第183話 内村家の人々

僕が嫌がる山葉さんを説得した結果、どうにか二人で僕の実家に出かけることになった。

僕は普段着のままだが、彼女は紺系のスーツをビシッと着こなして隙の無い雰囲気でWRX-STIのドライバーズシートに収まる。

「近くに車を止めるところはあるかな?」

「コインパーキングがあったと思いますよ」

僕はおぼろげな記憶で答える。実家はほぼ敷地いっぱいに建てられているので、自分のバイクを置くのにも苦労しているし、家の前は道幅が狭いので路上駐車は無理だ。

山葉さんはふうっとため息をついてから、車を発進させると、カフェ近くの道路幅の狭いエリアを抜けて、環状7号線に乗り入れた。

「昨夜の夢の話ですけど」

僕はおもむろに切り出した。環状7号線は朝の渋滞の最中で混雑しているが、山葉さんはマニュアルトランスミッションのWRX-STIをさして苦労もせずに扱いながら話を聞いている。

「もう一度、あのシチュエーションに遭遇したら明菜ちゃんを助け出してあげようとおもうんですよ」

僕は彼女の体のあちこちに残っていた痣を思い出しながら話す。

「ふむ。私も心情的にはそうしてあげたいが、一つ問題があると思うのだ」

山葉さんは、信号で停車した前方の車列を見ながら口を開いた。

「あの子を助けるのに何か問題があるのですか」

僕は不思議に思って尋ねた。

身の回りでも子供の虐待事件はよく聞くし、もっと早くに児童相談所が保護すべきだったという事例はニュースなどでもよく報道されている。

「私たちがのぞいたのは明らかに過去の世界だ。そこに介入してしまうと何が起きるかわからない」

「タイムパラドクスの問題ですか」

ぼくにも彼女が何を言いたいのか察しがついた。もしも時間旅行が可能になったとして、過去に戻って自分の両親を殺害したら未来が改変されて自分自身も消えてしまうのかというパラドクスが発生するのだ。

「その通りだ。直接的な影響がない事案でもバタフライ効果によって大きな影響が未来に及ぶかもしれない。もしかしたら私たちのどちらかあるいは両方がこの世界に存在しなくなってしまうかもしれないのだ」

バタフライ効果とは力学系の状態にほんのわずかな変化を与えただけでも、そのわずかな変化が無かった場合とは、結末がとしての状態に大きな変化が生じてしまうという話を蝶の羽ばたきにたとえた言葉だ。

「でも、普通はそこまで大きな影響があるとは考えられませんよ」

「無論そうだ。微細な変化の影響はほんのわずかな範囲で収斂して何の変化も及ぼさないことが普通だろう。しかし、事が20年前の過去の話のうえ、あの母子の人生に影響を及ぼしかねない話だから全く影響がないとは言い切れない」

彼女の言う事はもっともだった。

もしも、僕たちが干渉したために明菜ちゃんが保護され、母親が児童虐待で検挙されることになれば、二人の人生には大きな影響が及び、周辺にもその影響は波及する。

20年の間に広がった波紋の影響は、僕たちの存在を消すほどではないにしても、例えば山葉さんがバリスタにならずに普通のOLとして生活を続け、僕たちが出会う事のない未来につながっているかもしれない。

「どうすればいいのでしょうか」

「さあ、そもそもがウッチーの不可思議な能力によるところだから、もう一度あの状況に遭遇することができるか定かでない。要するにここで議論しても始まらないという事だ」

僕は考え込んだ。

確かに、僕たちの体験は油彩画に描かれた少女のいる世界を夢で見ただけの話なのだ。

普通の人なら油彩画を見たことが夢に反映されたと考えてそれで終わりなのではないだろうか。

「それでは、二人でもう一度あの場面に遭遇したら、その時に判断することにしましょうか」

彼女は助手席に座る僕をチラッと横目で見てから答えた。

「それはいいが、夢に私を登場させる時に高校生の姿にするのはやめてくれ。」

彼女はまだその件にこだわっているようだ。

「あれは、山葉さんが勝手に高校生の姿で現れるのですよ」

「いいや、きっとウッチーの嗜好が反映されているのだ。悔い改めて正常な嗜好に戻りなさい」

彼女の無茶ぶりに閉口していると、カーナビゲーションがルート案内で前方で左折を指示した。

「私としては、天気もいいからこのままウッチーとドライブに行く未来を選びたいな」

山葉さんがぼそっとつぶやいた。

「そんな未来を選んじゃダメです。そこの立体交差に上がったら交差点を通り抜けちゃうから左に寄せてください」

「はいはい」

山葉さんはしぶしぶ、国道125号線に左折するために環7道路の左端の車線に車を寄せた。

ほどなく、カーナビゲーションは僕の自宅界隈で案内を終了したが、僕たちは駐車場を探すのに苦労した。

日ごろ使わないから、僕自身も全く意識していなかったからだ。

どうにかコインパーキングを見つけて、WRX-STIを止めると僕は嫌がる山葉さんを引っ張るようにして実家に向かった。

実家に着くと、両親はそろって僕たちを迎えた。あろうことか普段は高校の部活で不在が多い僕の妹まで廊下の角から顔をのぞかせている。

居間に通された山葉さんは腹を決めたのか、持参した虎猫屋の羊羹を差し出してから深々とお辞儀をした。

「別役山葉と申します。ふつつかなものですがよろしくお願いいたします」

硬い挨拶だが、それは僕の失敗の所以だ。

両親に交際している相手がいるとカミングアウトしてから連れてきたらこんな雰囲気になってしまう。

山葉さんが嫌がっていたのもそのために違いない。

「亨はぐうたらな息子ですが、よろしくお願いします」

父がぼそぼそと答えたが、その後の会話が続かず僕の家の居間に沈黙が訪れた。

何か会話の糸口を作らなくてはと僕が焦っていると、端の方に座っていた妹が口を開いた。

「山葉さんはカフェのオーナー経営者なんでしょ。若いのにすごいですね」

「オーナーになったのはつい最近なんです」

山葉さんは謙遜気味に答えるが、妹が口火を切ったおかげで母親も次々と質問をし始めた。

料理好きな母はカフェで提供しているメニューをあれこれ尋ね、山葉さんがそれに答えるうちに場の雰囲気はずいぶん柔らかくなった。

「私、徹の彼女がやな奴だったらどうしようかと思ったけど、格好良くて感じのいい人だから良かった。こんなお姉さんが欲しかったのよ」

「そうだな」

妹の言葉に、父も相槌をうって笑顔を浮かべる。

妹よグッドジョブだ、あとで好物のレッドサーティーンのアイスクリームでもなんでもおごってあげようと思いながら彼女の顔を見ると、僕の思考を読み取ったように妹はウインクして見せた。

家族との顔合わせが終わると、僕は山葉さんを自分の部屋に案内した。

家族以外で部屋に入れた女性は幽霊を除くと彼女が初めてだ。

「これがウッチーの部屋か。やっぱり勉強している感じだな」

山葉さんは、本棚に並んだ論文ネタの古本や専門書を見ながらつぶやく。

僕は片付けるのが下手なので、本は貯まる一方で、2階の床が抜けるから不要な本は処分しろと母親に勧告されている。

「隅々まで読んでいるわけではないのですよ。それにいざなぎ流に至っては研究はこれからで文献の数も少ないですからね」

彼女は数少ないいざなぎ流の本を手に取ると、嬉しそうにページをめくった。

階下に降りると僕の父親は昼食を一緒に食べて行けと山葉さんを誘った。

近所の中華料理店、玄武菜館を予約したのでみんなで行こうと言うのだ。

山葉さんが了承すると、父は言った。

「ここは自分の家だと思っていつでも遊びに来なさい」

「はい」

山葉さんは、少し間をおいてから返事をすると深々と頭を下げた。

玄武菜館は内村家が家族の節目に外食する際によく使う店だ。

うちとけて来た母や妹と山葉さんが和やかに歓談するのを僕はほっとして見ていた。

食事の後、僕は実家には残らず山葉さんと共に下北沢に行くことにした。

油彩画の少女の件をもう一度確かめてみたかったからだ。  

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