第359話 時穴の道行き
「一繁公の軍勢が総攻めを始めたのでしょうか」
僕がつぶやくと山葉さんはゆっくりと首を振る。
「いや違う。あれは城の内部で可燃性の液体を撒いて故意に火をつけたのだ。五月は主だった武将に討伐軍の背後を衝けと命じて非戦闘員と供に城の外に逃がし、彼らが山中に潜んだところで自らと共に砦を燃やして彼らが戦う意味を無くしてしまったのだ」
「それじゃあ、五月が自分を犠牲にして戦いを終わらせようとしているのですか」
山葉さんはため息をついた。
「彼女は何度も自分が投降すると言っていたが側近たちはそれを認めない。しかし彼女はこれ以上戦い続けて犠牲を出したくない故に最後の手段として砦に火を放ったのだ」
その時、経芳丸の叫び声が響いた。
「母上、今私が助けに参ります」
経芳丸が砦に駆け戻ろうとするのを側近の武士たちが必死に抑えていた。
常人には見えない経芳丸の使い魔である大蝙蝠がその上を飛び回るが、手を出しかねていることがわかる。
斜面の木立越しに見える砦は炎に包まれ、燃える木のはぜる音が僕たちのところまで届く。
「放せ、討伐軍が攻めているなら今その背後を衝けばよいではないか。早くしないと母上が」
山葉さんは側近を振り放そうと暴れる経芳丸に近寄ると、ギュッと抱きしめた。
「経芳丸殿、砦に戻っては駄目だ。あれは君の母君が砦にいた皆を生き延びさせるために自ら火を放ったのだ。母君の気持ちを考えて生き延びなさい」
経芳丸はそれでも身をもがいて、暴れようとしていたが、炎上する砦から何かが崩落する大きな物音が響いた。
砦から大量の火の粉が舞い上がり、炎はひと際高くなる。
その中で炎と共に何かが砦から舞い上がるのが僕の目に映った。
全長が数十メートルはあろうかと思われる長い体をしなやかにくねらせ、炎が呼んだ上昇気流と共に黒いシルエットは砦から空に舞い上がっていく。
そしてその首の後ろあたりに、白衣姿の女性の姿がかすかに見えた。
「クロ、それに母上も」
それは五月を乗せて天に舞い上がろうとする黒龍の姿に他ならなかった。
黒龍は燃え落ちていく砦の上空からさらに高度を上げ、東に続く高い山々の上へと飛び去っていく。
経芳丸は黒龍が飛び去った東の空を茫然と見つめていたがやがて、沈んだ声で僕たちに告げた。
「砦に戻ったところで母上はそこにはおらぬということだな。クロが飛び去ったのはそなたたちを連れて行く時穴がある山の方角じゃ。母上が速く案内しろと言っておるようなのでこれからお連れしよう」
落ち着きを取り戻した経芳丸は側近たちの先に立って再び山道を登り始める。
経芳丸は現代の基準で言えば中学校に入るくらいの年齢だろうか。目の前で母を失ったのに、彼は気丈に振舞っていた。
「あの竜は普段から五月殿の身近にいたのか」
山葉さんは彼の気を紛らわすように黒竜の素性を尋ねた。
「クロは母上が東国で生まれ育ったころから、母上の身の上に大事が起きた時に現れ、助けてくれたそうじゃ。私もこれまでに何度か見た覚えがある。私の使い魔の大蝙蝠をはるかに上回る力を持っておるのじゃ」
経芳丸は自慢気に山葉さんに話す。
時穴があるという山は険しく、その後僕たちは木立の中の道を木の根に躓きながら登り続けなければならなかった。
目的地に着いた頃には夜は明け始めていた。
経芳丸は山の尾根を越えると、山上に存在する湖を指さした。
「時穴はあの湖のほとりにある」
その湖は紅葉した山の中に空のような青い水を湛えている。
僕たちは足元に気を付けながら急な斜面を下り、湖のほとりに降り立った。
湖の周囲は切り立った崖となった場所が多く、湖面を望む場所に至るだけで大変な労力を要する。
岩場に張り付くようにして湖水の上を移動し、僕たちは人の身長よりも少し低い程度の小さな洞窟の入り口に到着した。
「それが時穴と呼ばれている洞穴じゃ。入ってみるがよい」
経芳丸が示す入り口に近づくと、僕は洞窟の内部の景観に重ねて何か別の光景が見えるような気がした。
僕の目には、明るい日差しに照らされた神社の境内がうっすらと見えるのだ。
「山葉さん、洞窟の中の景色に重なって神社の境内のような景色が薄く見えていますよ。ひょっとしたら元の世界に帰ることが出来るかもしれません」
「私の目にも陽炎のような揺らぎが見えている。時穴と言うのは本物なのかもしれないね」
僕たちがしげしげと洞窟を覗き込んでいると、経芳丸が寂しそうにつぶやいた。
「私にも、壮麗な建築物が見える。あれがそなたたちが来た時代の風景なのだな」
そこに見えているのは古典的な神社建築であり、現代的な雰囲気はないのだが、平安時代に生きる経芳丸には十分未来的な建築様式と映ったようだ。
山葉さんは経芳丸の様子を見て静かな口調で彼に語り掛けた。
「私達と一緒に来ないか?君はこれからも都にいる人達から迫害を受けるかもしれない。五月は私達と一緒に未来に逃げよと言ったのではないだろうか」
経芳丸は洞窟を通して見える未来の景色を憧憬を込めた視線で見ている様子だったが、やがてきっぱりと首を振った。
「いやじゃ。ここでそなたたちに従って別の世界に行くのはしっぽを撒いて逃げることになる。わしは母上の子として、ここで生き延びてみせる」
僕は彼を連れて行けば、タイムパラドクスが発生して何が起きるかわからないと心配していたのである意味ホッとしたが、山葉さんは眼に涙を浮かべて彼の方を抱き寄せた。
「強い子だ。きっと五月殿も喜んでいるに違いない。この地に根を張って強く生きていくのですよ」
山葉さんは、母親を慕う経芳丸の様子を見て母性を刺激されていたのかもしれない。
経芳丸は山葉さんから身を離すと、しっかりとした眼差しで彼女を見返し、ゆっくりとうなずいた。
僕は山葉さんを促すと彼女と手をつないで、洞窟の入り口をくぐる。
そこで違う時代に飛んでしまったら二度と会えなくなる気がしたからだ。
洞窟に足を踏み入れると、僕は空気が変わったことを感じた。
晩秋の澄んだ空気から、梅雨の合間に晴れ間がのぞいた日の蒸し暑い空気に変わったのだ。
僕と山葉さんが手をつないで足を踏み入れたのは、祥さんの実家の神社の境内だった。
後ろを振り返ると、そこには何事もなかったように茅の輪が鎮座しており、祥さんと、莉咲を抱えた裕子さんが目を丸くしてこちらを見ている。
「ウッチーさんと山葉さんどうしたんですかその恰好は」
祥さんの指摘に僕は自分が来ているものを見下ろした。
僕が来ているのは平安時代の鎧兜で刀まで帯びているし、山葉さんは古風な巫女姿だ。
「茅の輪をくぐったまま二人の姿が消えたのでどうしようかと思っていましたよ」
裕子さんは心配のあまり涙ぐんでいた様子だ。
僕は菊人形のような武者姿のままで、裕子さんから莉咲を受け取ると、流麗な刺繍が施された小手をはめた手で莉咲を抱えてその感覚が本物なのを確かめた。
茅の輪を覗いてもそこには周囲と変わらない風景が見えるだけで、過去へとつながる通路は今では存在していない様子だ。
「経芳丸はあの後どうなったのでしょうね」
ぼくが山葉さんに何気なく尋ねると、彼女はうるんだ目で祥さんを示した。
「彼はこの土地に根を張って、しっかりと生き抜いたのに違いない。その証拠に彼が築いた神社と千年以上も続いた系譜の子孫がここにいるではないか」
山葉さんに話を振られたものの祥さんは何のことかわからず、困惑した表情を浮かべるばかりだった。
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