第215話 妖と戯れ

僕は彼がこのまま座敷童化していくのが良いのか判断が付きかねていた。

「両親に殺されたとか、見捨てられたと言うのは大変なことだと言うのはわかるけれど、そのために、地上をさ迷い続けると言うのはなぜなのだろう」

僕の言葉を聞いて、座敷童がそんなこともわからないかと言いたげに僕を睨む。

「確かに血縁が無くても心の繋がりがあれば、魂を受け継いでもらうことは可能だ。しかしそれは社会との接点があればこその話。幼子が両親に命を絶たれ、兄姉たちが化け物と忌み恐れるようでは到底無理な話だ。あの子とて似たような状況だろう」

座敷童の言葉を理解するうちに僕は返す言葉が無くなっていった。

その時、小学生の霊の表情が変わった。

「今、お母さんが会いに来てくれている。僕にすまなかったと言いながら涙を流しているよ」

僕たちがどうしたら良いかわからなくて互いに顔を見合わせていると、小林さんのスマホの着信音が鳴った。

小林さんはスマホを取り出すと通話し始める。どうやら地元の警察署からの連絡のようだ。しばらく通話すると小林さんは僕たちに告げる。

「驚きましたね。呼び出しを受けた母親が出頭に応じて、遺体の身元を確認したそうです。夫が反対するのを振り切って出て来たらしく、顔には殴られた跡があったようですよ」

無言で成り行きを見ていた山葉さんは小学生の霊に近寄ると身をかがめて彼と同じ目線で語り掛けた。

「お母さんのもとに戻りたいか?私が祈祷すればおかあさんの所に戻すことができるよ」

小学生は山葉さんから目をそらして考えていたが、やがてゆっくりとうなずいた。

山葉さんは立ち上がると山の神の祭文を唱え、軽やかに舞い始めた。

座敷童は何か言おうとしたが、思いとどまって口を閉じる。

いざなぎ流の祭文は物語のようだ。山葉さんが紙に捧げる神楽を舞い、山の神の物語に聞こえる祭文を唱え終わった時、部屋の空気は少なからず変わった。

山葉さんは祭文を唱え終わると同時に、小学生の霊は人としての姿を失い青白い光の塊と化して山葉さんの掌の上に引き寄せられていく。

彼女はひときわ強く気を込めると、光の塊を何処とも知れない時空へと送り出していた。

「浄霊に成功したのですか?」

僕が尋ねると、山葉さんは額に汗を浮かべ、息を整えながら答えた。

「この時空に彼の気配はなくなった。うまくいったと思うよ」

「私もそう思います。彼の転生を阻んでいた状況が劇的に変化したような気がします」

瑛人さんが静かに説明する。

「どうして、状況が変化したのでしょうね?」

僕は瑛人さんに尋ねた。座敷童の女の子二人は畳の上に並んで、床に置かれたゲーム機を眺めている。

「私があなた達に助力を求め、あなた達と一緒に彼の遺体の発見に至ったことが状況を動かしたのですね。彼はきっと自分の母親の子として再び生を受け、人の輪廻に戻っていく。それでよかったのではないでしょうか」

瑛人さんは僕に答えながら、落胆したように見える座敷童たちの頭にそっと手を乗せた。

二人の座敷童たちはそれぞれが瑛人さんの手を握る。

もとより、瑛人さんはこの座敷童二人と仲が良い。去年僕たちが山形を訪れた際に、彼は座敷童に誘惑されて幽体離脱して一緒に遊びに興じたため、危うく衰弱死するところだったのだ。

山葉さんは僕たちの前に来るとつぶやいた。

「いつかあの小学生の母親が新しい命を身ごもるときには彼はその子供として再びこの世に生まれ変わるにちがいない」

小林さんは鼻をすすりあげながら言った。

「良かったです。今回は私たちの稼ぎは全くありませんでしたが、これほど達成感を感じたことは今までにありません」

小林さんと瑛人さんは穏やかな表情でたたずんでいたが、宿の女将さんが食事の準備ができたと僕たちに告げに来ると、別れの挨拶を告げて帰って行った。

後に残された座敷童は床に目を落としながらぽつりとつぶやいた。

「分かったよ。この結末の方があの子のためには良かったと言うのだろう」

彼女の顔はどこか寂しそうだった。

「私たちが時々遊びに来るよ、次に来た時もこうして会ってくれるね?」

山葉さんが語り掛けると、座敷童は少し表情を明るくした。

「本当にまた来てくれるのか?私はあの子が一緒にやろうと言っていた鉄道ゲームをしたかったのだ。一緒に遊んでくれたら幸せを運んでやるぞ」

金髪の座敷童も隣でうなずいている。

2人の座敷童は何処までが本気かわからない雰囲気で僕たちに宣言すると連れ立って廊下の奥に走っていく。きっとまた、この建物には存在しないはずの廊下の奥へと消えていくのに違いない。

僕は明るく見える彼女の表情の下に秘められた悲しい過去を思って胸が痛んだ。

翌日、僕たちは山形を後にして東京に帰ることにした。

「帰るルートはどうしましょうか」

僕は荷物をまとめながら山葉さんに尋ねる。

「そうだね。仙台方面に出て海岸沿いを通って帰ろうか。牡蠣やホヤなんかを仕入れて田島さんや祥さんに食べさせてあげよう」

山葉さんは機嫌よく答える。僕は彼女が新メニューを開発するつもりかと期待しながら、市場のような場所で発砲スチロール箱に氷を詰めて売ってもらえたら何とか東京まで鮮度を保てるかと気をもんでいる。

山葉さんは、僕が片手に持った携帯用ゲーム端末に目を止めて言った。

「そのゲーム機はどうするのだ?」

「これは座敷童の間に奉納していくつもりです。彼女は鉄道ゲームをやりたいと言っていましたからね」

僕はそう言いながら、座敷童の間の前に行くとその扉を開けた。人形が並ぶ棚に携帯用ゲーム機を置いて行くつもりだったのだ。しかし、座敷童の間にはこたつで花札に興じる三人の小さな人影があった。

山葉さんの説明に反して、あの小学生が座敷童の元に戻ったのかと僕は少なからず慌てる。

しかしその顔は、ランドセルの小学生とは異なる顔立ちだった。

「君は、もしかして瑛人君なのか?」

瑛人さんが、以前幽体離脱して座敷童と遊んでいた時の姿に似ていると思い当たったのだ。

「見つかったぞ、みんなずらかれ!」

黒髪の座敷童が素早く立ち上がって叫ぶと出入り口を目指して走り始める。金髪の座敷童と子供の姿となった瑛人さんがその後に続いた。

「キャーッ」

座敷童と瑛人さんは歓声を上げながら廊下を走り抜けると、廊下の奥へと消えていく。

「大丈夫なのかな、以前彼が座敷童たちの元に来ていた時は、残された体が衰弱死の危険にさらされていたのだが」

「彼の事だから自分が死なない程度に調整しているのでしょう」

僕は瑛人さんが座敷童に気を使って遊びに来ている気がしてならなかった。凄腕退魔師でありながら座敷童の気持ちも考慮する彼はいい奴なのだ。

「またあの子たちに会いに来なければいけないね」

山葉さんは優しい目で座敷童たちが走り去った小部屋の中を見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る