第356話 鬼女が棲む里

平一繁公の率いる軍勢は、鬼女五月と呼ばれる女性が支配する地域に侵入し、五月が立てこもる砦を取り囲んだ。

砦の麓にある集落は住民すべてが砦に退避した後とみられ、人一人見受けられない。

城攻めの体制を固める一繁公の軍勢をよそに、僕と山葉さんは軍勢を離れて集落の中を歩いていた。

着替えも持っていなかった僕たちは一繁公の好意で着るものの提供を受けていた。

山葉さんは白衣と緋袴の上に千早を羽織っているので違和感がないが、僕は菊人形みたいな平安朝の鎧兜に身を包んでいる。

「山葉さん、どうしたら僕たちの時代に帰れるのでしょうね」

僕の問いに山葉さんも眉毛をハの字にして困った表情を見せた。

「私にも、どうすれば戻れるか見当もつかない。一繁公が話していた「時穴」なるものがあればあるいは元に戻れるのではないかと思うのだが」

「でもそれは、この時代の人に伝わる伝承なのであって、僕たちの時代に戻れるという確証がある話ではありませんよね」

僕は希望が持てないままに山葉さんに答えた。

僕たちが時間を越えて移動した入り口が消失してしまった以上、元に戻れる保証は全くないと言ってもよい。

「ウッチーの言いたいことはわかる。しかし、不安に駆られて自暴自棄になってはいけない。ここでできる最善の方法をとりつつ、帰還できる通路を探すのが最善ではないだろうか」

彼女の言うことはもっともだった。

僕は状況を改善するための方法を考えようとするが、ともすれば諦めの心境になりそうだ。

僕と山葉さんが歩いている集落は、合掌造りの茅葺き屋根の建築が並び、僕たちの時代にその建物群が残っていたら、観光の名所になりそうだ。

気分を変えて、集落の景観でも楽しんだ方がましだろうかと思った僕は、集落の中に視線を走らせた。

山葉さんも、歩きながら集落の建物を眺めている。

鬼女五月の支配する凋落は山の上の高原状の地形に存在し、周辺には高い峰が連なっている。

合掌造りの集落と紅葉した峰々は美しい景観を醸し出しており、城攻めを前に殺気立った軍勢とは対照的だ。

しかし、僕の目は視野の端に何か黒い影が走るのをとらえた。

「山葉さん今、人影が走るのが見えませんでしたか」

「うむ、私も見た。子供のように見えたから、もしかしたら集落の子供が取り残されているのかもしれないな」

僕たちは、無意識に人影が消えた茅葺きの民家を目指して歩く。

見かけた人影が子供くらいに見えたことも僕たちの警戒心を削いでいた。

民家の入り口の引き戸は開け放たれており、屋内を覗くと囲炉裏を切った居間や、今し方まで人がいたような生活感が残っている。

僕と山葉さんが子供の姿を求めて建物の中に足を踏み入れた時、ガタンと大きな音が響いた。

僕と山葉さんは、足元から救い上げられるように宙に舞い上がり、目の粗い網で二人一塊に絡めとられていた。

「大丈夫ですか山葉さん」

「私は大丈夫だ。ウッチーが持っている脇差で網を切るんだ。早くしないとわなを仕掛けた連中が来る」

僕は言われたとおりに網を切る単に脇差を抜こうともがくが、二人一緒に網で絡め取られているため思ったように動けない。

脇差の鯉口を切ろうと四苦八苦しているときに、子供の声が下の方から響いた。

「まんまとかかりおった。この者たちが母者の策を邪魔したことに相違はないのだな」

「はい、私は紅葉狩りの席を催した時に一部始終を見ておりましたが、この女は妖しの術を使い五月様の使い魔である大蝙蝠チロの迷いの霧を散らしてしまい、対岸にいた討伐軍の本体が川を渡れるようにしてしまったのです。霧さえ晴れなければ敵将を打ち取ることが出来たかもしれませぬのに」

十代初めくらいの少年と女官が話を交わす後ろには数人の武者も控えている。

僕が躍起になって網を切ろうとしていると、僕たちを吊り下げた網は唐突に床に落とされた。

僕たちが受け身も取れずに床にたたきつけられて悶絶しているうちに武者たちは僕と山葉さんを手早く縛り上げた。

「母者に見せて進ぜよう。皆の物参るぞ」

武士たちは僕と山葉さんを担いで家並みの間を走り、少年と女官がそれに続く、周辺には平一繁の軍勢が詰めかけているにもかかわらず、一行は見つかりもせずに砦の入り口に到達していた。

「経芳丸様が戻られたぞ」という物見からの声と共に、砦の入り口の重そうな扉は予想外の速い速度で開き、僕たちが通過するとともに一気に閉じられ、大きな地響きを立てた。

僕と山葉さんは城の奥に引き立てられ、御簾の前に放り出された。

「母上、チロにやけどを負わせた妖術使いを捕えてまいりました」

「経芳丸、討伐の兵が城攻めを仕掛ける中、大儀でした。その者たちは私が詮議する故、そなたは休んでいなさい」

御簾の奥から、先日紅葉狩りを催していた美しい女性が顔を出し、僕たちをおびき寄せた少年は畏まった様子で別室に下がる。

「五月様、この者たちが邪魔をしたことに相違ありません。いかがいたしますか」

五月は床に転がる僕たちを見下ろすと、無表情に見つめてから言った。

「紅葉狩りをしかけた時に、一繁殿の近くにいた異国風の服を着ていた男女じゃな。私が遣わしたチロを追い散らすとは困ったことをしてくれたものよ。あわよくば戦うことなく討伐の軍勢を追い返そうと思うておったのに」

僕は、彼女の真意がわからず何と答えたらよいかわからないが、山葉さんは床に転がった状態で顔をあげて彼女に尋ねた。

「あなたは、戦いを避けようとしていたというのですか」

五月は面白くなさそうな表情で山葉さんに答える。

「その通り、私が朝廷に弓を引いたと言うのは、私の配下に蹴散らされた隣の里にはびこる盗賊の長が流した流言じゃ。この地に流されて十年、私を慕ってくれた里の者たちを豊かにし、狼藉を繰り返していた近隣の盗賊を討伐しただけなのに、逆賊の汚名を着せられるとは心外じゃ」

山葉さんが身を起こそうともがくのを見て、五月は手近にいた女官に告げた。

「その者たちの縄を解いてやれ、それでは話もできぬ」

「しかし、この者たち怪しい術も使う故、油断はできませぬ」

その女官は経芳丸が僕たちを捕えた時に一緒にいた女官で、五月を諫めるように言う。

「よい、この状況ならば首をはねようと思えばいつでもできるではないか。何を恐れる必要がある」

五月の言葉を聞いて僕はじんわりと冷や汗が浮かぶのを感じる。

僕は運ばれてくる間に、持っていた刀や脇差を取り上げられて丸腰になっている

「それでは、京の都に帰りたいと言われたのは軍勢を率いて上洛するという意味ではなかったというのですか」

山葉さんは戒めを解かれて、手や足を延ばしながら五月に尋ねる。

「無論じゃ。ここは良い里であるが、ちと草深い。たまには今日の都に言って華やかな都大路を歩いてみたいと言っただけの話じゃ」

彼女の言葉に嘘はないように聞こえたので、僕は山葉さんの顔を見た。

彼女もどうやら僕と同じことを考えていた様子だ。

「それならば討伐に来た平の一繁公と話し合って、誤解を解いたら良いのではありませんか」

僕は自分の認識が甘いと自覚しながら彼女に言わずにはいられなかった。

「そなたは心の優しい吾人のようじゃな。しかし、一度朝敵とみなされ勅令が下ったからには容易に覆すことは出来まい。ここまで来たら里の者たちのためにも、あらゆる手を駆使して討伐軍をこの地で打ち破るのみ。」

五月は決意を示す強い目で僕を見る。

山葉さんは縛られていた手首をさすりながら、五月に言った。

「私たちは千三百年先の未来から来た者です。あなたと一繁さんの戦いは後世から見たら何の意味もない無益な戦いです。どうか話し合って双方が矛を収めてください」

五月は意外そうに表情に変わると、山葉さんの顔をまじまじと見つめた。


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