第255話 呪詛のなせる業

僕はオーダーを取る途中なので和也さんが母親とメールでやり取りするのを待たされる羽目になったが、和也さんがメールを送るとそれに対して返事が来るのは早かった。

僕は『ご注文が決まりになったらこちらのボタンで呼んでください』と告げてボタンの場所を示すつもりだったのだが、和也さんがメールを送ってから三十秒もたたないうちに彼のスマホの着信音が鳴る。

僕が開きかけた口を閉じると、和也さんは素早くスマホに目を走らせてから質問した。

「そのカキフライはちゃんと火を通してありますか」

僕の推理では、和也さんが受け取った母親からのメールの返事には、カキは過熱が不十分だとお腹を壊すかもしれないから気をつけなさいと書いてあり、彼はそのままの言葉をスタッフの僕に投げつけたと思えた。

「もちろん、十分に加熱してありますよ」

僕は内心が出ないように穏やかな表情を崩さないように努めて彼に告げると、和也さんは表情を明るくして僕に言う。

「それでは、僕も同じカキフライセットにします」

僕は彼の一連の振る舞いにはかけらほどの悪意もないことに気が付き、気を取り直してオーダーを復唱した。

「ご注文を復唱します。東北産大粒カキのフライ定食お二つでよろしいですね。ご注文は以上でよろしいですか」

僕の復唱にうなずいて応えたのは恵美さんだった。僕は自分のPDTにオーダーを入力すると確定ボタンを押す。

PDTとはポータブルデータターミナルの略でWifi接続でバックヤードにあるオフィスコンピューターとつながっている。一連のシステムは山葉さんがオーナーとなって新装開店する際に導入したのだ。

ファミレスなどでよく見かけるこのシステムは、僕がPDTにオーダー入力を確定した瞬間に、厨房の田島シェフの前にあるディスプレイにはアラート音とともにオーダーが表示され、同時にレジの端末には清算情報が送られている。

僕がオーダー入力を確定し終えるとカウンターの中から山葉さんが二人に話しかけた。

「メリーランドホテルさんの優待チケットをお持ちということは、お二人はあそこで挙式されたのですか」

山葉さんは、挙式がらみの話題を投げかけて正面突破する作戦に出たようだ。

僕が横目で恵美さんの表情をうかがうと彼女の表情が曇ったのが見えた。

「いいえ、私が友人の披露宴に出席したときのアンケートの抽選が当たったのです。私たちは、まだそこまでは」

恵美さんは言葉を濁して和也さんの表情をうかがう。和也さんは恵美さんの気持ちに気が付かないのか、のほほんとした表情で彼女を見返した。

「僕もそろそろ母に相談しようと思っているのですよ。恵美ちゃんの履歴を一覧にして母に見せたら特に問題なさそうな顔をしていましたし」

恵美さんの表情がこわばった。

「その履歴の一覧って一体何なの」

恵美さんが硬い表情で質問するのに対し、和也さんは朗らかに答える。

「これまで恵美ちゃんと付き合っている間に聞いた学歴や職場それに出身地と現住所からご両親の職業までを履歴書の書式にまとめたんだよ」

恵美さんは言葉を失ったように黙り込んだので、山葉さんがとりなすように和也さんに問いかけた。

「いや、まずはご本人をあなたの両親に紹介するのが先ではありませんか」

僕はPDTな

のアラートが鳴ったのをいいことに、その場の気まずい雰囲気から逃れることにした。

しかし、バックヤードの厨房まで料理を受け取りに行こうと思っていたのに、バックヤードのドアを開けて祥さんがカートに乗せた料理を運び出して僕を手招きする。

バックヤードに逃げることができなくなったので僕はやむなく料理を受け取ってくると二人にサーブし始めた。

山葉さんの問いかけは和也さんの耳に届いたはずだが、僕が料理を並べ始めたので彼も回答を保留した状態だ。

「東北産大粒カキのフライ定食お二つです。ご注文された料理は以上ですね」

僕が尋ねると、恵美さんは伏し目がちにうなずいて見せる。それと同時に和也さんが律儀に山葉さんの問いに答え始めた。

「先に両親に会わせてしまうと、彼女の履歴等が母の気に入らなくて別れることになった時に気の毒だからですよ」

料理を食べるためにナイフとフォークを取ろうとしていた恵美さんの手が止まった。

和也さんの言葉はとりもなおさず、恵美さんの経歴をはじめとする何かが彼の母の気に入らず、『別れなさい』と言われたら、彼がそれに従うことを示しているように聞こえる。

その横で、和也さんは僕に尋ねた。

「僕はタルタルソースが苦手なので、ウスターソースをもらえませんか」

田島シェフの絶品タルタルソースを食べないなんてもったいないと僕は思うが、お客様の好みは様々なのでそういった要望もたまにある。祥さんは気を利かして配膳用のカートにウスターソースの容器も載せていたので僕はそれを差し出した。

「どうぞこちらをお使いください」

和也さんはウスターソースの容器を受け取ると、カキフライにたっぷりとかけ始める。

恵美さんもどうにか気分を立て直した様子で、ナイフとフォークを手にカキフライを食べ始めた。山葉さんは、少し疲れた雰囲気だが営業スマイルを浮かべたままで和也さんに尋ねた。

「もし、恵美さんを紹介したらお母様は気に入ってくれますよね」

和也さんは一個丸ごと口に入れたカキフライを食べあぐねていたが、どうにか飲み込むと山葉さんに言った。

「こんなに大きなカキを初めて食べました。すごく美味しいですね」

彼は、今飲み込んだカキフライのイメージの方が大きかったようでそちらの感想を先に口にしたが、聞かれたことを思い出した様子で言葉を続けた。

「そうそう、ちょうどいい機会だから彼女を連れて行っていいか母に聞いてきます」

和也さんは席を立つと、店内で通話は迷惑だと思ったのか、律儀に店の外に出て行った。

和也さんと恵美さんは社会人なので僕より年上のはずだが、僕は付き合っている彼女を両親に紹介する時に先に母親の意向を聞く和也さんの心理がわからない。

僕が疲れた気分でたたずんでいると、恵美さんが大きなため息をついた。

「こんなことばかり」

彼女が漏らした言葉は、酒井さんが気がかりにしていた彼女の表情について説明しているような気がした。

山葉さんは恵美さんの様子を見ながら穏やかに尋ねる。

「普段は彼と仲良くされているんですよね」

恵美さんは、顔を上げると不意にうれしそうな顔で山葉さんに話し始めた。

「ええ、彼はすごく優しくて格好いいから私はずっと一緒にいたいと思っています」

店の外でスマホで通話をする和也さんのシルエットが窓の外に見えている。山葉さんはその方向を見ながらゆっくりとつぶやいた。

「彼は私が呪詛と呼ぶ呪いに似たものに絡めとられているのですが、もしかしたら私の手でそれを取り除くことができるかもしれません」

「ジュソですか?和也君のマザコンを治せるとしたらうれしいけど、どうやったらそんなことができるのですか?」

僕は説明するのがもどかしくなったので、カフェ青葉のメニューの最後のページに載っている、山葉さんの陰陽師業務の広告を開いて恵美さんの前に置いた。

恵美さんは巫女姿の山葉さんの写真とともに記された広告を読むと胡散臭そうな目で山葉さんを見る。

「ご祈祷とかした後で何万円もする壺を買わないとご利益は出ないとか言われるのではありませんよね」

恵美さんは露骨に山葉さんをインチキ宗教業者とみなした雰囲気だが、山葉さんはそれでもめげずに話をつづけた。

「祈祷の料金については今回のクライアントのメリーランドホテルさんが持ってくれますし、宗教アイテムの販売もしません」

その時スマホの通話を終えた和也さんが店の入り口に戻って来たので、山葉さんは早口で祈祷を勧める。

「和也さんに祈祷を受けるように勧めてみませんか。この後すぐに取り掛かることもできますから、私が邪悪な呪いがかけられているので祓うように勧めていたと言ってくれれば大丈夫です」

恵美さんはものすごく迷っている様子で、メニューの広告ページと歩いてくる和也さんを交互に見ていたが、和也さんが自分の席に戻ると、おもむろに彼に言った。

「和也さん大変よ。このオーナーさんは陰陽師もしているけれどあなたには邪悪な呪いがかけられているからただでお祓いをしてくれるというの。これを食べたらお祓いを受けてみない?」

和也さんは恵美さんの言葉を聞いて寝耳に水の様子で目を丸くした。

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