第513話 ウッチーのメッセージ
隆夫は夢の中の情景を思い起こすよう目を閉じて考えていたがやがて嘆息してつぶやいた。
「あの場所に辿り着けるとは思えませんよ。ウッチーさんとたどり着いた仏師一家の家の佇まいや周辺の山や谷の風景は思い出せるのですが、それはまるで違う世界の出来事のように思えるのです。その場所から都に出る道程さえも知ることが出来なかったので現代の地図でその場所を突き止めるのは難しいと思います」
隆夫の話はもっともに思えたが、徹ならばたとえ夢の中の出来事でも克明に覚えているらしいので手掛かりがつかめるかもしれないという思いが祥の頭に浮かんだ。
「ウッチーさんならその時の記憶を手掛かりにして位置情報を突き止められるかもしれないわね」
隆夫は顔をあげると表情を明るくする。
「そうですね。あの人なら落ち着いて周囲を観察しているから僕よりもたくさんの情報を記憶しているに違いありません。今日はカフェ青葉が定休日なのでしょう?ウッチーさんに場所の見当がつかないか聞いてみましょう!」
祥は隆夫が話に乗るのと同時に徹の現在の状況を思い出していた。
奥さんの山葉の話では、記憶や知識はそのままだというが、心の中身いわゆる意欲や関心そして欲望に相当する部分が欠落した徹が隆夫の相談に乗ることが出来るか疑問だった。
「隆夫さんごめん、彼は妖との戦いの後遺症で普段とは違う状態になっているの。私がそのことをうっかり失念して口にしてしまったので、面会しても話が出来るかわからないわ」
祥は自分の失言としか考えていなかったが、隆夫は祥の予想外の反応を示した。
「ウッチーさんがそんな状態になっているのなら、どうして僕に言ってくれないのですか。僕は彼のおかげで時空転移体験を乗り切れたのですから力になれないまでもせめてお見舞いくらいは行きたいですよ」
隆夫の言い分はもっともだったが、問題は山葉が徹との面会を許してくれるかであり、祥にはそれは難しそうに思えた。
「日常生活に支障はないみたいだけれど、人と会うのは難しいかもしれない」
祥はむしろ遠慮がちに徹の状況を告げたのだが、隆夫はスケッチに使っていた鉛筆を置くと自分のスマホを取り出してSNSアプリでメールを送ろうとしていた。
祥が止める間もなく隆夫はメッセージを送ってしまった様子で、祥は来るはずのない返事を持つことになったのかと憂慮する。
しかし、祥の懸念と裏腹に隆夫のスマホからは着信音が響いたのだった。
「祥さん、ちゃんと返事がきましたよ。内容も今日はカフェがお休みなので午後に会うのは大丈夫だと書いてあります」
祥は意外に思って山葉の携帯にコールしていた。
山葉は二回目のコールで応答した。
「山葉さんですか?祥ですけど、今隆夫さんがウッチーさんのスマホにメールを贈ったらちゃんと返事が戻ってきたのです。ウッチーさんは正常に戻ったのですか」
スマホから響く山葉の声は少し明るく聞こえた。
「私もウッチーがメールに応答する様子を見て驚いたのだが、ウッチーは意欲がないだけで記憶や能力はそのまま残っているのだ。私が思うには、スマホの機能を記憶しているから着信音に反応して返事を作成して送信するところまでやってしまったのかもしない」
山葉の言葉をそのまま受け止めると、徹が本能的にしか動いていないように聞こえて悲しくなるが、祥はあることに気がついていた。
「待って下さい。ウッチーさんのメールの文面には彼の意思が反映されていました。スマホを使えばウッチーさんと意思疎通ができるのではありませんか」
彼の心の中には家族に対する愛情が残っており、愛娘の莉咲ちゃんを前にすると穏やかな笑顔を浮かべて彼女と遊んであげることが出来るのだが、それ以外のことは彼の意思というより、目の前に差し出された食事を本能的に食べる程度の反応しか示さず、周囲がきっかけを作らないと自分ではほぼ何もできない状態なのだ。
「私もそんな気がしているのが、ぬか喜びにならないように自分で予防線を張っているのだ。とにかく隆夫さんには来てもらい、様子を見たいと思う」
祥は山葉の言葉の端々から彼女の心労とわずかな希望にすがろうとしている気持ちを読み取って、重苦しい気分になった。
「今日は写生をこれくらいで切り上げてウッチーさんに会いに行きましょうか」
隆夫は事情を知っても臆する様子なく祥に話しかけ、祥は自分の心の中に何かが沸き上がるような気がしたが、それはつかみどころ無く立ち消えて行った。
今沸き上がった想いは何だったのだろうと祥は思い返すのだが、それはつかみ取ろうとする指の間をすり抜ける魚のように素早く逃げ去り、祥はその片鱗も思い出せなくなってしまった。
「どうしたのですか祥さん」
隆夫が呼び掛けたことで祥は我に返り、自分の心を通り過ぎた何かを思い出そうとする行為を放棄して隆夫との会話に復帰した。
「今のウッチーさんと会っても、おそらく会話は成立しないと思います。これから会いに行くのはいいのですが、もう一度メールで質問してみませんか」
「何を質問するのですか」
隆夫は不思議そうな顔で祥に問いかける。
「もちろん、隆夫さんとウッチーさんがいた場所の手掛かりです。そしてもう一つ、ウッチーさんを元に戻す方法は無いのかと」
祥は隆夫に話しながら自分が見当違いなことを隆夫に指示しているのではないかと心配だったが、徹の状況を改善するために少しでも手掛かりが欲しかったのだ。
「わかりました。早速送信してみますね」
隆夫は祥の話にそってSNSアプリにテキストを打ち込むとわずかな時間の後には質問を徹とのタイムラインに送信していた。
祥は息を詰めるようにして隆夫と顔を並べて彼のスマホの画面を見ていたが、隆夫の質問に既読マークがついてからほどなくして最初の質問に対する答えが来た。
『屏風岩をランドマークとして探せ』
隆夫は文面を見ると同時に歓声を上げた。
「凄い、ウッチーさんはあの場所の目星をつけていたのですね。早速ネット検索でその場所に当たりを付けます」
隆夫が地図アプリを立ち上げようとした時に、祥は彼の動きを手で制していた。
「待って隆夫さんもう一つの答えが戻ってきている」
祥がスマホを示すと、隆夫はスマホの画面を見て表情を硬くし、それは祥も同じだった。
スマホに示された徹の返事には予想外の情報が掛かれていたのだ。
『僕や祥さん達を元に戻すにはアシダカグモの妖を消滅させるしかない。あの妖は恨みを持って死んだ女性が妖と融合したものなので注意しろ』
祥は失踪した徹を連れ戻そうとした時にアシダカグモの妖が支配する空間で妖の化身と対峙したことを思い出した。
その姿が黒衣の美しい女性だったことが徹のメッセージと符合すると思えて、心の中に冷たいものが走るのを感じるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます