第352話 茅の輪のくぐり方

中央自動車道の通行量は比較的少ないと感じられ、車の流れはスムーズで小一時間走ると甲府を過ぎた。

そこからしばらく走ると梅雨の晴れ間の青空の下、彼方に八ヶ岳山容が見え始める。

中央自動車道は南アルプスの山塊を避けるように北に向かい諏訪湖を過ぎた辺りで長野方面と中津川方面に分岐する。

僕たちはとりあえず長野方面に向かい、長野市にある祥さんの実家まで向かう予定だ。

道のりが長いため先を急ぎたい気もするが、祥さんと山葉さんが窮屈な姿勢で乗車していることを考えると、どこかで休憩を入れることが必要に思えた。

さらに運転を続け、走行時間が2時間近くなり、諏訪湖サービスエリアが間近になったところで後部座席の二人に尋ねた。

「諏訪湖サービスエリアでトイレ休憩しましょうか」

僕の提案に、祥さんはホッとした表情を浮かべ、山葉さんはチャイルドシートで眠る莉咲を見ながら僕に答える。

「そうしてくれ。莉咲のおむつも替えてあげたいと思っていたのでちょうどいい」

僕は彼女の答えを聞いて速度を落とすと、WRX-STIをサービスエリアに侵入させた。

諏訪湖サービスエリアはハイウエイオアシスならぬハイウエイ温泉が併設された大きなサービスエリアだ。上下線とも名前通りにスーパー銭湯タイプの温泉が設置されている。

車から降りた僕は、諏訪湖の湖水や緑に覆われた山々を見ながら大きく伸びをした。

ここ三ヶ月ほど、自宅を兼ねたカフェから出歩くことすら少ない日々を送っていたので、遠出をして景色のいいところに来ると開放感が半端ない。

その傍らで、山葉さんはおむつセットが入ったトートバックを肩にかけ、莉咲をチャイルドシートから抱き上げようとしている。

僕は山葉さんから莉咲を受け取ると、山葉さんの後に続いて多目的トイレを目指した。

多目的トイレを見つけると、山葉さんは乳幼児のおむつ替え用のベビーベッドに持参したアルコールのスプレーを吹き付けて除菌し、その上に莉咲を横たえると手早くおむつを換える。

山葉さんと僕は三ヶ月にわたり数限りなくおむつを換えたことで、もはやおむつ換えのプロと化していた。

新しいおむつをつけた莉咲を抱えてレストランや売店が並ぶエリアにいくと、裕子さんと祥さんがそこで待ち構えていた。

「山葉さん、お蕎麦屋さんがおいしそうだけどまだ営業していないのです」

祥さんが本気で悔しがっているのが微笑ましいが、午前七時台ではレストラン系は営業していない。

僕たちは24時間営業のフードコートで軽く朝ご飯を食べることにした。

フードコートは自動販売機で食券を買いセルフサービスが主体だが、売っている品物は意外と地域色豊かでおいしい。

「朝食代わりに食べるのに「おやき」がちょうどいいですね」

僕は野沢菜の「おやき」を食べながら山葉さんに見せつけるが、彼女も負けてはいない。

「いいや、私が頼んだ鴨南蛮そばの方が絶品だ」

彼女が食べているのは、焼き目を付けた白ネギと鴨ロースが乗った鴨南蛮そばで、見ていると確かに食欲をそそられる。

「二人とも、自分がオーダーした品物で競わないでくださいよ」

祥さんがあきれたように言い、僕と山葉さんのバトルは痛み分けに終わった。

「でも、長野までわざわざ送ってくれると、時間もかかるのになんだか申し訳ないです」

「気にしなくていい。祥さんのご家族にも一度挨拶をしておきたかったからちょうどいいというものだ」

山葉さんは鴨南蛮そばを食べながら祥さんに気を使っている様子だ。

僕は汁物を食べる間は危ないからと莉咲を抱えており、目を覚ました莉咲は機嫌のいい表情を浮かべている。

当初は長距離のドライブが乳児の体調に及ぼす影響が心配だったが、旅行に先立って横浜までドライブした時に様子を見た結果、車に乗せると気持ちよさそうに寝ていることが判明したので旅行を計画したのだ。

諏訪湖サービスエリアは小高い丘の上にあるため、諏訪湖の湖面を見渡すことができ、僕たちはしばし旅先の景色を満喫した。

休憩の後、僕は再びステアリングを握って長野市を目指した。

長野の市街地を外れると以前来た時、辺りは雪景色だったが、長野市の郊外に向かうと周辺に広がる水田やリンゴ畑には緑が溢れている。

しばらく走り、田園的な風景が広がる辺りに祥さんの実家があった。

祥さんの実家は長野市の郊外にある由緒ある神社だ。

神社の本宮は山の上にあるが、参拝しやすいように町の近くに里宮があり、近隣で信仰されていることを伺合わせる。

僕と山葉さんは、ご挨拶のお土産の定番にしている老舗和菓子店の羊羹を手に祥さんの祖父の雄一郎さんに挨拶した。

「祥さんが、中心になって店の切り盛りをしてくれるので助かっています。今後ともよろしくお願いいたします」

「いえいえ、こちらこそ不束な孫がお世話になっております。祥は交通事故のために植物状態になった姉を最後まで看取ってくれたのですが、それ故に目先を変えて新しい場所に送り出してやりたかったのです。おかげさまであの子も明るくなったと思います」

雄一郎さんと山葉さんのやり取りを聞いていた祥さんは口を尖らせた。

「いやだなあ、私は暗くなっていたつもりなんか無いのに」

雄一郎さんは柔和な笑顔を浮かべると、祥さんに語り掛ける。

「それでいい。お客様たちは先を急ぐと聞いているが、折角いらしたので本殿にご案内して参拝していただきなさい。今年は一般の参拝は受け付けないことにしていたが、せめて内村さん達に参拝していただけたら寂しさを紛らわせられる」

一般の参拝を受け付けないというのは無論コロナウイルスの感染症対策のためだが、地方では感染者の発生も減っておりそこまでする必要があるのかとも思える。

「地方なら感染者も少ないですから、そこまで自粛しなくてもよいのではありませんか」

僕は遠慮がちに尋ねたが、雄一郎さんはさみしそうな表情で頭を振る。

「夏越しの大祓いは、参拝される方々が家族の無病息災を祈る行事です。それなのに、神社に出かかてばかりに病気に罹るようでは本末転倒です。流行り病が完全に収まるまでは大きな行事を開くことはできません」

僕は、雄一郎さんに恐縮して詫びる。

「失礼しました。立派なお心がけなのに余計なことを申しました」

「いえいえ構いませんよ。それでは祥が本殿に案内します」

雄一郎さんが水を向けると、祥さんが先に立って僕たちを案内する。

「こちらにどうぞ、なんだか自分の家に案内するみたいでちょっと恥ずかしいですね」

彼女にとって、そこは自分の家のような存在なのだ。僕は莉咲を抱えなおすとちょっと背筋を伸ばして祥さんの後を追い、山葉さんと裕子さんもそれに続いた。

祥さんの実家の神社は黒龍神社という。

こじんまりとした里宮は水田地帯の山際にあり、道路わきから階段の参道を登った上にある。

階段を登りきると鳥居がありその向こうには静謐な雰囲気の境内が広がっていた。

僕たちは鳥居の右手にある手水舎で手を清めると本殿に向かった。

境内の左手には小さな社務所があり、白衣姿の初老の男性が僕たちを認めて会釈する。

「和幸さんご無沙汰しています」

「祥様ではありませんか、お久しゅうございます」

和幸さんと呼ばれた男性の言葉遣いが少し時代がかっているため、境内の厳かな雰囲気が増した感じがする。

僕たちはさらに歩みを進め、本殿の前に室られた茅の輪の前に立った。

茅の輪はしめ縄のように堅くなわれているわけではなく、まだ青みが残る茅を緩く束ねて輪にしており、その直径は僕が少し頭をかがめれば通り抜けられる程度だ。

茅の輪単体では立たせておけないために、支柱が立てられその上に渡した梁からつるされている。

「祥さん、お宅の神社の作法を教えてくれ」

山葉さんがたずねると、祥さんが嬉しそうに答える。

「普通と同じですよ、一礼して左足からまたいで輪をくぐって左に回り、戻ってきたら同様に右、左と繰り返します。最後に一礼して左足からまたいで輪をくぐったらそのまま本殿で参拝してください」

僕は間違えないように彼女の言ったことを復唱しながら輪の向こうを覗いたが、そこに見える光景に目をしばたいた。輪の向こうには夜闇が広がり赤々とかがり火がたかれている。

そして本殿の周辺にはたくさんの人影が見えた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る