第391話 車椅子の紳士
慶子さんが書いたメモには杉村耕平という名前と、グループホーム「三鷹の森」という施設名称、そしてその所在地が記されている。
「私達が杉村さんと面会することは無理でしょうか」
山葉さんが尋ねると、慶子さんは腕組をして考えている。
「家族以外の面会は難しいと思うわ。特に今はコロナウイルスとかが流行っているから外部の人間は建物に入れないはずよ。私が祖母に頼んでアポイントを取れば施設の入り口で面会することは出来るかもしれない」
慶子さんが経営するシェアハウスの住人の三元さんはすがるような眼で山葉さんを見つめながら言う。
「私からもお願いします。是非その人を訪ねてピアノを弾いている霊を成仏させてください」
「私の宗派では成仏とはいわないが、趣旨としては同じ効果が得られるよに努力するよ」
山葉さんが引き締まった表情で答える。
「そうね、それじゃあ、だめもとで電話してみようかしら」
慶子さんは決断が早い人と見えて、自分のスマホを取り出して通話を始めた。
「お祖母ちゃん度々ごめんね。私達は芳恵さんの霊を慰めるために杉村さんを訪ねてみようかと思うのだけど、杉村さんの家族の方に面会を許可してもらうことは出来ないかしら」
スマホからは大きな声が漏れており、敏美さんが年齢の割に相当元気なことがわかる。
「本当?それじゃあ私達は杉村さんの家族の方から連絡待ちでいいのね」
慶子さんは通話を切ると僕たちに説明した。
「祖母はすぐに連絡を取ってくれるそうよ。なんでも、耕平さんは認知症が始まっているらしくて、夕方になると会いに行かなければいけない人がいると言って外に出かけようとするから、施設の人が大変なのですって」
「認知症の症状がある人って大変らしいですね。うちのおばあちゃんも認知症で徘徊があるらしくて、世話をしているおばさんがものすごく大変だってこぼしていましたよ」
小西さんが慶子さんに話しかけると、慶子さんはしんみりとした調子で答える。
「うちのおばあちゃんは頭がしっかりしているから幸せなのね。薄幸だったお姉さんの分も長生きしているのではないかしら」
その時、慶子さんのスマホから着信音が響いた。
通話を始めた慶子さんはしばらく相手の話を聞いていたが、通話を切ると僕たちに告げた。
「耕平さんの家族は私たちの訪問を歓迎するそうよ。家族の人達も古い話でよくわからないけど耕平さんが会いに行こうとしているのは、芳恵さん、つまりピアノを弾いている人ではないかと言うの。気がかりが無くなれば問題行動が無くなるのではないかと期待しているみたいね」
「わかりました。私たちの車で耕平さんが入居している施設に向かおうと思いますが、慶子さんも同行されますか?」
山葉さんが静かな口調で尋ねると、慶子さんはゆっくりとうなずいた。
「小西さんはいつも元気だけど、この家のために体調を崩した人がいるならばその原因を調べるのも大家の務めです」
慶子さんは決然と立ち上がり、僕と山葉さんは彼女と共にグループホームを訪ねることになった。
僕たちは小西さんも加えた総勢四人でWRX-STIに乗り込み三鷹市内にあるグループホーム「三鷹の森」を目指した。
山葉さんがWRX-STIのステアリングを握ったので、助手席に座った僕は老人ホームの種別についてスマホで調べた。
グループホームとか特別養護老人ホームとかいう施設名の違いが何を意味するか知りたかったのだ。
Webを検索するとは老人ホームの紹介サイトや、介護職の求人広告が沢山ヒットし、僕はどこから見たらよいかわからないくらいだったが、老人ホーム紹介サイトの一つが施設ごとの特徴や入居できる人の介護が必要な度合いを示す介護度の解説欄を作っていたのでそれを見て概要を理解することができた。
沢山ある施設は、そこが提供できるサービス内容によって、住宅型老人ホームや、介護付き有料老人ホーム、そしてグループホーム、特別養護老人ホームに分類されているのだ。
入居する人の要介護度は後者程重くなり、特別養護老人ホームに入居できるのは要介護4からだという。
介護度は要支援1から3と要介護が1から5まであるが要介護5が最も重い。
グループホームというのは、認知症の症状がある人が集団生活することで認知症の進行を遅らせることを目的とした施設のようだ。
僕は解説文をで読んで判ったような気になるが、施設で提供されているサービス内容は理解が及ばない。
目的の施設は、こじんまりとした建物で、僕たちは外来用の駐車場にWRX-STIを止めて施設の玄関に向かった。
一戸建ての住宅よりもやや大きめだが、病院や老人ホームのイメージよりははるかに小さい建物はどこか家庭的な雰囲気を感じさせる。
玄関のインターフォンを使って来意を告げると、錠を開ける音とともに玄関のドアが開かれた。
中では制服の介護スタッフと、高校生くらいの少女が僕たちを待ち受けていた。
「岩崎さんですね。連絡を頂いて先に来ておりました。私は杉村芳恵、杉村耕平のひ孫です」
芳恵さんは年齢に似合わない、しっかりした雰囲気であいさつする。
「まあ、芳恵さんとおっしゃるの」
「ええ、曾祖父がつけてくださったのですが、最近になって曾祖父が若い頃婚約されていた女性の名前と判明してがっかりしているのです」
「まあ、耕平さんの婚約者だった芳恵さんは私の祖母の姉に当たるの。あなたがとばっちりを受けることになってごめんなさいね」
慶子さんがすんなりと謝ったので、芳恵さんは微笑を浮かべ、慶子さんは重ねて芳恵さんに説明する。
「今日はその芳恵さんの慰霊のために巫女さんを呼んで祈祷をお願いしていたの。でもこの巫女さんが言うには、芳恵さんを来世に送るためには耕平さんに来てもらった方が良いと言うの」
芳恵さんは山葉さんをチラッと眺めて考え込む様子だったが、やがて慶子さんに告げた。
「そうですか。私が付き添うことにすれば外出許可を貰えるとおもいますよ。本人にその気があるならお邪魔することにしましょうか。もうすぐ曽祖父がこちらに来るので聞いてみましょう」
傍らにいた介護スタッフは芳恵さんに尋ねる。
「外出許可を申請されますか?」
「ええ、曾祖父と親しかったお家の方ですから大丈夫です」
介護スタッフの女性は書類を取りに別室に移り、それと入れ替わるように車いすに乗った高齢の男性が玄関に現れた。
「芳恵ちゃん来ておったのか。僕はこれから出かけようと思っていたところでな」
「ひいおじいちゃん、またその話をしている。いつもそんなことを言って施設の人を困らせているけど。今日はね、ひいおじいちゃんが行きたいところに一緒に行こうかと思っているのよ」
「そうか。それならちょっと支度をして来るから待っていてくれ」
耕平さんは車いすの向きを器用に変えると、再び廊下の奥へと戻っていく。
「まだらボケって言うんですかね。自分のいる場所や日付がわからないことが多いのですが、話をすると普通に会話ができるからすごく不思議な感じがするのです」
耕平さんのひ孫の芳恵さんは、曾祖父の車いすの後姿を穏やかな表情で見送っていた。
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