第210話 新緑の林を抜けて

蔵王の山頂からふもとまで戻った僕たちは、昼食をとることになった。

さすがに鰻とカニのメニューは却下され、僕たちは小林さんの案内で、おそばで有名な地元の店に立ち寄った。

国道から離れた住宅街にある蕎麦屋さんは、内部も民家のお座敷風で素朴な雰囲気だ。

運ばれてきたソバは、東京で多い更科系とは少し違い、殻ごと引いたそば粉の風味がよくわかる太めの平うち麺だ。そして盛りソバに添えられたナスの漬物がすごくおいしい。

「地元の方が案内してくれるお店は美味しいですね」

僕が褒めると、小林さんはうれしそうな顔をする。

山伏姿で大角様を演じている時より自治体OBらしく地元を案内してくれている方が好感度が高いと思えた。

その横で山葉さんが、ソバを食べながら自分の腕時計を確認している。どうやら僕たちは観光ドライブに時間を取りすぎたようだ。

瑛人さんの体験では、小学生の霊は午後2時以降に出現するというのだが、時刻は既に1時を回っている。

移動時間も考慮すると、時間に余裕がなくなっていたのだ。

食事を終えた僕たちは、WRX-STIに乗り込むと、朝小学生の霊を見た国道沿いのスポットへと急いだ。

道路わきに車を止めた僕たちは、再び道路わきのガードレールの下に置かれた清涼飲料水の瓶のあたりにたむろした。

「ここがあの子供が無くなった事故現場というわけではないはずだが、なんとなく引き寄せられるね」

山葉さんはガードレールの横にしゃがみこんでその下に置かれた清涼飲料水の瓶を眺める。

瑛人さんが何か言おうとして口を開きかけた時、僕は気配を感じて振り返った。

そこでは、黄色いランドセルカバーをかけた黒いランドセルを背負った子供が、物珍しそうにこちらを見ていた。

僕は子供を驚かさないように小さな声で皆に注意を促す。

「あの子が後ろにいますよ」

その小学生の霊は僕たちにとっては独立した人格を持った存在だ。瑛人さんは弾かれたように立ち上がると、小学士の霊に向かって足早に歩いて行く。

山葉さんは、振り返ると眉間にしわを寄せて、小学生がいる辺りを凝視し始めた。眉間にしわを寄せるのは彼女が霊視をするときの癖なのだ。

僕は、瑛人さんに遅れまいと彼の後に続いたが、小学生の霊は自分を捕まえようとする僕たちの気配に気が付くとくるりとうしろを向いてパタパタと走り始めた。

僕の目の前で瑛人さんが全力疾走に移った。彼は小学生の霊に置いて行かれないように懸命に両手を振って大きなストライドで追いすがろうとする。

しかし、瑛人さんは悲しいかな引きこもりの人だった。懸命に走る彼を小学生の霊はさほど急ぐ様子も無く引き離して遠ざかっていく。

「瑛人さんは彼が何処に消えるか見定めてくれ。」

僕は瑛人さんに追い抜きざまに叫んでから全力疾走した。

僕とて、運動神経抜群というわけではないが、最近は少しは体を動かすように心がけているので引きこもり男子よりはましだ。

しかし、ランドセルを背負った小学生の霊は、尋常ではないスピードで僕を引き離していく。

とはいえ、僕にとってはそれは想定内の話だった。

今朝同じシチュエーションで振り切られた時よりも少しでも長い時間小学生の霊を追跡し、彼が何処に消えるかを見届けようと思い、僕はそれだけのために運動不足気味の体に鞭打って、血液中の溶存酸素が無くなるくらいの勢いで走り続けていた。

そして今朝は振り切られた国道のカーブも、小学生を視界に納めたままで走り切る。

文字通りの意味で体の中の酸素を使い切った僕は目の前が暗くなり始めていたが、かなり先を走っていた小学生の霊は不意に向きを変えて道路の山側の木立の中に走り込んでいくのが見えた。

僕は、足がもつれて倒れそうになりながらスピードを落とし、道路わきの歩道の上にへたり込んだ。

道路の上に膝と両手をついてた情けない格好の僕の所に、瑛人さんそして山葉さんと小林さんが次々と追い付いてくる。

「あの子は何処に消えたのですか」

瑛人さんが僕に尋ねたが、彼の言葉はゼハゼハとせわしない彼自身の呼吸で聞き取りずらい。

「あそこだ。谷筋の道に沿って山の中に走り込むのが見えた」

僕が指さす先は道路脇まで山が迫り林に覆われたエリアだ。その部分は谷になっていて谷筋を流れてきた水は、暗渠を通じて道路の下を抜けていく。

小学生の霊が消えていったのは、谷の上に続く沢の脇につけられた細い踏み分け道のあたりだった。

「ウッチーよくやった。その道を登ってみよう」

山葉さんはへたり込んだ僕の腕を引っ張って無理矢理立ち上がらせたが、そのおかげで僕はパンケーキやソバが入り乱れた胃の内容物が口から飛び出すのを抑えるのに必死だった。

道路から林の上を見上げるとそこには、岩がむき出しとなった崖がそそり立っていた。

僕は午前中に垣間見た、小学生の霊に起因し瑛人さん経由で僕に伝えられたと思われる視覚情報やそれに伴う感情の断片を思い出していた。

あの視覚情報は、目の前に見える崖の上から俯瞰した光景だったのかもしれない。

僕はそう確信しながら、人一人がやっと通れるほどの踏み分け道に足を踏み入れていた。

「私が見た光景はこの崖の上から見たものだったのだろうか」

僕の後ろに続く瑛人さんがつぶやくのが聞こえた。彼も前方にそびえる崖が僕と彼が見た光景の舞台に他ならないと思っているようだ。

踏み分け道の周辺は落葉樹の林で、芽吹き始めた木々の枝先には新芽が白く輝いており、日が差し込む林床では落ち葉を振り払うようにして薄紫色のきれいな花が咲いている。

「カタクリの花だ。久しぶりに見たな」

山葉さんがつぶやくのが聞こえた。

僕はカタクリとはかたくり粉のカタクリだろうかと悩んでいたが、場の雰囲気のために聞くに聞けないまま瑛人さんの後を追う。

瑛人さんは急な坂道を登っていき、踏み分け道はやがて、一抱えもありそうな岩が積み重なったがれ場に消えていた。

がれ場とは急な崖の下に、崖の斜面から崩落した岩が積み重なった場所のことだ。

僕たちが昇って来た道は急斜面の上に壁のように立ちはだかるむき出しの岩壁のしたあたり、下から見て左の端のあたりで消えていた。

崖の左右は急斜面ではあるが木々に覆われている。

道が続いているとしたら、左の樹林の中を崖を避けるようにして急斜面を登っているはずだ。

瑛人さんと僕は顔を見合わせると一緒に道の続きを探し始めた。

行きがかり上、崖を迂回して崖の上側に出なければならないと考えたからだ。

岩の積み重なった斜面に何か踏み跡のようなものがないか探したり、樹林の切れ目から道が始まっていないかと目を凝らしていると、僕たちの背後から山葉さんの叫び声が聞こえた。

「二人とも右を見ろ。崖の下に何かがいる」

僕と瑛人さんは慌てて振り返ると山葉さんが示す方向を見た。

僕の目に映ったのは、あの小学生がこちらに向かって小さな手を振る姿だった。

「あそこで僕たちを呼んでいますよ」

「僕にも見えます」

僕たちは互いに小学生が見えていることを確認すると、急いで積み重なった岩の上を斜め横切るように登り始めた。

早く登らないとあの小学生がまた消えてしまうという強迫観念が僕たちを急き立てる。

僕と瑛人さんは積み重なった岩に足を取られながら必死で登って行った。

しかし、足もとに気を取られ、岩に手をついているうちに、いつしか手を振っていた小学生の姿を見失ってしまう。

僕が崖の下までたどり着いた時、先に到着していた瑛人さんは呆然とした表情で崖の上の方を見つめていた。

彼の近くまで来て、僕は見覚えのあるぼろきれが足元にあることに気が付いた。

ぼろきれを見るうちに僕はそれが小学生の霊が僕達の前に現れた時に着ていたものと同じ布地だと気が付く。

そしてよく見るとその周辺には岩に交じって小さな骨がそこかしこに転がっていた。

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