第232話 タイムパラドクス

「あなたは以前からそんな高度な技を使うことができたのですか」

山葉さんが、怖そうな表情で美咲嬢に尋ねた。妖だからこそ可能なのかもしれないが、人知を超えた振る舞いを当たり前のように口にする美咲嬢に少し引いているようだ。

「もちろんできましたわ。ただし過去に意識を送り込めるのは以前に私が接触した人間とその周辺の数人限り、そしてもう一つ制約があります」

「何が制約になるのですか」

僕が尋ねると美咲嬢は黒崎氏を示して言う。

「私が術をかける以上、自分の意識を過去に飛ばすことはできません。そして過去に飛ばす人間は誰でも良いわけではなく、所謂霊感が強いタイプであることが条件です。これまで、黒崎を被験者にしていろいろと試したのですが、彼にできるのは過去の情況を見聞きして戻ってくるのがやっとですの。過去の人間を操って、歴史の改変につながるような動きをさせるには途方もないエネルギーが必要なのですわ」

僕は途方に暮れる思いで美咲嬢を見つめる。

今日の彼女はアップにしてボリューム感のあるヘアスタイルと、ナチュラル素材の淡い色調のワンピースにざっくりとした雰囲気のジャケットを合わせた高級お嬢様系のコーデでまとめているが、彼女にとっては普段の仕事着らしい。

美咲嬢は僕に目を戻して機嫌のよさそうな顔で付け加えた。

「あなたなら、生い先の短い人間に一言質問して答えを聞くくらいのことはできそうな気がしますの」

僕は美咲嬢の言葉から彼女が真剣に話していることを理解した。何故なら彼女はタイムパラドクスが発生する危険も考慮したうえで、危険は少ないと判断して僕を過去に送ろうとしているからだ。

僕たちが浮世離れした会話を交わしている脇で、真由美さんが横たわった由香里さんに呼びかけ、騒ぎを目の当たりにしたネット繋がりの女性たちは立ち去りもせず、遠巻きに二人を見守っている。

「どうやって僕を400年も前の世界に送り込むのですか」

僕が懐疑的な気分で美咲嬢に問いかけると、彼女は口角を上げて僕を見返す。

「ウッチーさんさえよろしければ、今すぐにでも」

その時、不穏な気配を感じた山葉さんが僕に駆け寄った。

「ちょっと待ってください。戻って来られなくなったらどうするつもりですか」

美咲嬢の返事を聞こうとした僕は周囲の情景が一変していることに気が付いた。

月明かりがあるとはいえ、暗い夜道で、周囲には微かに灯が漏れる家並みが続いている。

傍らにいる女性と今しがたまで取り留めのない会話をしていた記憶がかすかに残る。

会話の相手に意識の中で「およね」とタグ付されていることに気付き、僕は自分が四百年前に生きた晴雅さんの意識の中に送り込まれたことを悟った。

僕が思わず足を止めると、横にいたおよねさんも立ち止まる。その時物陰から僕たちの前に現れた人影があった

「およね殿、この男拙者が切り捨てる故、忘れて輿入れの事を考えてくだされ」

僕は慌てた。問題の水田氏が僕を斬るつもりで立ちふさがったのだ。気持ちの準備ができていなかった僕は身を翻して走り去ろうとしたが、水田氏が口にした言葉が耳に入った。

「逃げるのか下郎」

そうだ、この言葉の後で晴雅さんと水田氏は斬り合いとなり、間に入ろうとしたおよねさんが水田氏に刺されるのだったと僕は流れを思い出した。

僕、つまり晴雅さんは振り返りざまに剣を抜いて上段に構えて対峙しなければならない。

僕は仕方なく足を止めると、振り返りざまに刀を抜いて上段に振りかぶる。

そのとき僕は本来あるべき段取りと違う動きをしている人物に気が付いた。

およねさんが僕の背中の後ろに回り込んでへばりついているのだ。

何故だ?と僕は軽い恐慌に襲われる。

ここで彼女が水田氏に刺されなければ歴史が変わってしまう。

もしかしたら僕の意識が送り込まれたことによるバタフライ効果がおよねに違う行動をとらせたのだろうかと僕は思いを巡らす。

水田氏は中段の構えから闇雲に突進し、僕は必死の思いで彼の突きを受け流した。

突進する切っ先を払いのけられた水田氏は、よろめいてから踏みとどまったがその時には僕は再び上段に刀を構えている。

水田氏は再び刀を構えようとしたが、僕が上段に構えた刀に威圧されるようにじりじりと後ろに下がると、後ろを向いて走り去っていった。

「すいませんウッチーさん。怖かったので思わず隠れてしまいました」

背後から聞こえた言葉に僕は凍り付いた。美咲嬢が僕の意識を過去に飛ばそうとした時に駆け寄ったため、山葉さんの意識も過去に送り込まれていたのだ。

およねさんと水田氏は本来この場所で死ぬ運命の人間だった。

タイムパラドクスを避けるために、今この場でおよねさんを刺殺し、逃げた水田氏を見つけて斬り捨てれば人間の頭数上のつじつまは合うが、おそらく晴雅さんが凶行の下手人として処罰され、それですら歴史の流れに大きな影響が及ぶ。

僕が躊躇していると背後からおよねさんの声が聞こえた。

「晴雅殿、屋敷の人間に知られた以上これからそなたに会うことはかなわぬかもしれぬ。」

それは意識を送り込まれた山葉さんの言葉ではなく、およねさん本人が発した言葉に思えた。

呼びかけられた晴雅さん自身の意識が動き始め、僕は次第に彼の体の支配を失った。

「困ったことじゃ。どうしたらよいかの」

晴雅は落ち着いた声で答え、頭上に構えていた刀を降ろした。

「二人で江戸に行かぬか? 水田殿が騒ぎ始める前に、身の回り品だけ集めて出立してしまえばよい」

お米の提案を聞いて、晴雅の頭に様々な考えが浮かんだが、やがて自分が大坂にいるのも一時の食い扶持があるがための事だと気づいた。

江戸に出て士官の口を探したところでさして変わりがあるわけではない。

「いいだろう。わしはすぐにでも出立できる」

およねの顔がにわかに明るくなった。

「本当か。荷物を持たずとも大丈夫なのか」

晴雅は肥後の国の同田貫の里で打たれた自分の刀を月の光にかざした。

「わしはこれさえあれば生きていける」

手に馴染んだ重厚な感触と、真っすぐな刃紋を確かめると晴雅は刀を鞘に納めてパチリと鯉口を閉じた。

右腕にしなだれかかるおよねの温かみを感じながら、晴雅は自分が新しい一歩を踏み出したことを感じていた。

晴雅さんが新しい人生の一歩を踏み出したのは良かったが、僕にとっては歴史が改変されたことに他ならない。

僕は自分の存在が晴雅さんから引きはがされると、虚空に放り出されて大きな擾乱に巻き込まれていくのを感じた。

漆黒の中を、たくさんの人や物、そして思念のかけらのような映像の切れ端が渦を巻きながら流されていく。

「ウッチーさんごめんなさい。私のせいでこんなことに巻き込まれて」

声の主は女子高生姿の山葉さんだった。彼女はセーラー服を着て僕の傍で虚空を漂っている。

僕は彼女に向かって手を伸ばしたが、ひときわ大きな擾乱が僕たちを引き離す。

「ウッチーさん私はあなたを」

彼女の言葉は途中で途切れ、その姿は闇に飲み込まれていった。

気が付くと、僕は鞘に入った日本刀を片手に目の前にいる女性たちに説明をしている最中だった。

「関ヶ原の戦いの後で、当時のこの刀の持ち主は一時豊臣方の大名に食客として召し抱えられるのですが、そこで幼なじみの女性と再会し恋仲になります。彼は悩んだ末にその女性と一緒に駆け落ちのようにして江戸に向かい、後に仕官します。大坂の陣で家康公を守るために活躍した彼は、旗本に取り立てられ、末永く幸せに暮らしたようです」

僕が話を終えると目の前に並ぶ女性たちから一斉に拍手が起きた。

「内村さんありがとうございます。この刀にそんな由来があったことがわかれば両親も大事にしてくれると思います」

由香里さんが嬉しそうに僕に礼を言い、その横から山葉さんが口をはさむ。

「この刀は沢山の人を斬っている故に、少なからぬ霊が取り付いていましたが、私が祈祷したところ、長い年月が流れて執着するものも無くなったことから皆帰るべき場所に戻って行きました。刀はお家で大事にしていただいて大丈夫です」

由香里さんと真由美さんたちが嬉しそうに談笑を始める。しかし、僕は自分の記憶が書き換えられていることに気が付いた。

僕と山葉さんは栗田助教授の依頼で刀に取り憑く霊を浄霊したうえで、その来歴をサイコメトラーよろしく調べたところだ。

しかし、それと並行する形で僕の頭には別の記憶が残っている。刀が光を放って由香里さんが刀に取り憑かれて暴れようとした場面は幻覚ではないはずだ。しかし、いざなぎの間の中には美咲嬢と黒崎さんの姿も見えない。

僕は小声で山葉さんに尋ねた。

「山葉さんさっきまでの事を覚えていますか」

「ん? 何のことだウッチー」

僕に答えたのは高校生当時の山葉さんの人格ではなく、本来の彼女だった。

僕は異なる世界に一人で放り出されたような孤独感を感じて立ちすくんだ。

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