吊り下げられていた悦子が落下するのが見えた。
隼人は、手にした包丁を放り出して悦子に駆けよった。
「えっちゃん大丈夫か!」
隼人は、悦子が頭から落下したのを見て首の骨が折れたのではないかと心配したのだ。
悦子を助け起こそうとして手を伸ばした時、隼人は自分の腕が何かにぶつかったように感じた。
そして畳の上にホースで水を撒くような音に目を降ろすと、自分の右腕が切断されて血が噴き出しているのが目に入った。
茫然として悦子に目を向けると、悦子は大ぶりのダガーナイフを片手に金色に光る目を隼人に向けて無表情に見つめている。
「兄者、彼女は憑依されている。逃げて」
隼人は自分の腕が切断されたのに、痛みを感じないことを不思議に思っていたが、それは麻痺していただけでやがて右腕から全身を突き抜けるような激痛に襲われた。
「えっちゃん!正気に戻ってくれ僕たちは助けに来たんだよ」
隼人は手首を切断された右の二の腕を押さえながら、悦子に叫ぶが彼女は何の反応も示さずない。
そして、悦子がダガーナイフを片手に隼人に一歩踏み出した時、未来が日本刀で悦子を攻撃していた。
未来は目にも止まらないような速さで日本刀を横に薙ぐが、悦子は身をかがめてそれを交わした。
室内で戦うには日本刀の長さはむしろ邪魔になる。
未来が日本刀を振り上げようとして天井に刀身が接触して気を取られた瞬間に、悦子は逆襲していた。
未来の至近距離に踏み込んだ悦子は未来の太ももを一刺しして勢いを殺さずに畳の上を前転してから立ち上がる。
隼人は切断された腕を残りの手で押さえながら二人の間に割って入った。
悦子と未来が互いに殺し合うのを見るに堪えなかったのかもしれない。
「えっちゃん、目を覚ましてくれ、隼人と未来だよ」
隼人は懸命に悦子に呼びかけるが、悦子は金色に輝く目で隼人を睨むだけで応えない。
隼人の頭にはつい最近遊びに来た時の情景が頭に浮かんだ。
リビングのソファーに座り三人でアイスを食べながらくつろいでいた時に未来が言ったのだ。
「悦子さんと呼ぶのも堅苦しいからえっちゃんとよんでもいいかな」
未来はアイスを片手にのほほんとした雰囲気で言ったのだが、悦子は妙にうれしそうな表情を浮かべたのだった。
「えっちゃんか、私今まであまり友達がいなかったから、そんな呼び方されるのは初めてかもしれない」
隼人は口を挟むわけでも無くアイスを食べていたが、悦子のそんな表情を好ましく感じたのを覚えていた。
「兄者!じゃまだそこをどけ」
未来の叫び声が隼人の回想を破ったのと同時に、悦子はダガーを構えたまま隼人にぶつかっていた。
隼人は自分の脇腹に冷たくかたい感触が食い込むのを感じ、そこから熱を帯びた激痛が広がっていく。
「兄者!」
未来が叫ぶのが聞こえたが、隼人は切断された右腕と左手で悦子の身体を抱きしめていた。
そうか、僕はえっちゃんのことが好きだったんだと思いながら隼人は抱きしめる腕に力を入れ、切断された腕からは更に血が噴出して悦子の背中を赤く染めていった。
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