第514話 観音菩薩探求の旅

 祥は隆夫と一緒にカフェ青葉に戻った。

 定休日の札が掛かった店内では山葉と徹が店舗のテーブル席に座って待ち受けている。

 祥たちの姿を見た山葉は席を立って出迎えた。

「祥ちゃんのおかげでウッチーの思考能力が温存されていることが証明されたよ。このうえはあのアシダカグモの妖を私の祈祷で追い詰め、ウッチーから持ち去ったものを取り返せば何とかなりそうな気がする」

 山葉の言葉はアシダカグモの妖に対していつ祈祷をするか触れていないがそれは悦子の調教の状況次第なのだ。

 祥は山葉や莉咲のこれからを考えると悦子の調教が滞るのではないかという考えを否定するように首を振り、強いて明るい声で山葉に言った。

「隆夫さんは仏像づくりに行き詰っているのだそうです。彼がウッチーさんと一緒に時空転移した地域を探して、その時に隆夫さんが作った観音菩薩像が現在も残っていたら、それを見て仏像づくりの心を思い出すかもしれないと思ったのです。私達はそのことばかり考えて、ウッチーさんがその場所に心当たりがあるのではないかと思ってメールを送ったのです」

 山葉は微笑を浮かべて答える。

「そうやって普通に接したほうが本人も何気なく反応するのかもしれないね」

 祥は徹の表情を窺ったが、その顔には温和な表情が浮かんでいるものの、祥や隆夫を認識しているのかさえ定かでない。

 隆夫は自分たちに無反応な轍を見て悲しそうな表情を浮かべたが、気を取り直したように自分のスマホを取り出すとテキストを打ち込み始めた。

 そして、隆夫がメールを送信するとSNSアプリの着信音と共に徹の様子に変化が見られた。

 徹は自分のスマホに着信音に反応して、ポケットからスマホを取り出すとアプリを立ち上げてスマホの液晶を眺め、隆夫が送ったメールを読み始めたのだ。

 そして徹は素早い動きで返信を作成すると送信ボタンを押してスマホをポケットに戻し、再び無反応な雰囲気に戻る。

 徹からの返信を確認した隆夫は祥にスマホの画面を示した。

 そこには、簡潔な文章が記されていた。

『僕たちが時空転移した場所は奈良県の東部、三重県境近くにある曽仁村ではないかと思う』

 祥は温和な表情の徹の顔を見つめるが、彼は周囲の人間の呼びかけに反応しないのだ。

「ウッチーさん、スマホには反応するのにどうして私たちの呼びかけには答えてくれないのですか?」

 山葉はため息をついて祥に説明する。

「大学院のオンライン授業を受けてレポレポートを作成して返しさえするのに直接話しかけると反応しないことが多い。何か心理的な障壁が出来ているみたいなのなのだ、ありのままに言ってアシダカグモの呪いと言ったところかな」

 山葉は徹の顔を見ながら訥々と説明していたが、祥と隆夫を振り返って告げた。

「せっかくウッチーの意思が伝わったのだから、祥ちゃんたちはその場所を訪ねてみてはどうかな?特に何かあるわけでも無いかもしれないが、隆夫さんの仏像作成のためになるのならばウッチーの意思が生きるというものだ」

 祥は突然話を振られて考え込んだ。

「でも、奈良県ってずいぶん遠くだから今から出かけても明日の朝までに戻るのは難しいと思いますよ。それに隆夫さんの都合もあると思うし」

 祥としては常識的な部分で遠方に出かける場合の支障を考えてみたのだが、山葉は穏やかな表情で祥に言葉を続ける。

「祥さんも有給休暇もとらずに働いてくれているから、たまには遠出するのもいいだろう。明日一日なら私がフロア業務をすればどうにかなるよ」

 山葉は手術後の療養機関とはいえ体は動かした方が良いらしい、彼女の体を気遣って断るのも逆に気に障るかもしれず、祥は隆夫の顔色を窺う。バ

 隆夫は祥と山葉のやり取りを聞いていたので、祥と目が合うと微笑を浮かべて言った。

「僕は今から出かけて明日帰ることになっても何の支障もありませんよ」

 隆夫にそう言われると祥は断る理由が無くなり奈良県までの小旅行に行くことを検討せざるを得なくなったが、自分をモデルにしたという隆夫作の観音菩薩像を見てみたいという気持ちも存在することに気が付いた。

「それじゃあ、出かけることにしましょうか。私は三十分もあれば準備しますけど、隆夫さんは旅行の支度はどうされますか?」

 隆夫は自分の着ているカジュアルな服を見下ろしてから事も無げに答える。

「コンビニで下着の替えを買ったら一日ぐらい我慢できますよ」

 祥は彼が明日も同じ服で過ごすつもりなのを聞いて微妙な気分だが、山葉は気を紛らわそうかとするように祥に言う。

「そうか、祥ちゃんの準備が出来たら私が品川駅まで送ろう。京都から近鉄経由で奈良方面に行けば近そうだね」

 祥はもはや奈良まで出かけるしかなさそうだと悟り、自室に準備に行くことにした。

 一泊旅行に隆夫と一緒に行くことにも微妙に戸惑いがあり、服装も吟味したいところだったが、シチュエーションを考えるとそう時間もかけられない。

 仕方なく無難なコーデで着替えを準備し長野に帰省するときなどに使う小振りなキャスターバッグに荷物を詰めて階下に降りると、山葉の母親の裕子が莉咲ちゃんを抱えて姿を現しており、既に祥と隆夫をお見送りする態勢だった。

「お母さん、祥ちゃんを品川駅まで送ってくるからその間ウッチーと莉咲ちゃんを頼むよ」

「それくらいは大丈夫よ。あなたも退院してからずっと婿殿につきっきりだから、運転するのも気分転換にいいかもしれないわね」

 母娘の何気ない会話の中に、内村家の大変さを感じたような気もしたが、祥は気分を変えて観音菩薩探しをする気になっていた。

 山葉が運転するWRX-STIに乗せてもらい品川駅から新幹線に乗ると、祥は自分が東海道新幹線に乗ったことは数えるほどしかないことに気が付いた。

 いわんや奈良の山奥と言われても全く土地勘がない。

「隆夫さん、突然出かけることになったけれど、目的地まで行く方法とか見当つきそうなの?」

 隆夫は座席に座って自分のスマホをいじっていたが、祥の言葉に顔をあげて答えた。

「とりあえず、名古屋駅まで行って近鉄特急に乗り換えましょう。その後、松阪市でレンタカーを借りて目的地を目指すつもりです。宿泊は松阪市内のホテルにシングルを二部屋確保しました」

 隆夫は意外とてきぱきと旅行計画を立て、宿の予約等を取りつつある様子で祥はホッとしたのだった。


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