第477話 ヒグラシが鳴く時

 仁美さんに代わるようにして優さんが妹の里香さんの様子について話し始めた。

「様子がおかしいと言っても、言動や行動に異常があるとかそんな話ではないのです。里香は高校まで部活でバレーボールをしていたくらいで、行動的で明るい性格なのですが、父の死後妙に物静かでおとなしい雰囲気に変わったような気がする程度の話なのです。しかし、遺産相続に関して父の遺言状の通りに財産分与することに強硬に反対し始めたのと関連があるようなきがしていました」

 山葉さんは重ねて仁美さんに尋ねる。

「里香さんは彼女の祖父母が住んでいた家に執着しているわけですが、太郎さんが亡くなる以前からその家に頻繁に出入りしている様子は有りましたか?」

 仁美さんは記憶を整理するかのようにしばらく黙っていたが、やがて重い口を開けた。

「里香は時々あの家に出入りしていたようです。財産として価値があるようなものは夫が相続した際にあらかた処分しているのですが、里香にとってはあの家にある古い本が価値あるものと映っていたようですね」

「そうそう、戦前の北原白秋の本があったとか言って喜んでいたこともありました。大学で文学部に通っているので戦前に出版された本を見つけて、当人は宝の山を見つけたように考えていたようです」

 優さんが母の仁美さんの言葉に被せるように話し、僕たちはどうにか、敷島家の現状を把握したような気分になった。

 里香さんにとっては、住む者がいない家に放置された書物が、大学の専攻分野に関連して価値があったため、それを読みに出入りするようになり次第に家自体に愛着を感じるようになったのではないかと思えたのだ。

「内村さん、十分にお話を聞くことが出来ましたか?」

 僕たちを紹介してから沈黙していた阿部弁護士が口を開いた。

 おそらく、自分が口を挟むことによって僕たちが聞き取る内容に影響を与えないように気を配っていたに違いない。

 山葉さんはゆっくりとうなずくと仁美さんと優さんに語り掛けた。

「私達は神道の一流派の作法に従って祈祷を行いますが、それは万能という訳ではありません。それでも、何か原因があって里香さんに異常が生じているのであれば、それを祓って元の状態に戻すお手伝いが出来るかもしれません。阿部先生と一緒にお本人とも面談して調査した後に報告させてもらいます」

 仁美さんは目を伏せたままうなずき、優さんは落ち着いた雰囲気で山葉さんに答える。

「心霊能力のある方が来られると言うので、もっと大仰に儀式ばったことをされるのかと思っていました。里香の件はあなたの言われる通り僕たちにとっては青天の霹靂で、遺産の相続よりも元の妹を取り戻すことを優先したいですね」

 そのためには多少の出費はいとわないという意思が言外に感じられ、僕は少し意外に感じた。

「場合によっては里香さんの要求に従うこともお考えなのですか?」

 仁美さんと優さんは同時にうなずいた。

「私たち自身も里香と話をするうちに、何か大事なものを忘れているのではないかという気がしてきたのです。あなた方の手でその原因を確かめて頂けたらありがたいです」

 僕たちは聞き取りを終え、仁美さんと優さんに挨拶をした後敷島家を後にした。

 阿部先生は、カーナビゲーションをセットすると次の目的地である敷島家の先祖が住んでいた家に向かった。

「問題の里香さんが旧敷島邸で面談することを了承してくれました。お二人がそこに行けば何か手掛かりがつかめるかもしれませんね」

 阿部先生は事も無げに話すが、僕は仁美さんが子供の頃その家に開かずの間があり、そこにはお化けがいるから近寄らないように言われていたという話をしていたことを思い出し、何となく気乗りがしない思いだ。

 しかし、阿部先生のシビックTYPE Rは快調に走って青梅市街の外れに差し掛かっていた。

 青梅市街から奥多摩方面に進むと谷を埋め尽くすように広がっていた市街地が途切れ、道路は森に覆われた山の斜面を谷に沿って続いて行く。

 やがて、阿部弁護士は切り立った谷間に少し開けた土地がありJRの駅を中心に集落を形作っている辺りで車を止めた。

 車を降りるとそのあたりの空気は少し冷たく感じられ、辺りにはセミの鳴き声が響いている。

「セミが鳴いていますね」

 僕が尋ねると、昆虫好きが高じて高校生の頃に虫愛ずる姫君と呼ばれていたと言う山葉さんは、知っているのが当然のような雰囲気で説明を始める。

「これはヒグラシというセミの声だ。涼しい気候を好むので夏の平野部では夕方に鳴くことがその名の由来だ。高い山や高原では気温が低いため日中から鳴くだが、お昼近くになって鳴いているところを見ると、ここも都内の平野部と比較すれば標高が高いのではないかな」

 阿部弁護士は穏やかな笑顔で山葉さんに答える。

「そうですな。この谷筋には武蔵御嶽という神社もあり、昔は山を越えていく街道を形作っていたのでしょう」

 ヒグラシの鳴き声は活字にするとカナカナと表記されるが、本物を聞くと短音を連ねた鳴き声は少し物悲しく感じられる。

 道沿いにヒグラシの蝉時雨が響き、木々に覆われた山の斜面が続く様はここが東京都の一部だと思えないくらいだ。

 やがて阿部弁護士は道から奥まった場所に有る木造の大きな建物を僕たちに示した。

「ここが、お話に出てきた敷島さんの先祖が住んできた家です」

 その家は木造とはいえ総二階の大きな建築物で、温泉地の老舗旅館を思わせる造りだった。

 僕は何時の頃からか木造の古民家を好むようになっており、その建物を見ると手放すのを惜しがってい家族がいることも理解できる。

 阿部弁護士が旧敷島邸の玄関にある呼び鈴を押すと、内部からは即座に答えがあった。

 阿部弁護士が玄関の引き戸を開けて来意を告げると、その家で待ち受けていた人は僕たちを家の中に招き入れる。

 阿部弁護士に応対する声は涼し気に響くのだが、僕はその声が風のように通り抜けていく気がして話の内容が意識に残らない。

 その人こそが僕たちが訪問して彼女の父の遺言に従って遺産相続するように説得しようとしている里香さんだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る