第442話 異臭の通報

ゆかりさんが住んでいた部屋の前に行くと、その部屋にはすでに入居者がいるらしく、電気メーターが回っているのが見えた。

「おかしいな、さっき隣の部屋の前で山葉さんと祥さんの姿が見えたから、てっきりあの部屋だと思ったのに」

僕がぼやいていると、エレベーターが作動する音が聞こえ、ドア開閉のアナウンス音と共にマンションの住人が通路に出てきたので、僕たちは邪魔にならないように通路の脇に避けた

マンションの住人は通路にたむろしている僕たちにちらっと視線を投げたものの、特に警戒する様子もなく通り過ぎると、僕が山葉さん達の姿を垣間見た部屋のドアを開けて中に入る。

たまたまその部屋の住人が帰ってきたところだったらしいが、僕は通過した男性の顔を見た時何か引っかかるものを感じた。

そして、僕はその男性の顔に見覚えがあったことに気が付いた。

男性は僕が追体験した彼女の記憶の中にも登場していたのだ。

ゆかりさん自身が面識程度は会ったらしく、軽く会釈した記憶もあり隣の部屋の住人だとすればつじつまが合うのだが、問題はその直後にゆかりさんはおそらく背後から首を絞められて死亡しているのだ。

「あの男は僕が追体験したゆかりさんの記憶にも登場していました。でも、あの男を見た直後に背後から首を絞められているので、彼が犯人の可能性がありあす」

僕が小さな声で鳴き山さんに告げると、横にいた零さんも同じように小さな声で囁いた。

「俺もあの男を見ていますよ。ゆかりさんを訪ねてきた夜に、彼女が応答しないのでドアベルを何度も押していたらドアを開けてこちらを睨んでいた記憶がある。その時はうるさくしたから苦情を言われるのかと思ったのだけど」

僕と零さんの話を聞いた鳴山さんは、眼光を鋭くして言う。

「ドアを蹴破って押し込んで、ゆかりさんの痕跡がないか探しましょうか」

「待って下さい。そんなことをしたら不法侵入か下手をしたら強盗として捕まってしまいますよ」

鳴山さんは今にも実行に移しそうな雰囲気が有ったので、僕は慌てて彼を制止したが、部屋の中を検分したい思いは僕も同じだ。

「ここは坂田警部の警察署の管轄のはずで、知り合いの刑事さんも何人かいるので警察に相談してみます」

僕は緊急通報ではなく、アドレス帳に入っていた警察署の普通の電話番号を使って坂田警部たちが所属する警察署に連絡した。

通話に出た相手に僕の知り合いの刑事さんがいないか尋ねると、室井さんが事務所にいることが分かった。

電話をつないでもらった僕は、事の顛末を説明して助力を求める。

何度か心霊能力を使って事件捜査を手伝ったことがある故の無茶な頼み方だが、室井さんは躊躇なく僕の要請に応じて出かけてくることになった。

僕たちは一旦、マンションのエントランスまで降りてから、駆け付けた室井さんを迎えて、作戦会議を開いた。

「内村さん、奥さんの霊が体から離れて危険な状態というのは僕には感知できない話ですが、室内に女性の死体を隠匿している男がいるというなら対処方法はあります。ご近所から悪臭の苦情があったからということで注意に行けば相手は否応なしにドアを開けるのです」

僕は感心しながら室井さんに聞いた。

「ドアを開けてもらったところでどうするのですか?」

室井さんは腕組みをして申し訳なさそうに答える。

「この状況ではそこまでが限界です。本当に室内に死体を隠していたのならば、その臭いが漏れたのだろうかと思って少なからず動揺するはずですからその反応を見極めて次の手を考えましょう」

たとえ警察官でも捜査令状を取っていなければ、任意でないと室内には入れてもらえないので、室井さんの方法が今僕たちのできる最後の手段かもしれなかった。

「人数が多すぎると怪しまれそうだから、僕と沼さんが近所に住んでいる夫婦で、零さんが別室の住人という設定で同行し、室井さんが質問するというのではどうでしょう」

僕が提案すると室井さんはゆっくりとうなずいた。

「それがいいみたいですね。内村さんの案で今から問題の部屋をに行きますから、他の方はここで待機していただけますか」

室井さんが居合わせたメンバーを見渡し、黒崎氏が答えた。

「わかりました。何かあったら呼んでください」

僕たちはおもむろにエレベーターに乗って問題の部屋に向かったが、沼さんが緊張した空気を破った。

「私が山葉さんの役どころなのですね」

何を考えているのか彼女の顔は微妙に紅潮しているが、室井さんはクールな雰囲気で答えた。

「役作りを考えるのでしたら、旦那を尻に敷いている雰囲気を出すといいですよ」

僕は室井さんにそんな目で見られていることがわかり、微妙な気分だった。

僕が山葉さんと祥さんの霊体を目撃した部屋まで到着すると、室井さんは躊躇なくドアベルを押した。

ドアを開けて隙間から顔をのぞかせた男性に向かって、室井さんは落ち着いた口調で告げる。

「警察のものです。このマンションで異臭がするという通報が多いため念のため各戸を訪問させていただいています。お宅では何かお気づきのことはありませんか」

室井さんは話しながら警察手帳を提示しており、応対した男性は明らかに慌てた様子を示した。

「僕は別に悪臭とか気になりませんけど。何だったら部屋の中を見てもらってもいいですよ」

この場面では、自分は気になるようなことはないと言ってしまえば、それで済む話なのだが、男性は明らかに過剰に反応していた。

「この方たちは同じマンションの住民ですが一緒にお部屋に上がらせていただいてよいですか」

「ええ、いいですとも」

室井さんの問いかけに、男性は後ろめたい事が無いと強調するように同意して見せたので、僕たちは彼の住居に入れてもらうことになった。

男性の部屋は不意の訪問にもかかわらず片付いており、几帳面な性格をうかがわせ、室内に死体を隠しているようには見えず、無論悪臭もない。

リビングでは大型の液晶テレビで地上波のドラマ番組が映し出されており、ローテーブルの上には缶ビールと唐揚げが乗っている。

「お食事中に失礼しました。構わなければベランダも見せていただけますか」

室井さんは若干緊張した雰囲気で男性に尋ね、男性は表情を変えずに応じた。

「もちろんいいですよ」

男性が部屋のベランダに面したカーテンを開けると、ベランダに巫女姿の人影が二つうっすらと見える。

目を凝らすと山葉さんと祥さんんだと判別できる程度だが、二人は無言で窓ガラスの向こうからこちらを見つめていた。


















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