第430話 閉ざされた空間

ベビーベッドで眠る莉咲を見ていた女性は顔をあげると、他意のない雰囲気で山葉さんに言った。

「ごめんなさい。私の子供の小さい頃に似ていたものだからつい見入っていたの。あなたのお子さんなのね」

山葉さんは、気勢をそがれて沙織さんの手前で立ち止まると、気まずい雰囲気で尋ねた。

「あなたの名前は沙織さんで、娘さんは紗希さんとおっしゃるのですよね」

「ええそうです。紗希は今四歳なのです。少し変わった子供なので心配なところもあるのですが、可愛いのは他の子と一緒ですよ」

山葉さんはどう対処してよいかわからなくなった様子だが、沙織さんと莉咲の間に割り込むようにじわじわと動いている。

僕は状況を把握しようと周囲を見回すが、そこは僕たちが生活する部屋のように見えるが、カーテンの隙間から覗くのは窓ではなくただの壁となっているし、テレビがあるはずの場所には黒曜石を思わせる黒い素材の石板状の物体が鎮座しており、僕たちの部屋の光景に似せてはいるがディテールの欠落が多いと感じられる。

そして、沙織さんと対峙する山葉さんは巫女姿をしており、僕自身も半着と袴を身に着けている。

僕は、自分が見ている情景は夢だと結論付けて、少しリラックスしたものの、普段霊と関わったときに見る覚醒夢とは少し状況が違うようだ。

山葉さんは、その間にベビーベッドににじり寄ると素早く莉咲を抱え上げて沙織さんと距離を取る。

母親として、莉咲の安全を最優先したにちがいないが、山葉さんは莉咲だと思って抱え上げた物体を見て凝固していた。

「何だこれは」

僕の見たところでは、それは本物の莉咲ではなく、彼女の愛らしさが強調された人形と言った雰囲気の物体だった。

僕は、自分が見ている情景が山葉さんの日常の記憶から雑に構成された舞台セットのようなものではないかと思い当たるが、舞台セットを構成した犯人が山葉さんの潜在意識なのか、部屋の中央にいる沙織さんの霊なのか判然としない。

山葉さんは莉咲をモチーフにしたキャラクターアイテムみたいな物体を部屋の床にそっと置くと、沙織さんに詰め寄った。

「莉咲をどこにやった」

沙織さんは、微笑を浮かべて山葉さんを眺めるが、その手が長く伸び、鞭のようにしなって、山葉さんの首に巻き付いた。

「その子なら、無事にいることを保証しますから、ほんの少しの間、あなたの身体を貸してくれませんか。私は自分が死後の世界にいると思っていたのだけれどあなたの感覚を通して現実の世界とつながることが出来そうです。きっとあなたの身体を使って私の子供に会いに行くことが出来ると思うのです。それを終えたら元通りにお返しします」

お返ししますという割に、彼女の手は山葉さんの首にぐるぐると巻き付いて締め付けており、山葉さんは両手で自分の首に巻き付いた沙織さんの腕を外そうとするがきつくくい込み触手状に変化した腕は容易に外れそうにない。

僕はベッドサイドに置いてあった山葉さんの日本刀に手を伸ばした。

僕はその日本刀も舞台セットの一部で外見だけ日本刀で只の棒きれではないかと危惧していたが、鯉口を切ると鞘の中には本物の刀身が覗く。

日本刀は山葉さんの属性として持ちこまれたに違いなと考えながら、僕は刀を構えた。

「あなたは沙織さんですよね、その手を離してください。離さなければ切断しますよ」

聞き入れてもらえるとは思っていなくても、一応警告してしまうのは僕の気弱さの現れかもしれない。

沙織さんは山葉さんから触手を離すどころか、新たな触手が発生して僕に伸びる。

山葉さんの日本刀は刀身の長い大刀なので上段に構えて振り回すと切っ先が天井に接触する可能性があり、僕は中段の構えから、自分に伸びてくる触手に刀を振った。

触手は重い手ごたえと共に切断され、切り離された先端部は床の上でのたうつように動く。

僕は間合いを詰めて、山葉さんの喉に巻き付いた触手を狙い、沙織さんから長く伸びた触手の中ほどに一気に刀を振り下ろした

まずは山葉さんを救出して一緒に対策を考えようと思ったのだ。

山葉さんは切断されてもなお動き続ける触手を自分の首から引きはがしたが、苦しそうにせき込んでいる。

「山葉さん大丈夫ですか」

僕が駆け寄ると山葉さんは片手で首を押さえたままで僕の背後を指さす。

僕が振り返ると、沙織さんから発した沢山の触手が僕たちに伸びつつあった。

「うわああ」

僕は刀を振り回すが、闇雲に攻撃しても触手は機敏に動いて切っ先をかわし、四方から僕たちを取り囲み始めた。

「やめろ沙織さん。あなたは自分が死んだことはわかっているはずだ、だが、あなたが死んでからもう二十年以上の歳月が流れている。紗希さんは結婚して女の子を育てているのです」

山葉さんが叫ぶと、僕たちを取り囲んでいた触手が動きを止め、その中心にいた沙織さんは茫然としてつぶやいた。

「うそ」

「本当だ。あなたは幽霊となってずっと彼女の傍に寄り添っていたのだが、紗希さんに霊感がないためあなたも彼女も気づかないままに時が流れてしまったのだ」

山葉さんが諭すように話すと、沙織さんはゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「私は、あの子はどこかおかしいから自分が死んだら幽霊になってでも見届けてあげなければならないと頑なに思っていた。それが本当ならどんなにうれしいか。紗希はどんな大人になったの?」

僕と山葉さんが言葉に詰まっていると、触手の一つがついと伸びて山葉さんの頭に触れた。

そして、僕たちが話すことを躊躇していた、紗希さんに面会した時の映像が雪ちゃんの首を絞めるシーンも含めて空中に映し出される。

僕たちが共有している映像は、山葉さんの視覚や聴覚の記憶に基づいているため、沙織さんは映像を見るうちに事の次第を理解したようだ。

「やはり、紗希は普通ではなかった」

沙織さんが沈んだ声でつぶやき、山葉さんは慌てて紗希さんを擁護するように説明する。

「これは私の推察だが、沙織さんが自分の子供を気遣う思いがわずかではあるが紗希さんにも伝わっていたのではないだろうか。そしてそれが、雪ちゃんを障害があると勝手に決めつける要因の一つになっていたのかもしれないし、もう一つには幼い頃に母を亡くした彼女は周囲から気遣ってもらったはずだから、近親者を病気に仕立てて周囲から同情を引こうとすることの原因はその辺にあったのかもしれない」

「それでは、私が付き纏っていたことが原因だというの?いっそのこと私があの子を一緒に連れて行くからあなたの身体を貸して頂戴」

沙織さんは再び体からたくさんの触手を僕たちに伸ばして攻撃する態勢をとった。

山葉さんの説明は藪蛇というしかなく、病気のために若くして世を去る時に残していく子供が心残りだった彼女に、その子を道づれにしなくてはならないと動機付けしてしまったのだ。

「ウッチー、こいつから離れよう。態勢を整えて式王子を使う」

山葉さんは僕の手を引いて部屋の出入り口に向かった。

しかし、出入り口のドアは壁に描かれた絵に過ぎず、そこにはドアノブすらない。

彼女は廊下に出て沙織さんから離れようとしていたようだが、僕たちは自分たちが住んでいる部屋ではなくそれに似せた狭い空間に閉じ込められているのだ。

「ウッチー、私が高田の王子を呼びよせるまで時間を稼いでくれ」

山葉さんは袂から式王子を取り出すと、いざなぎ流の祭文を唱え始めた。

僕に期待されているのは沙織さんを倒すことは無理としても、その攻撃を受け止めて山葉さんが祭文を唱えるまで耐え忍ぶことだ。

僕は日本刀を構えて、千手観音よろしく沢山の触手で攻撃してくる沙織さんと対峙した。

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