第358話 策略の裏側
五月は周囲にいる側近の顔を見まわした後で口を開いた。
「私が降れば里の民やお主たちの命を安堵してくれるというのなら、いっそ身一つで降伏しようかと思うのだが皆はどう思う」
五月の言葉に側近の武士や女官たちは口々に答える。
「何をおっしゃっるのですか。敵の軍門に降れば、まんまと五月様の首級を取られたうえ、我らはうち滅ぼされるだけかもしれませぬ。敵の甘言に乗ってはなりませぬ」
「そうでございます。此度の戦は頼家様の正室である菖蒲様が五月様憎さのあまり起こしたに相違ありません。五月様のお命を安堵するわけがありませぬ」
五月は側近たちの言葉を聞くと、打ちひしがれた様子で顔を伏せた。
「やはり、敵の甘言でしかないのであろうかのう。私はこのようなつまらぬことで里の者たちが死ぬのが心苦しくてならぬ。そなた達の行く末を保証してくれるならば、わが命投げ出したとしても惜しいとは思わぬが」
警護に当たっていた武者姿の若者が言う。
「われらは五月様のためなら討ち死にもいといませぬ。この砦は堅固に作ってあるので、容易には落とせぬはず。これから冬まで持ちこたえて城攻めに来た軍勢を凍え死にさせるのも一興。焦ってはなりませぬぞ」
僕は、五月と側近たちの会話の間にこっそりと山葉さんに耳打ちした。
「一繁公は五月さんが投降したら、彼女の命を助けてくれるのでしょうか?」
「それはわからないな。さっきの武者が言った通り、遠く離れた信州まで攻め込んだ挙句に攻城戦が冬まで長引いたら彼らは不利だ。もとより彼は戦って功績をあげるより、配下の軍勢の犠牲を嫌うタイプに見えたから、戦うよりも講和を選びたいのは確かだろうな」
山葉さんは冷静に状況を分析しているが、一繁公の真意までは読み切れない様子だ。
僕たちが話している間に五月の警護係の武士が僕の前に来た。
「五月様の命により、そなたの戒めを解く。しかし、決して暴れようなどと思う出ないぞ、そなたお琴は常に見張っている故、怪しい動きをすれば四方から矢で射られてハリネズミのようになると心得よ」
武士は物騒な脅し文句と引き換えに僕の身を自由にした。
あまつさえ刀も返してくれたので、実は相当に信頼を得たものだと思える。
「五月様がそなたたちに話をしたいと言われる。こちらに来られよ」
別の武士が呼びに来たため僕と山葉さんは再び五月の前に行くことになった。
そこでは、五月を中心に主だった武士が集まり会議を開いている様子だった。
五月の周囲にいるのは武士と言っても専業の武士ではなく、地方の豪族が戦支度をして集まっているのだ。
それ故に、本来なら旗色が悪ければ離散して兵力は漸減するが五月は地域で絶対的な支持を得ているらしく、朝廷が差し向けた大軍に包囲されても士気は落ちていない。
しかし、五月は浮かない顔をしていた。
「確かに冬まで持ちこたえたら、討伐の軍勢は冬の寒さのために窮地に陥るであろう。しかし、それほど居座られたら村の家々は荒らされ、収拾がつかなくなる。私が投降してことが済むものならそうしたいのだが」
五月が再び降伏する話を持ち出すと、居並ぶ武士たちは口々に反対の言葉を述べて収拾がつかなくなった。
「わかった、ならばいい戦略を思いついた故、皆聞いてくれ」
五月が話を始めたので、皆は口をつぐんで身を乗り出す。
「平一繁の軍勢が砦内の女子供や、戦う意思のない軍勢が退去するのを黙認するというなら、ここにいる兵の大半を砦の外に逃してしまえばいい。ここには私と側近のものだけが残り、たくさんのかがり火をたいてあたかも大軍がいるように見せかけるのじゃ」
「して、砦の外に出た軍勢はどうすればよろしいのですか」
集まっている武士を取り仕切っているように見える若武者が五月に尋ねる。
「払暁と共に敵の背後をつくのじゃ、不意を突かれたら討伐軍は戦うこともできずに敗走するであろう」
「それはいい考えでございます。早速足並みをそろえて城から退去できるよう準備いたします」
武士たちは五月の作戦に満足したのか、一様に表所を明るくする。
「砦を出る軍勢は五郎丸殿が采配してくだされ。私はここに残り籠城戦を続けるふりをいたします」
「心得ました。拙者の命に代えても討伐軍を追い散らして見せます」
先程から、五月に進言していた若武者は五郎丸とい、周囲からの信望も厚いらしく、異議を唱える者もなく城から退出して城の背後をつく軍勢の指揮官となった。
砦に立てこもっていた人々は慌ただしく支度をして出発の準備をする中、五月は僕たちを手招きする。
「そなたたちのおかげで砦にいた女子供を逃がすことが出来る。感謝しておるぞ」
五月の言葉を聞いて、山葉さんは心配そうに尋ねる。
「あなたは本当に一繁公の軍勢をせん滅するつもりなのですか」
五月はため息をつくと、遠い目をしてつぶやく。
「そもそもは、私が京に忍んでいき家頼公を一目見たいなどと戯言を言ったのが事の発端なのじゃ。その後に五郎丸殿をはじめとする周辺の諸氏とともに、近隣を荒らしていた盗賊を退治したこともあって、いつしか話に尾ひれがついて私が軍勢を整えて上洛の機会を窺っているという話に膨らんでしまった。今となっては何事もなく討伐軍に引き返してもらうことは不可能かもしれぬ」
彼女の言葉は五郎丸に話した勇ましい作戦とは、少しだけトーンが異なっている。
僕は彼女に質問しようと思い口を開きかけたが、外から駆け込んできた少年の声が割り込んだ。
「母上、討伐軍に決戦を挑むというのは本当でございますか」
五月は、表情を明るくすると息子の経芳丸に語り掛ける。
「経芳丸、そなたには頼みたいことが有ります。このお二方が末来より来たというのは本当らしい。それ故、そなたに時穴まで案内することを頼みたいのじゃ。身の回りの物だけを率いてお二方を時穴まで案内した後は、五郎丸殿の軍に合流すればよい。引き受けてくれるな」
「もちろんです母上」
二人のやり取りを聞いていた僕は、意外な成り行きに驚く。
「こんな大変な時なのに僕たちを時穴まで案内してくれるのですか」
僕が尋ねると五月は優しい微笑を浮かべた。
「そなたたちの矢文がきっかけで、事態が動いたのです。お礼に替えるほどのことではありませぬが、今我らが案内しなければそなたたちは時穴にたどり着けぬ見込みが強い故、経芳丸に案内させましょう」
「ありがとうございます」
僕は元の時代に戻ることについて、俄かに希望が見えた思いだった。
経芳丸は側近の武士たちと共に僕たちを案内して裏口から砦の外に出ると、山道を走る。
僕は一緒に賭けながら、はぐれないようにと山葉さんから目を離れないように気を付けていた。
「五郎丸殿が率いる主だった武士たちは既に砦を出て山に入っております。夜のうちに密かに移動して一繁公の討伐軍の背後をつく予定です。私も明朝払暁までに五郎丸殿に合流したいので急ぎましょう」
経芳丸は闇雲に僕たちを急き立てるが、急ぎ足で移動するには足元が暗すぎる。
先に立つ経芳丸に付いて行こうと懸命に足元に目を凝らしていると、背後からの光で少し足元が見えやすくなったことに気づく。
勢い僕の足は早まったが、僕はその光源が何か気になり振り返った。
そこで僕が目にしたのは、五月が立てこもった砦が赤々と燃え上がる情景だった。
「経芳丸様大変です。砦が燃えています」
警護の武士の一人が僕と同様、異変に気付いて経芳丸に注進したが、経芳丸は足を止めずに答える。
「それは、母上が敵を欺くために燃やしているかがり火であろう。火事と見まがうほど沢山準備するとは流石母上じゃ」
経芳丸が先へと足を進めようとしたので、側近の武士はさらに呼びかける。
「違います。本当に燃えているのです」
経芳丸は立ち止まって、砦を振り返った。
そして、状況を理解するにつれて、その顔には狼狽と驚愕がゆっくりと広がっていった。
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