新しい命
第233話 時の流れのままに
暑い日の昼下がりに、僕は山葉さんと一緒に美咲嬢が運営する七瀬カウンセリングセンターを訪ねた。
山葉さんは病人に付き添うようにして一緒に来ているが、彼女にしてみれば事実上付き添っているつもりなのだ。
僕は先日、栗田准教授が持ち込んだ日本刀「同田貫」に残っていた思念を読み取って以来、現実の生活に違和感があった。
刀の思念を読み取る前とその後では世界が変わってしまったように感じているのだ。
それ以前は、山葉さんの人格が高校生の頃の彼女の人格に入れ替わると言う事象が発生し、刀についても「呪いの日本刀」として処分されようとしていた刀を山葉さんが浄霊しようとしていた記憶があった。
僕はしばらく迷った末に、山葉さんに自分の考えを話して、僕と同じ時間線の記憶を共有していないか確かめようとしたが、彼女は僕のことを妄想や幻覚に苦しむ人を見る目つきで眺めるばかりだった。
七瀬カウンセリングセンターの待合室を兼ねている応接間のソファに座っていると、ツーコさんが僕たちの前に現れた。
彼女はクラリンと同じ大阪出身の僕の同級生で、学部生の時にインターンシップで美咲嬢の研究所を訪れ、それ依頼空いた時間にはアルバイトとして働くようになり、現在も大学院に通う傍ら美咲嬢のもとでスタッフとして働いている。
「ウッチーさんに山葉さん、今日はどうされたんですか」
彼女は僕がカウンセリングの予約をしてきたことを知っていて、事前の問診も兼ねて話しているようだ。
「実は最近現実の世界と並行するような形で、別の経過をたどった世界で暮らしていたような記憶があって、現実に違和感があるのです」
僕の訴えを聞くと、ツー子さんの表情が曇った。彼女も山葉さんと同じように僕がメンタルなトラブルに陥っていると考えたようだ。
「もう少ししたら先生が来ますから、お待ちくださいね」
ツーコさんは少しぎごちない笑顔を浮かべるとゆっくりと僕に告げて、オフィスに戻っていった。
僕はため息をつくと山葉さんに再び尋ねた。
「本当に覚えていないのですか?山葉さんは高校生の時に不治の病に侵されたお祖母さんを助けようとして、自らを山の神に捧げて、山の神が棲む精神世界に閉じ込められていたけれど、祥さんが強引に連れ戻したところだったのですよ」
「それならば、高校生の時から祥さんに連れ戻されるまでの期間、私は意識不明で寝たきりだったのか? あいにくだが私は高校卒業後短大を出て働いた後、カフェに勤務していた記憶があるから整合性が付かないではないか」
僕たちの会話は全くかみ合わなかった。彼女が僕のことを病気だと考えるのも理解できるような気がした。
やがて、僕たちは美咲嬢が面談に使っている小さな部屋に案内された。美咲嬢はショートカットのヘアスタイルに、白のブラウスと黒のタイトスカートという出で立ちで、いつも通りキャリアウーマン的な雰囲気を漂わせている。
「内村さんが調子を崩されたと聞いて心配していましたの。どんな具合か遠慮なくお話しいただきたいですわ」
彼女に促されて、僕は自分が感じている違和感について話し始めた。
美咲嬢は僕たちに断ったうえでレコーダーで録音も行いながら、紙のカルテにさらさらと要点を書き連ねていく。
僕にしてみれば、美咲嬢のカウンセリングを受けに来たのには理由があった。
僕の「妄想」の時間線の中で、美咲嬢が僕の意識を刀のかつての持ち主であった戦国時代の武士に時間を超えて送り込む箇所があり、全ての発端はそこに思えたからだ。
僕が美咲嬢自身が僕の意識を過去に送った話をすると、さらさらとペンを走らせていた彼女の手が止まった
「あら、それではまるで私が原因みたいじゃありませんこと」
美咲嬢が抗議するようにつぶやくのを聞いて、山葉さんが慌ててフォローする。
「いいえ、その話は妄想の中のことですから、美咲さんは気にしなくていいのです」
美咲嬢は顔を上げると山葉さんに告げた。
「あなたは気になさらなくてよろしいのよ。今は内村さんの話を聞き取ることが第一ですから」
僕は二人の顔を見比べてどうしたものかと迷ったが、話を続けることにした。
過去に送られた僕は本来の任務を遂行しようとしたが、美咲嬢が誤って山葉さんの意識も送ってしまい、彼女が乗り移った女性が本来そうなるはずだった行動をとらなかったことで、結末が大きく変わったことを話していると、美咲嬢が口を「あ」の字の形にして凝固した。
「そういえば私にもそんな記憶がありますわ。2日ほど前に意識したのですが、夢の記憶を混同したのだと思って気にもしていませんでしたわ」
「あなたの喋り方と今のコスチュームが一致していないことに気が付きませんか? 今のあなたは、キャリアのある女性の雰囲気ですが喋り方はキャリアウーマンのそれとは異なっています。僕が元いた時間線ではあなたは令嬢キャラだったのです」
僕が指摘すると、彼女は自分のいでたちを見下ろしながら小さな声でつぶやいた。
「そうですわ。私は本来ゴージャスな衣装を好むのになぜこのような質素ななりをしているか不思議に思っていました。内村さんの言葉が真実ならそれでつじつまが合います」
美咲嬢は納得したような表情だが、山葉さんが不満そうに割り込んだ。
「まるで私が原因で大きな被害が起きたような話ではないか。私にはそのような記憶はないことを言っておく」
美咲嬢はフッと鼻で笑うと、山葉さんをなだめるように話し始めた。
「内村さんの話は私と彼の間では限りなく真実なのです。私もその高校生時代人格が支配する山葉さんに会った記憶がございますが、それは本当に別人のような雰囲気でしたわ」
山葉さんは憮然とした表情で僕の顔を見る。
「話を整理しますと、あなたが原因ではなくて私が原因で400年以上前の過去の改変という一大事件が発生してしまったのですわ。そのためにどれだけの人間が消滅し、その代わりのように新たに出現した人間がどれだけいるのか考えただけでも恐ろしい話ですわ」
「本当にそんなことが起きたと言うのか」
山葉さんの質問に美咲嬢は無言でうなずくと、ゆっくりと説明を始めた。
「結論としてそのこと自体、今更何もできません。私たちにとっては唯一無二の過去となってしまいましたから。あえて考えるべきは当事者であるがゆえにそのことを記憶している内村さんの心のケアですわ」
僕が自分の顔を指さして見せると美咲嬢はうなずく。
「内村さんはその時かつての山葉さんつまりあなたが消え去り、可愛らしい高校生時代の人格に入れ替わったことを気に病んでいました。しかし、今はその高校生時代の山葉さんの人格が消えたことがショックなわけです」
「可愛らしくなくて悪かったな」
山葉さんがぶすっとした表情でつぶやき、僕は何だか気が多い人のように言われて面白くない。
「考えられる可能性は三つあります。まず一つは過去の改変によて山葉さんが高校生の時代に自分を山の神に捧げる行為を行わず、それゆえ人格の分離が起きなかった。もう一つの可能性は、この時間線でも人格の分離は起きていたが、過去の改変の際の擾乱で人格が一つにまとまった。私はこの可能性が最も高いと考えています」
僕は気になったので美咲嬢に聞いた。
「まだ可能性を二つしか言っていませんよね」
美咲嬢は口角を上げて答える。
「もう一つの可能性は、あれは実は山葉さん以外の人格だった可能性です。人には往々にして先祖の霊などが付いていますが。あなた方のように霊感が強いとその霊を取り込んでしまうのですわ。霊というのは死んで元の体を離れると、記憶を司るハードウエアが無くなるため、自信が何者かわからなくなりその結果、もう一人の山葉さんとして振る舞っていた可能性があります」
僕は訳が分からなくなってきた。
「もしそうだとしたら、彼女は何者なのですか」
美咲嬢は肩をすくめた。
「過去に目を向ければ山葉さんのご先祖。当時山葉さんのおばあさまはご存命だったのでひいおばあさまあたりの可能性が強いですわね。翻って未来に目を向ければ転生してあなた方の娘になるかもしれない。先の2つの可能性が正しいなら彼女は現在の山葉さんの一部となっているし、別人格だったなら、少し待てば内村さんの目の前に現れることになります」
美咲嬢の話は論理的なようでいて、実は何の説明もしていないような気がする。僕は何だかおかしくなって彼女に言った。
「もういいですよ。あなたが憶えていてくれたおかげで、自分の頭が狂っている訳ではないと分かったので、十分です」
美咲嬢は意外そうな表情を浮かべたが、僕が立ち直ったとみて取ると笑顔を浮かべて言う。
「大丈夫なら上出来です。実は私の方からお二人に頼みたい案件がありましたのよ。ちょうどいいから話を聞いていただけますかしら」
「ほう、どんな話なのかな」
面白くなさそうな表情だった山葉さんは、俄然興味を持った様子で美咲嬢に尋ねた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます