第524話 山葉の戦いが始まる
カフェ青葉の二階はオーナーである内村家とスタッフの祥の居住スペースとなっている。
子宮頸がんの手術の後、傷も癒えてきた山葉はお腹の子供が安定期に入れば自分もスタッフとしてカフェの業務に関わりたいと思っていたが、夫の徹は近くで見守っていないと不安を覚える状態なので日中も居住スペースで家族と共に過ごさざるを得なかった。
しかし、山葉は一歳半の娘と夫が一緒にいる部屋で日中からのんびりと過ごすのも悪くはないと思うのだった。
むしろ、神様が自分にゆっくりと休養を取るように、エアポケットのようなのんびりとした時間をくれたのかもしれないと都合よく考えている自分を可笑しく感じる。
それは、クモ使いの娘と山葉が呼んでいる山崎悦子からアシダカグモの妖が現実の時空に戻って来たので調教に入ると知らせが来たことによる気分的な余裕かもしれなかった。
徹を乗っ取って連れ去っていたアシダカグモの妖はカフェのスタッフや親しくしているお客さんの有志が協力して追い詰め、銀色の彫刻のような形骸と化していた。
山葉は別の時空に逃避していたアシダカグモの妖が自分の手が届く世界に戻ってくれば、いざなぎ流の祈祷を使ってアシダカグモの妖が徹から奪い去ったの魂の一部を取り返し、彼を元の姿に戻せる可能性が高まったと思っていた。
そんな時に、山葉のスマホからSNSの着信音が響いた。
もどかしい思いでスマホを取り出して内容を確認すると、そこには七瀬美咲からアシダカグモの妖を連れて行くので祈祷の用意をしてくれと記されていた。
山葉は、自分の心が手術後の療養のために強いて大人しくしなければとセーブモードで活動していたのが、トップギア切り替えられてフルに活動を始めるのを感じる。
「ウッチー、莉佐、これからアシダカグモの妖を退治するための祈祷を始めるよ」
巫女装束に着替えを始めながら二人に話しかけると、ウッチーはただ穏やかに微笑み返すだけだったが、莉咲はハイローチェアの上からうれしそうに、そしてそれらしく山葉に答える。
「めるよ!」
折しも午後の遅い時間なのでカフェの仕事も手が空いているはずでスタッフの祥やアルバイトに入っている沼も手伝ってくれるはずだ。
山葉は巫女装束に着替えると、かねて準備しておいた「みてぐら」を手にして階下に降りることにした。
カフェのバックヤードにある和室を使って祈祷を行うつもりなのだ。
「莉咲も行く」
子供は親の雰囲気に敏感だ。
莉咲は山葉が何か面白いことを始めようとしているのを敏感に察知して自分もいっしょに面白い出来事を体験しようと思ったのだ。
苛立ち気味な莉咲を見た徹は、立ち上がると莉咲をハイローチェアから抱き上げて山葉の後を追った。
徹は自発的に動けないわけでも無いが、それは第三者が働きかけた時に限られる。
山葉がいざなぎの間と呼ばれる和室で祈祷のための祭具を準備していると、気配を察してカフェのフロアから様子を見に来た祥が言った。
「山葉さんどうしたのですか?今日はいざなぎ流関係のお客さんが来る予定は無かったと思いますけど」
「実は美咲嬢からアシダカグモの妖を連行するから祈祷の準備をしておくようにと連絡が入ったのだ。ウッチーを元に戻すことが出来るかもしれない」
山葉は式王子を「みてぐら」に設置しながら上機嫌で答える。
祥は期待していた出来事とはいえ、その内容を考えて心配そうな表情を浮かべた。
「あの妖の能力は相当強力なものだったし、妖を倒すことでウッチーさんを元に戻せるかも未知数なのですよね」
山葉は祥の言い分が妥当な内容だと頭の中では認めながらも、自分の心が何か楽しい事でもするように浮き立っていることを自覚していた。
山葉と祥が会話をしている間に、いつの間にか沼もフロアに通じるドアから顔を出して立ち聞きしていた。
「わたしに出来ることが有れば手伝いますよ」
沼に片手をあげて答えながら山葉は二人に告げた。
「二人ともあの妖に何らかの危害を加えられた可能性があるから、手が空いていたらここで立ち会ってくれ」
沼と祥はうなずいた。カフェのフロアには小西もアルバイトに入っているので今の時間帯なら短時間ならば小西一人でもカフェを回せるはずだ。
その時、建物の裏口でドアが開く音がした。
「美咲嬢が到着したのかな?」
「私は様子を見てきます」
山葉が手を止めてつぶやくと、祥は裏口に向けて駆け出して行った。
しかし、その直後に祥はどやどやと入ってきた美咲嬢配下の一団に気圧されるように戻って来た。
美咲嬢と黒崎氏は外科医が着るようなユニフォームを身にまとっており、海外旅行に使うような大きなトランク引いていた。
辺りには消毒薬の臭いが漂い、後ろからツーコと上門が医療用と思しき機材を抱えて続き、
さらに、あちこちに包帯を巻いた未来が同様に包帯だらけの隼人がよろめくように歩くのを支えている。
「何事だ!?」
山葉が茫然として尋ねると、美咲嬢は淡々と説明を始めた。
「あなたが言うクモ使いの娘であるところの悦子さんが、アシダカグモの妖の調教に失敗したのですわ。彼女は乗っ取られ学校を無断欠席したため、隼人君が未来ちゃんを伴って様子を見に行ったところ、妖に憑依された悦子さんと壮絶な戦いとなったのです」
黒崎氏は自分が抱えてきたトランクをいざなぎの間に置くとその蓋を開けたが、そこには切断された人間の二の腕から先が両手分と、膝から下あたりの足が二つビニール袋に包まれた状態で氷に埋められていた。
「ちょっと、手!?足!?バラバラ?」
山葉はトランクの中身の異常さに驚いて、ちゃんとした文法でしゃべれなかったが、彼女の言いたいことは十分美咲嬢に通じていた。
「身体能力の高いキツネ系妖同士の戦いは激しいものでしたが、隼人君が片手を切断されわき腹も刺されながら、悦子さんの動きを止めることに成功。その隙に未来さんが悦子さんの手足を日本刀で切断して制圧したのです」
山葉はトランクから出てきた切断された人体をみて気分が悪くなりながら美咲嬢に尋ねる。
「こんなことをしてしまって悦子さんはこれからどうしやって生きていくのだ?」
美咲嬢は隼人を手招きすると、包帯でぐるぐる巻きにされた彼の右手の指の辺りを胸ポケットに刺していたボールペンの先で強めに突いた。
ボールペンで指を突かれた隼人は顔をしかめて声を漏らす。
「いてて」
「私が雑に縫合して包帯を巻いただけなのに、既に神経までつながりかけているようですわね。この子たちの身体は鬼のように回復力が強いから、たとえ切断して放置しても新しい手や足が再生する可能性すらありますの。但し、それには時間を要するので切断部位をつなぐ方が回復は早いはずですわ」
美咲嬢はクールに解説するが、隼人は口を尖らすと見当違いな文句を言う。
「鬼に例えないでくださいよ。イメージが悪いじゃないですか」
その横で未来は自分が斬り落とした、仲間の手足を無言で眺めている。
「それでは、悦子さんは?」
山葉が尋ねると、美咲は自分が運んでいたトランクを畳の上で開けた。
狭い空間に閉じ込められていた中身は転がり出ると、獣のようなうなり声をあげてその体をくねらせた。
それは悦子で切断された手足は止血帯で縛られ、拘束衣がその自由を奪っている。
しかし、山葉に向けた顔は恐ろしい形相を浮かべその目は金色に輝いていた。
「治療にかかるには、彼女に憑依した妖の意識を取りのぞかなければなりません。山葉様よろしく」
「らじゃ」
山葉は暴れる悦子の様子を放心したように見ていたが、美咲嬢が自分に依頼したことに気づいてどうにか意味が通じる言葉を発した。
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