第245話 森の祠

正晴さんは僕たちを白いセダンに乗るように促した。国産セダンとしては最高グレードに目される高級車だ。

「姉が失礼なことを言ってすいませんでした。姉は父や兄とは確執がありましたからあんな態度を取ったのだと思います」

正晴さんは自分でステアリングを握りながら、事情を説明する。

「お姉さんとお父さんたちとの確執というのは、ゴルフ場建設に関連した祠の件が原因なのですか?」

山葉さんが尋ねると、正晴さんは肩をすくめる。

「それだけではないのです。僕たちの母は5年ほど前に他界したのですが、父は近々後妻を迎えようとしていたのです。しかし、その女性が僕達よりも若く、父が接待を受けたいわゆるキャバクラに勤めていた女性なので姉は毛嫌いしていたのです」

「お姉さんとしては、生理的に受け付けないと言ったところですかね」

僕が口をはさむと、正晴さんはしばらく間をおいてから答えた。

「いいえ、姉が嫌っていたのはむしろ、父が死んだときの遺産の取り分が減るからなのです。法定で財産分与すると遺産の半分を奥さんが取ることになりますからね」

僕は何と言ったらよいかわからなくて口をつぐんだが、山葉さんは面白そうな表情で正晴さんに尋ねた。

「それならば、あなたも条件は同じなのではありませんか?現状なら遺産の三分の一を貰えるはずだったのに、後妻さんが来たら六分の一になる訳でしょう」

正晴さんは運転を続けながら、気分を害した様子もなく答える。

「理屈ではそうですけど、父はまだまだ元気そうでしたからね。父が亡くなるとしても随分先の話になりそうだからそんなことまで先回りして考える姉を、少し疎ましく感じていたくらいですね」

「それでは、あなたは後妻に来る予定だった方に悪い印象は持っていないのですか?」

山葉さんはいつになく質問が多くて立ち入ったことまで尋ねるが、正晴さんは話好きらしくよどみなく話す。

「彼女は和子さんというのですが、美人だし快活で話しやすい人なのですよ。兄と僕はそれほど悪く思っていたわけではありませんよ」

父親が年の若い女性を後妻にもらうと言えば嫌悪感を抱く人は多いはずだが、正晴さんと父親は仲が良かったのかもしれない。

「その方もお父さんが急に亡くなったから悲しまれているでしょうね」

僕が無難な話題にふると、正晴さんは大きなため息をついた。

「兄と父の車は崖から落ちて燃えてしまったのです。遺体の損傷がひどかったので僕もショックでしたが和子さんが心配ですね」

車内はちょっと気づまりな雰囲気になり、正晴さんは無言で運転を続ける。

乗用車は国道を外れると道幅の狭い道路に入り、山すそを走り始めた。ゴルフ場の建設予定地が近くなったようだ。

「祈祷をしていただく祠というのは、うちの先祖を祀った物です。それというのもうちの先祖が戦国時代にこの辺りを平定した武将だったのですが、大坂夏の陣で豊臣方について捕らえられて刑死したため、子孫は苗字を変えて密かにこの土地に戻り、人目に付かないように先祖を祀っていた経緯があるからです」

「え、そんな家系の子孫なのですか?史実として大坂夏の陣で一族は滅びたと聞いていたのですが」

山葉さんは、驚いた様子で尋ねる。

「そうです。捕らえられたら殺されるような状況で密かにこの土地に戻ったのでしょうね。それゆえ名字も楠木に変えたのです」

正晴さんは平静な表情で答えると、入り口を封鎖された山に登る道路の入り口ゲートの鍵を開ける。

正晴さんは乗用車を通してから再びゲートを閉めて運転を再開すると、周囲の切り開かれた山肌を示した。

「この辺りがうちの会社が造成しているゴルフ場の造成現場です。用地の一部がうちの土地なので大きな金額が動くプロジェクトなのです」

ゴルフ場を作るほどなので土地の面積は広大だ。その利益を考えたら先祖の祠があっても祈祷して慰霊することで工事をしたいと思うのは理解できる気がする。

正晴さんは工事用の道路に沿って車を進めると、何の目印もない路肩に車を止めて僕たちに降りるように促した。

「この先に問題の祠があるのです」

彼の案内に従って僕たちはや道路の山側の斜面に近寄り、斜面に沿って上に登る小さな道に気が付いた。

それは、山道としては綺麗に整備されたものだが、舗装道路を見慣れていると目に付かない存在だ。

山道に沿って樹林の下を進むと、やがて斜面の上方に向かう質素な石段が見え、その向こうに朽ちかけた祠が見えた。

祠は尾根の上に、麓を見下ろすように設置されている。

「人目に付かないような場所に設置したのでしょうね。僕たちも存在は知っていたのですがその由来ついては詳しく知らなかったのです。一昨年に祖母が僕たちを集めて教えてくれたのです」

山葉さん苔むした祠をしげしげと眺める。

「人目を忍んで作られた祠は寂しいものだな。移転するか否かは別にして、私が祈祷して慰めてあげよう」

山葉さんはいざなぎ流のみこ神の祭文を唱え、緩やかな動きで舞い始めた。みこ神とは死者が神となって家族を見守る存在であり、それに続く次の生への転生と一体になった思想だ。

孟雄さんが太鼓をたたき、山葉さんが神楽を舞う中で、僕はどこかで記憶した香りを嗅いだと思った。

それは昨日の空港に到着し後期に死霊に拉致されそうになった時の記憶のようだ。もしそうだとすれば、それは香りの記憶というより何か別の感覚が僕に理解できるものに翻訳されたのかもしれない。

やがて、山葉さんは祭文を唱え終え祠に向かって一礼すると、袂からハンカチを取り出して額に浮かぶ汗を押さえた。

「ご挨拶がわりの祈祷です。私には、この祠自体に呪いや怨念のようなものは感じられませんでした。いざなぎ流の博士である父が、後日時間をかけて完全な祈祷を行います」

正晴さんは僕たちに礼をすると、意外そうな表情で言う。

「そうですか。僕は祠を移転しようとした祟りで、父や兄が事故死したと言われると思っていました」

山葉さんは微笑を浮かべて周囲を見回して言う。

「この祠は、一目につかないように作られたとは言え、草木に埋もれないように管理されていたのが見受けられます。訳があって移転するとしても、きちんと祈祷も行うつもりならば、子孫の命を奪うような祟りはしないはずです」

僕は自分達が異界に連れ去られそうになった理由がわからず考えを巡らせていたが、ふと気がついて、正晴さんに尋ねる。

「この祠に奉られている方の御名前を教えて頂けますか?」

僕の質問に、正晴さんは平静な表情で答える。

「楠木一正です。楠木家の系図はそこから始まっています」

僕と山葉さんは秘かに目線を交わした。僕たちを異界に拉致しようとした死霊がその名を自分の主として口にした記憶があったからだ。

僕たちは一度、楠木家まで戻ることになり、祠をあとにした。

自動車を置いた舗装道路まで戻ると、正晴さんは車を回してくると言って、一人で乗用車にを運転して少し先にある道路幅の広い場所で方向転換を始めた。

祭具を持った僕たちの前に車を横付けしようと気を使ったのだ。

それとなく乗用車の動きを目で追っていた僕は、方向を変えるために崖の方向に後退した乗用車が、止まらずに崖に車体後部を突き出すのを見て目を見張った。

道路は舗装はされているが、工事用のためガードレールは設置されていない。

本来ならもっと手前で停止して、ハンドルを切り返してこちらに方向を変えるべきところで、正晴さんはそのまま後退し、乗用車は崖の縁から消えた。

長く感じられた間をおいて、衝撃音が伝わって来たとき、僕は正晴さんが何らかの理由で運転を誤り、崖から落ちた事を理解した。

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