愛ゆえに堕ちる者

第492話 無口な依頼者

カフェ青葉は今年の夏を比較的平穏な状況で乗り切ろうとしていた。

都内の新型コロナウイルスの感染者数は過去最悪のレベルと言って良いが、僕たちもそれなりに状況に適応しているからだ。

僕は大学院が夏休みということもあり、スタッフの祥さんと協力してカフェ青葉のフロア業務を切り盛りしていた。

この場合のフロアとは客席が設けられた店舗のことで、厨房等があるバックヤードと区別するために使う言葉だ。

僕は客席にオーダーの品物を届けた後、カウンターの中に戻って次のオーダーに対応しようとしていたが、カウンター内の床に小さなクモがいることに気が付いた。

先日、アシダカグモの妖と対面したばかりでもあり僕は思わず気色ばんだがそれは妖ではなく子供のアシダカグモだと思えた。

山葉さんはもともとクモやゴキブリの類は嫌いであり、店内にアシダカグモが存在することを知れば殺虫剤を使って徹底的に駆除するに違いない。

アシダカグモの妖と対決した際に僕たちは最後に生き残ったアシダカグモを奥多摩の山中まで運んでそこで放してやったがその過程でアシダカグモの妖を大量に抹殺したことを思い出した。

僕はそこにいるのは妖ではない普通のアシダカグモなのだから命を助けてやろうと仏心を起こした。

そして、バックヤードに通じるドアを開けるとさりげなくアシダカグモの子供をバックヤードに追いやりさらに建物の裏口に追い立てる。

アシダカグモの子供は高速度で走って裏口の方に姿を消し、僕はクモのレスキュー活動はそれで終わったことにした。

フロアに戻ると久しぶりにカウンターに入っている山葉さんが僕に話しかける。

「コロナウイルス感染症の事態が悪化している割に人の動きはあるからうちの経営的にはどうにかなりそうだね。」

山葉さんはカフェの業務とは別件の用事もあってカウンターに張り付いており、久しぶりにバリスタ業務をこなしている。

「昨年の春の緊急事態宣言の時にはテイクアウトメニューで数万円の売り上げをあげるために必死でしたよね。現状のようにかつての半分でもお客さんが来てくれれば、もともとアルコール類の提供がメインの業務形態ではなかったのでメニューを見直してコストカットをしたおかげでやっていけるのですよ」

僕は彼女に返事をしながら、今年は前オーナーに土地と建物代の支払残の借金の支払もできるのではないかと希望的な観測をするが先のことはわからない。

常連客が多いカフェ青葉は今のところ客足が途絶えていないが、状況がさらに悪化すれば再び東京の街から人影が消える時が来るかもしれないからだ。

「今日は祈祷の依頼が来るのですか」

僕が尋ねると山葉さんは明るい表情で答える。

「うん、ミニヨン二号館の鳴山さんの紹介で彼の同業者が来る予定だ。もっとも話を聞いた限りでは本当に霊障があるわけではなくて、経営者のメンタルヘルスのために祈祷をすることになりそうだけどね」

山葉さんはシニカルに言葉を切ったが、機嫌が悪いわけではなさそうだ。

しばらくすると鳴山さんが知り合いの経営者を連れて現れ、僕と山葉さんはカウンターを挟んで話をすることになった。

来客が少ない時間帯なのでフロアの業務は祥さんで十分手が足り、人気がないため心霊がらみの話を店内でしても差し支えない事が寂しい限りだ。

「内村さんお忙しい中時間を割いていただき申し訳ありません。彼は俺の同業者で斎藤克己と言います。彼は古書の類をメインに扱っていて僕とは協力関係にあるのですが、最近商品の倉庫内で不審な気配を感じたりするので俺に相談してきたわけです。あなた方が本物の霊視や祈祷を行うことを話すとぜひ自分も祈祷して欲しいと言い出しましてね」

鳴山さんは元ホストで廃品回収業を営んでいるが、前職の関係で人当たりが良く話も分かりや葉すい。

紹介された斎藤さんは、二十代後半に見えるが地味な風貌で大人しい雰囲気が漂よっていた。

「斎藤と申します。よろしくお願いします」

斎藤さんが挨拶したきりで詳細を話そうとしないので、山葉さんは自分から彼に質問する。

「霊障を疑われる事象についてもっと詳しくお聞きしたいのですが?どのようなことでお困りなのですか」

斎藤さんは何か答えようとして口を開きかけるがそのまま口ごもっており、カウンターを挟んだ僕たちの間に微妙な沈黙が訪れた。

「克己、聞かれたことくらい応えてくれよ。すいません内村さんこいつは口下手なのでどう説明したらいいかわからないのですよ。俺が聞いたところでは得体のしれない気配だけでなく物音までするらしいので是非一度お祓いしていただきたいのです」

鳴山さんがフォローし、斎藤さんは無言でうなずいたが、僕は気になることが有って彼に尋ねた。

「立ち入ったことを聞いて申し訳ないのですが、斎藤さんも無くなった方の遺品整理業務で現場に立ち入ることがあるのですか?」

斎藤さんはゆっくりとうなずいて顔を伏せ、彼の代わりに鳴山さんが答えた。

「そうなのです。克己はむしろ最前線にあたる清掃業者が本業なのですが、価値がある古書がそのままごみとして処分されているのを目の当たりにして俺に相談してくれたのですよ。結局彼には本業を続けてもらい傍らで副業として古書の通販をしてもらうことにしたのです」

どうやら鳴山さんは斎藤さんを仕入の情報源にするとともに自分では鑑定できない古書の取り扱いを斎藤さんに託したらしい。

斎藤さんは相変わらず無言でうなずいており、山葉さんは彼に告げる。

「私達も現場を見ない事には何も判断できないので一度商品の倉庫を見せてもらってよろしいですか。ご依頼の料金は下見がこれだけ、祈祷が必要な場合は更にこれだけ頂きます。これ以外に経費は実費で必要です」

山葉さんはメモ用紙にサラサラと金額を書いて斎藤さんに渡し、斎藤さんはその金額を見て一度動きを止めたが、やがて顔をあげるとう山葉さんに答えた。

「是非お願いします」

山葉さんは華やかな笑顔を斎藤さんに向け、僕は斎藤さんの懐具合が心配になった。

「それじゃあ、現場を検分するときは俺も立ち会うから明日の午後ということでよろしいですね。待ち合わせの場所はうちの事務所にしましょう」

鳴山さんは面倒見の良さを発揮して祈祷にも付き合うつもりらしく、斎藤さんとのコミュニケーションを心配していた様子の山葉さんがホッとしたのが見て取れた。




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