第194話 盛り上がらないお花見

「おかしいとは思わないか?浩一さんの霊を見た印象を皆が持ちよれば、服装や容貌からから自衛隊員という職業、最後には個人名まで特定できたのに、あれについてはイメージがばらついて定まらない」

山葉さんが沈んだ口調でつぶやくと、祥さんが顔を上げた。

「それは、私たちがあれの本当の姿を見ているのではないという事なのですか」

黒い影は時に僕たちを悩ます存在だ。自分たちの愛する人間にそれが迫っていれば人はみなそれを排除することを考えるが、それは僕たち霊視が効く人間をあざ笑うようにどんな干渉も受け付けない。

僕は、以前それについて山葉さんと話したことを思い出した。

「あれが人の形に見えるのは、僕たちの感覚が人の姿を当てはめているだけで本当は時空の裂け目のようなものだと話したことがありましたね」

ぼくはおぼろげな記憶を頼りに以前の話の結論を持ち出す。

「私もそんな話をした記憶がある。もしそうだとすれば何らかの原因で田島さんに死期が迫っているのを我々が感知しているだけの話だ」

沼さんは、黒い影と並んでたたずんでいる浩一さんの霊を眺めた。

「そっちの霊が、死の運命を引き寄せたという事はありませんか。事故死した人の霊がいる場所は交通事故を招きやすいと言います」

浩一さんの最後の想いに触れた僕は反論せざるを得なかった。

「それは違いますよ。彼は田島さんを守ろうとして守護霊になったのですから、自ら災いを招くとは思えませんね」

「本人の意図とは関係なく、交通事故によって起きた時空の裂け目をつれてきてしまったのだとしたら」

祥さんがぽつりとつぶやいた。彼女は交通事故で両親や姉をなくしているので悲しい記憶が蘇ったのかもしれない。

山葉さんは皆のネガティブな考えを振り切るように、明るい声で告げた。

「私たちが思い悩んでもどうにもならないことはある。可能なら田島さんを死の運命から救い出す方法を考えるとして、とりあえず我々は仕事に戻り、田島さんを厨房に呼び戻そう。彼には黒い影のことは気取られないようにしてくれ」

皆はゆっくりとうなずくと各自が自分の持ち場に戻り、入れ替わりに田島さんが厨房に戻って来た。

アルバイトのシフトに入っていない僕は否応なく田島さんと対面することになった。

「みんなが妙に気を使っているみたいですけど、浩一の霊の件は事情が分かれば僕はもう気にしませんよ」

田島さんは皆の態度がはれ物に触るようになっていることに気付いているが、それを彼の元同僚の浩一さんの霊の件と結びつけて考えているようだ。

「そうですね。守護霊になってくれたのだから、むしろ大切な存在だと思えばいいのですよね」

僕はどうにか話を合わせて笑顔を浮かべる。

「ところで、山葉さんがお花見に行きたいと言っていましたよね。ぼくはちょっとした穴場を知っているのですよ。休みの日にスタッフみんなでそこでお花見をしませんか」

田島さんは屈託のない笑顔を浮かべている。

田島さんとの付き合いは短いのだが、僕は彼の気さくな雰囲気が好きだった。

彼の背後にいる黒い影の存在を意識しながら、僕は強いて笑顔を浮かべるしかなかった。

「いつもお花見の場所選びに苦労しているから、ぜひ教えてくださいよ。」

田島さんは満面の笑顔でうなずいた。

数日後、カフェ青葉のスタッフは田島さんお勧めのお花見の穴場に出かけた。

その場所とは倭寇市の樹林公園だった。

「すごいですね。これだけ桜が咲いているスポットなのに、場所取りしないでも座れるなんて」

「自衛隊に勤務していた時に駐屯所がこの近くだったのですよ。駐屯所でも一般公開の桜祭りを開催していますが、どうせならこちらの方がいいとと思いまして」

僕が褒めると、田島さんは相好を崩す。

山葉さんが準備したから揚げとおにぎりに祥さんが作ったサラダが中央に据えられ、それに沼さんと木綿さんが持ち寄った料理も加わり、桜の木の下でささやかな宴が始まった。

「帰りは僕が運転するから、アルコールを飲みたい方は飲んでくださっていいですよ」

「そうか、それなら遠慮なくいただこう」

山葉さんはクーラーボックスから冷えた吟醸酒を取り出した。

クーラーボックスにはビールや酎ハイからスパークリングワインに日本酒と各人が思い思いに持ってきたアルコール飲料が詰まっている。

全員が酔っぱらって収拾がつかなくななりそうなので、自分は飲まないつもりだった僕は、田島さんを感謝の目で見た。

「本当に運転をお願いしていいのですか」

「ええ、僕はあまり飲めない体質なのでその方がいいのです」

おにぎりとから揚げを手にして、屈託のない笑顔を浮かべる田島さんに僕は感謝の念を送った。

桜は今が花盛りで、折からの風に花びらが舞い散るさまがすごく綺麗だ。

しかし、花見の宴は盛り上がらなかった。

田島さんの背後、僕たちの頭上に枝を広げる桜の木の幹の横に浩一さんの霊が無言でたたずみ、その横には正体不明な黒い影がいるので、皆会話すら弾まない。

僕は一升瓶を抱え、カットグラスに手酌で注いでクピクピと吟醸酒をあおっている山葉さんから一升瓶を取り上げた。

「山葉さん一升瓶抱えて手酌で飲むのは目立ちすぎますよ。もう少し自重してください」

山葉さんは意外と素直に一升瓶を手放すと、殊勝な表情でいう。

「すまないウッチー。吟醸酒はお休みにして沼ちゃんが持ってきた酎ハイにするよ」

「いや、それも結構アルコール度数高いですし」

僕は「スイッチ」が入ってしまった山葉さんが飲みすぎないように気を遣う。

「今日は何も料理を作ってなくて申し訳ないですね」

「田島さん。普段シェフの仕事をしているのだから、こんな時くらいは料理をしないでみんなが作ったものを食べればいいんですよ」

祥さんはお酒を飲まないので、田島さん相手に他愛にない話で盛り上がっている。

しかし、その横で沼さんは酎ハイの缶を片手に、黒い影を無言で見詰めている。

祥さんも話が途切れると何か居心地が悪そうにおにぎりを口に運んでいた。

田島さんの命が残り少ないことを示す黒い影が目に入ると、スタッフの誰もが桜を楽しむ気分になれないのだ。

今、ここで元気にしている田島さんが何らかの理由で命を絶たれるのだとしたら、それを何とか止めたいのが人情だ。

僕たちは、田島さんを救う方法を考えて寡黙に酒をあおる時間が多くなった。

結局、悪酔い気味の僕たちを田島さんが気を使いながら車まで誘導し、下北沢に向けて帰ることになった。

倭寇市の樹木公園は都心から意外なくらい近くにあり、自動車で一時間もかからない。

「それじゃあ僕が運転するからキーを貸してください」

「すいませんおねがいします」

山葉さんは、少し飲みすぎたようで元気がない。

彼女がポケットから出したWRX―STIのキーを渡すと、田島さんは嬉しそうにエンジンをかけた。

「六速マニュアルトランスミッションなんですね。マニアックでいいですよこれ」

後部座席で山葉さんと沼さんの間に収まった僕は、小さくなって座りながら田島さんに尋ねた。

「車好きなんですか」

「それはもう大好きですよ。自衛隊の退職金で車買うか、調理師学校の授業料にするかで随分悩みましたからね」

僕は、浩一さんが退職金で買った車を運転中に事故を起こしたことを思い出した。

「気を付けて運転してくださいね」

僕は口に出した後で余計なことだったかと少し後悔したが、田島さんは気にもしない様子だ。

「もちろんですよ。大事な人を沢山載せていますからね」

田島さんはWRX-STIをスムーズに発進させると帰路についた。

田島さんは運転がうまく、WRX-STIはあっという間に都内に戻り環状7号線に乗っていた。

山葉さんと沼さんはすぐに寝てしまったので、助手席に乗った祥さんと田島さんが話す声だけが車内に響く。

何事もなく一日が終わるはずだったが、環状7号線で田島さんが運転するWRX-STIの前方に大型のトレーラーが見えた時、僕は浩一さんがトラックの横転事故に巻き込まれたことを思い出していた。 

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