第195話 いつか何処かで
僕は後部座席の真ん中に座った状態で前方の道路の状態を見ていたが、ふと気が付くと後部座席と運転席の間の狭いスペースに黒い影がいることに気が付いた。
後部座席の右側には山葉さんが座っているので、黒い影は彼女の足と重なるようにしてそこに存在しているが、山葉さんは何事もないように寝息を立てている。
そして黒い影は、運転席のシートの背もたれの幅だけの距離で田島さんのうしろにくっついているわけだ。
僕は田島さんは大丈夫なのかと思い、バックミラー越しに彼の表情を見ようとして凍り付いた。
ミラー越しに見えた顔は田島さんの顔ではなかったからだ。
「祥さん」
僕は小声で助手席にいる祥さんを呼んだ。祥さんは心なしかうるさそうに僕を振り返る。
「田島さんの顔を見てくれ」
祥さんはドライバーの顔を見て、もう一度僕に振りむいた。
「あの幽霊の顔にみえるんですけど」
祥さんは、訳が分からないと言うように首を振る。
「田島さんが憑依されてしまったのかな」
「呑気なことを言っている場合ではありませんよ。あの黒い影がすぐそばに来ちゃってます」
僕たちの経験から、黒い影が本人に近付けばそれだけ余命は短くなるという相関関係が見出されている。
状況を考えると、田島さんが交通事故に巻き込まれて死ぬ可能性が高いが、そうなれば僕たちも無事では済まないかも知れない。
「祥さん、緊急事態だから浄霊してしまおう」
「はい、やってみます」
祥さんは小声で祓い言葉を唱え始める。
浩一さんは田島さんを守ろうとしていたのではないのか?と僕の頭には疑問が渦を巻いた。
僕たちがコソコソと話していることに気付いているのかいないのか、ドライバーは浩一さんの顔でニヤリと笑うとWRX-STIをシフトダウンしてから一気に加速した。
祥さんは加速の勢いでシートに押し付けられて祓い言葉は中断し、僕も助手席のシート越しに後ろをむいていたので不自然な姿勢でシートに押しつけられて息が苦しい。
フロントグラスの向こうでは左コーナーに差し掛かった大型トラックがスピードオーバーのためにふわりと右に傾いていく。
WRX-STIは急ブレーキで止まるのではなく、加速して傾いたトラックの下側に入り込むような動きをしていた。
浩一さんが死を迎えた時と同じ状況に引きずり込まれていると思った僕は観念して目を閉じた。
しかし、横転する大型トラックに押しつぶされると思われたWRX-STIはぎりぎりですり抜けてその前に出ていた。
そして、田島さんはトランスミッションを一速にねじ込んで、WRX-STIをスピンさせる。
僕たちはもはや何が起きたかわからない状態で遠心力に振り回され、車が制止した時にどうにか状況を理解した。
田島さんはオーバースピードでコーナーに侵入して横転するトラックに気付き加速してかわした後で、その前方にいた信号待ちで止まっている車列に衝突しないように意図的にスピンさせて車を止めたのだ。
背後で大型トラックが分離帯に激突してさらに対向車線に飛び出す轟音が響く。
僕たちの乗っているWRX-STIはどうやら難を逃れたようだった。
僕は身を乗り出して運転席をのぞき込んだ。
そこでは本来の姿に戻った田島さんが気を失ってハンドルに突っ伏しており、彼の背後に迫っていた黒い影はどこにも見えなくなっていた。
そして、田島さんに初めて会った日から彼の行く先々に出現していた浩一さんの霊もその姿が見えない。
僕たちの前にいた信号待ちをしていた自動車の列は信号が変わると、何事もなかったようにに走り去り、静止した僕たちの車と、横転したトラックが残された。
トラックは対向車線まではみ出して道路をふさいでいるが、左端の車線はかろうじて後続車が通過できるスペースがあるらしく、徐行しながら通過していく。
その時、田島さんが意識を取り戻した。
彼は、運転席で意識を失っていたことに気付き慌てて周囲の状況を確かめ始める。
「ぼ、僕は運転をしくじってぶつけてしまったんですか」
「大丈夫、どこにもぶつけていませんよ。とりあえずここを離れましょう」
田島さんは、状況を理解するとエンジンをかけてゆっくりとWRX-STIを発進させた。
「気を失っている間、夢を見ていたんですよ」
僕は浩一さんの霊が消えたことはまだ告げずに話の続きを促した。
「どんな夢だったのですか」
「夢の中で僕はまだ自衛隊に所属していて宿舎に住んでいました。それで、休日にどこかに出かけるつもりで、荷物を抱えて前もって呼んだタクシーに乗り込もうとしていたのです」
「ほう、意味深な夢だな、タクシーにはだれか乗っていたのかな」
山葉さんがいつの間にか目を覚まして、話に加わっていた。
「タクシーの中には一緒に出掛ける友人が先に乗って待っていました。僕が荷物を持って乗り込もうとしたら、タクシーはいきなりドアを閉めて走り去ってしまったのです」
彼が見た夢は、浩一さんの霊が消えた経緯となんとなく関連がありそうだ。
「そのタクシーに先に乗っていた友達というのは」
僕は半ば答えを予期しながら田島さんに尋ねる。
「浩一でした」
田島さんは、僕に答えた後で、信号待ちの間に車内を見回した。
「浩一の霊はいまでも見えているのですか?。僕はあいつが僕の身代わりに連れていかれたような気がして落ち着かないのです」
僕は迷った挙句、浩一さんの霊が消えたことを田島さんに告げることにした。
「さっき、トラックの横転事故に巻き込まれそうになり、浩一さんが田島さんに乗り移って事故を回避したのです。浩一さんの霊はその後、消えてしまいました」
田島さんは悲しそうに顔をゆがめる。
「それじゃあ、何だかあいつが僕の身代わりに連れていかれたみたいじゃないですか。夢の中でも僕の代わりにタクシーに乗って行ったみたいだったし、僕は一体どう考えたらいいのだろう」
山葉さんが真剣な表情で田島さんに答えた。
「それは違うよ。田島さんが事故で死ぬ運命だったとして、友人の霊が身代わりになれば田島さんが助かるみたいな単純な話ではないはずだ」
田島さんは運転しながら山葉さんの言葉を考えている様子だったが、やがてゆっくりとつぶやいた。
「僕はこれからどうすればいいのでしょうか」
「別に何もしなくていいよ。もし気になるならお店に帰ってから私が祈祷をしてあげよう」
山葉さんの言葉で、田島さんの気分も少し落ち着いたようだ。
「ありがとうございます。でも、浩一の霊にはもう会うことは出来ないのですよね」
田島さんが悲しそうにつぶやくのを聞いて、山葉さんは微笑を浮かべた。
「それはちがうよ。彼はあなたの守護霊となったのだから、私たちの時間線から消えても、いつか、どこかであなたの前に現れるに違いない。その時はあなたの子供として生まれてくるのかもしれないよ」
「いつか、どこかで、なのですね」
田島さんは運転をしながら小声でつぶやいた。
都内に入ってもいろいろな場所で桜は咲いている。
風に舞う桜の花びらは名残を惜しむように一時風に漂い、僕たちの目を和ませてくれた。
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