第506話 クモの糸
祥は駐車場に足を踏み入れるとその物体に近寄った。
それは鏡面のように光を反射しているが妙に生物的な曲面に覆われている。
「何よこのメタルキングみたいな物体は」
祥はスマホでプレイしているロールプレイイングゲームのモンスターに似ていると思ったが、無論その物体に顔が付いているわけではなく、直径十メートルほどの球体が重力によって滴型にひしゃげた姿が似ているに過ぎない。
祥は水銀の滴のように光を反射する表面は力場のようなもので自分の身体はそれを通り抜けられると思って表面を触ろうとしたが、祥の手は物体の表面で遮られ掌には冷たく無機質な感触が伝わるのみだった。
祥が周囲を見回すと、いつもはカフェ青葉のガレージに鎮座している内村家のWRX-STIが駐車しているが車内に人影は見えない。
問題の物体があるのはWRX-STIとホテルグレースイン池袋の裏口を結ぶ線上だった。
祥の推理ではWRX-STIに乗っていたはずの沼と雅俊がホテルグレースイン池袋の裏口から出てきた徹と遭遇し、そこで何か霊的なイベントが発生した結果ではないかと思えた。
「私の接触を拒むということはすなわち結界のようなものが張られているに違いない。ならばその結界祓って見せよう」
祥は謎の物体の表面に手を触れると祓い言葉を唱え始めた。
「掛けまくも畏きかけまくもかしこき伊邪那岐大神いざなぎのおほかみ筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原につくしの日向の橘のをどのあはぎはらに禊ぎ祓へ給ひし時にみそぎはらへたまひしときに生り坐せる祓戸の大神等なりませるはらへどのおほかみたち
諸々の禍事・罪・穢もろもろの禍事罪穢有らむをばあらむをば祓へ給ひ清め給へと祓へたまひ清めたまへと白すことを聞こし召せとまを申すことを聞こしめせと恐み恐みも白すかしこみかしこみもまを申す」
祓い言葉を唱え終えると物体の表面に触れていたはずの祥の手は何の抵抗もなくその表面を突き抜けてその中に入り込んでいた。
祥は手に続いてその物体の中に足を踏み入れ、するりとその中に入り込んだ。
それまで祥は、生きとし生けるもの全てが時間を止めたような静寂の世界にいたのだが、鏡面を突き抜けてその内部に入るとけたたましい音が祥の耳に飛び込んで来た。
祥は最初その音を識別できなかったが、やがてそれが女性の悲鳴だと気が付いた。
「いやあああああああ」
その声は何となく沼の声のように思われる。
「沼ちゃん、何処にいるの?」
外の陽光に目が慣れていた祥の目にはその空間は漆黒の闇のように見えたのだ。
しかし目が慣れると、鬼火のようなかすかな光がそこかしこにあり仄かな明りがその空間を照らしている。
そして、薄暗い空間の中には足早に歩いている状態でフォログラムにされたような雅俊の姿と、足元に転がる二つの白い塊が目に入った。
内部に取り込まれた人間も動きを止めていることは想定していたので、雅俊が彫像のように佇んでいることには驚かなかったが白い塊は祥の想像を超えていた。
祥は恐る恐る白い塊に接近したがその一つからは徹の顔がのぞいており、その顔は半分ほどが黒ずんで干からびたミイラのように見える。
祥はもう一つの塊が沼ではないかと思い持っていた日本刀を抜いた。
これがアニメならば祥が日本等を一閃すれば切断された白い物質がはらりと落ちて中から沼が現れるのであろうが、祥は高校生の時友人が抱き枕を通販で取り寄せた話を思い出していた。
友人は届いた梱包を解くためにカッターナイフを使ってダンボール紙の包装を切り裂いたのだが、勢い余って抱き枕も真っ二つに切ってしまっていたという話だ。
祥は白い物質が沼の肌に張り付いていることを想定して慎重に刀を使って斬り開くことにした。
人体の形状を思い浮かべながら白い物体の形を検分した結果、頭と胴体の間の部分には少なくとも隙間があるはずだと見当がついた。
祥は日本刀の刃を上向きにして白い塊の首のあたりにあるとも割れる隙間に切っ先を差し入れて白い物質を斬り開いた。
一度切れ目を入れ内側から手を添えることで、膜状の白い物質を「中身」から引き離すことが可能となり祥は白い人型の顔をむき出しにすることが出来た。
その顔は沼のもので、目を開けてこちらを見る様子から祥の顔を認識していると思えた。
「沼ちゃん大丈夫?」
祥が呼び掛けると沼はかすかにうなずいたように見えたが、彼女は不意に目を大きく見開くと叫んだ。
「祥ちゃん後ろ!!」
祥は後ろを振り返ろうとしたがそれよりも早く後頭部をしたたかに殴りつけられていた。
「きゃああああ」
沼は祥が撲殺されたと思って悲鳴を上げたが、祥は痛む後頭部をさすりながら後ろを振り返った。
そこには黒で統一された服を着た女が立っており、その手には掃除用のモップが握られている。
「お前が徹さん失踪の犯人か!?」
祥は自分の頭蓋骨が意外と丈夫だったことに感謝しながら日本刀を構える。
黒衣の女は木刀よろしくモップの柄を構えているが、祥は頓着しないで日本刀を力いっぱい振り下ろした。
黒衣の女が構えていたモップの柄は斜めに切断され、女はモップの柄を放り出して後退する。
よく見ると女の片手は子供のように小さく、まるで切断されてから小さな手を再生しているところのように思えた。
片手しか使えなかったとしたら、モップの柄で殴られても大した怪我をしなかったことも納得できる。
祥は自分がいる周囲の時間が止まったかのように見える時空間を支配しているのは、眼前の黒衣の女だと考え、黒衣の女を斬り捨てたら時間の進行も元に戻り、徹も取り戻せるに違いないと思い、日本刀で攻撃することを決断した。
祥は鋭い踏み込みと同時に女の鎖骨の辺りから斜めに刀を振りぬこうとしたが、岩に斬りつけたような手応えと共に日本刀の刃は女の肩の辺りで止まっている。
祥は女の肩に食い込んだ日本刀の刃を外そうと試みたが、その瞬間に顔の正面が白い膜に覆われて視界を奪われていた。
祥は沼が白い膜に覆われていたことを思い出して慌てて取り除こうとしたが、自分の両手は日本刀を構えたまま固定され、動かすことは出来なくなっていた。
祥はしまったと思い、日本刀から手を離して自分を絡めとろうとしている白い膜を外そうと試みたがすでに身動きもできない状態となっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます