第211話 フリークライミング

「これは人間の骨ですね。大きさを考えると小学校の低学年くらいでしょうか」

小林さんが冷静な口調で独り言をつぶやき、僕たちは現実に引き戻された。

僕も瑛人さんも子供がこんなところで白骨死体になるまで発見されていなかったことにショックを受けていたのだ。

僕たちは周囲を見回すが、完全に白骨化した骨は辺りに散らばっており、頭蓋骨を見つけるのに時間がかかったほどだ。

「警察に届けるべきだね。通報をする前に私たちが何のためにここに分け入ったか皆で口裏を合わせておこう」

「どういう意味ですか」

山葉さんの言葉を聞いて瑛人さんが不審そうな顔をして聞き返したので、僕は慌てて説明を始めた。

「彼女は、警察に事情を聴かれた時に本当のことを話すと、話がややこしくなるから幽霊の姿を追ってここまで来たのではなくて、偶然ここにきて子供の骨を発見したことにしようと言っているのです」

「なるほど、幽霊話の部分で無意味な押し問答をして時間をつぶさなくてもいいように、警察がすんなり聞き入れてくれるストーリーを作っておくわけですな」

世事に通じた小林さんは僕たちの意図を素早く理解したようだ。

「その辺のシナリオを作るのはウッチーが上手だから彼に任せていいかな?」

山葉さんの言葉に瑛人さんと小林さんはそれぞれにうなずくが、いきなり話を振られた僕は大いに慌てた。

「えーと、今回のストーリーとしては、僕たちは去年座敷童の宿を訪ねて来た時に瑛人さんたちと知り合いになったわけですが、ゴールデンウイークを使って一年ぶりに山形県に観光に訪れたという設定にしましょう。この崖の下まで来たのは山葉さんが野生のカタクリを見たいと言ったので、瑛人さんが案内して自生地を観察に来たということでいかがですか」

もはやシナリオライターの世界だ。しかし、ぼくが適当に考えた設定なのに、小林さんは感心した表情でこちらを見ている。

「さすがですね。その設定なら地元の警察が何ら疑いなく受け入れてくれるでしょう。私たちが昨年知り合ったとか事実もちりばめてあるところがいいですね」

小林さんは饒舌に言葉を続けようとするが、瑛人さんがしゃがみこんで小さな骨を眺めながら、彼の言葉をさえぎった。

「小林さん、早く警察に連絡してください。一刻も早くこの子を自分の家に戻してやらなくては」

小林さんは表情を引き締めると、自分のスマホを取り出して通報を始めた。

彼は110番通報したのではなくて、地元の警察署に直接電話をかけているようだ。

小林さんは警察署勤務の知り合いがいるらしく、電話口に相手を呼び出すと、僕が考えたストーリーのとおりに状況を伝えている。

その横で山葉さんは瑛人さんと並んで周囲に散乱した骨を見ながら、口を開いた。

「一連の目撃報告では山西さんに瑛人さん、そしてウッチーが一様に小学生は黄色いカバーを付けたランドセルを背負っていたと述べている。それなのにここにランドセルが存在しないのは何故だろう」

ぼくと瑛人さんは一斉に上を見上げた。山葉さんもつられて顔を上に向ける。

僕たちの頭上には高さが30メートルはありそうな岩壁がそそり立っている。そして一番上の方はオーバーハング気味に突き出してさえいた。

「この上に登っていたのか」

僕は小高いところから俯瞰したミニチュアのような集落の景色を思い出した。瑛人さんの記憶を介しているとはいえ、もとはここに横たわる小学生が生前に見た光景のはず。

だとすれば、彼はこの崖の上に登ってそこから転落したのに違いない。

「小学生が登れたのだから、どこかに容易に登れるルートがあるはずだ。上まで登ってみましょう」

ぼくが言うと、瑛人さんがうなずくのが見えた。

「ふむ、正面の垂直に近い岸壁は論外として、西側の木立に覆われた場所までの間に大きくえぐれた溝状の個所がある。ところどころ灌木も生えているから手掛かりに仕えそうだな」

山葉さんは早速、地形を読んで登攀ルートを探していた。彼女は四国の山深い里で育ったので道なき岩壁を登ることには長けている。

結局、軟弱者の僕や瑛人さんを引っ張って山葉さんがルートを開拓しながら岸壁の頂上を目指して登ることになった。

「私は、地元の警察署が来たら案内します」

小林さんは逆に国道がある下の方に降りていき、僕たちは山葉さんを先頭に岩の壁を登り始めた。

山葉さんの見つけたクリークは岸壁の下から3分の2くらいまで続いていて、手掛かりになるでっぱりも沢山あるため比較的に容易に登ることができた。

問題はそこから上だった。傾斜が急になる上にクリークも途切れ、手掛かりになる物を探しながら登るしかなかった。

僕の失敗はそこで下を見てしまったことだ。

人間は高さに対して12メートル前後が最も強く恐怖心を感じると言う。僕のいた高さは20メートルほどあったはずだが、わずかな凹凸を頼りに岩壁に張り付いているとその高さでは恐怖を感じずにはいられない。

「手足の3か所は固定して一か所だけ動かしてゆっくりと登るんだ」

僕と瑛人さんに頭上から山葉さんの指示が飛ぶ。

彼女が先に登ってルートを探しながら僕たちに気を配ることができるのが信じがたい。

山葉さんに指示されたとおりに灌木の小さな幹を掴み、ほんのわずかな岩のでっぱりに指をかけながら岩肌を上り、僕たちはどうにか岩壁の上に辿り着いていた。

岩壁の上端は幅が2メートルほどのテラス状になっていた。僕たちは小学生の遺体が見つかった場所の真上のあたりを目指して歩き、目星をつけていた辺りを探した。

岩のテラスの端から下を除くと、自分たちがいたガレ場までは目がくらむような高さだ。

僕がじりじりとテラスの端から後ずさりしていると、後ろから山葉さんの声が響く。

「ここだ、ランドセルや漫画の雑誌が置いてある」

山葉さんが見つけたのは岩のテラスからさらに上に続く斜面に木々が生い茂っている場所で大きな岩が積み重なった下に子供が入り込めるくらいの空洞ができていた。

そこにはランドセルや子供向けのコミック雑誌、そしてスナック菓子の袋まであった、それらはみな風雨にさらされて色褪せ、苔むしている。

「子供の秘密基地みたいなものかな」

瑛人さんがランドセルに手を伸ばそうとしたが、山葉さんが手でそれを制した。

「一応、警察の鑑識活動があるはずだから我々は手を触れないでおこう」

山葉さんのいう事はもっともだった。僕たちは下手をすれば他殺かもしれない子供の白骨死体を発見したのだ。

山葉さんはその場を荒らさないように元の岩の上に戻ろうと言う。

山葉さんと瑛人さんが戻って行く時、僕は足元にジッパーバッグに入った携帯用ゲーム端末があるのを見つけた。

鑑識のために手を触れないようにと言われたばかりなのに僕の手は勝手に動いてそのジッパーバッグの埃を払うとポケットに入れていた。

僕たちは岸壁の上のテラスに戻ると眼下の景色を見下ろした。先ほどは崖の直下の自分たちがいた場所ばかり見ていたが、周囲に目を移すとその辺りの集落が見渡せる。

ミニチュアのような景色は初めて見るが既視感のあるものだった。

「あの子はここから自分の住む集落を見ていたのですね」

「そう、自分の家なのに自分の居場所が何処にもない無い家がある集落をね」

僕の独り言のような呟きに瑛人さんが答えたので、僕は驚いて彼の顔を見た。

瑛人さんの目から涙があふれて頬に伝わっている。

僕が彼にその理由を尋ねようとした時、眼下の国道を数台のパトカーが廻旋灯を回しながら近づいてくるのが見えた。

「彼の遺留品も見つけたし、そろそろ崖の下に戻ろうか」

山葉さんは平然と言った。

しかし、僕は先ほどの崖を下に降りる自信はない。

「垂直に近い岩肌ですよ。ロープもないのに降りる方法はあるのですか」

ぼくが恐る恐る尋ねると、彼女は小さく口を開けて手で口を押えた。

どうやら彼女は降りる時のことは考えていなかったようだ。

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