第178話 真相を知った彼
輸入雑貨店を出たものの、体格のいい雅俊が自力で動けないと電車に乗せることすら難しい。
クラリンと僕は左右から雅俊を支えてどうにか道路を渡ったが、疲れてしまってそこで一休みせざるを得なかった
「この状態で電車に乗せるのは人目につく。仕方がないからこの辺でタクシーを拾って下北沢まで帰ろう」
山葉さんは周囲を見回しながらつぶやいた。
「そうしましょう。渋谷駅まで運ぶだけでも大変ですよ」
僕は山葉さんに追従したつもりだったが、沼さんは何だか冷たい目で僕を見た。
「ウッチー先輩、雅俊さんの親友なんでしょ。雅俊さんは大変なんだから、自分が背負って下北沢まで歩きますとか言えないのですか」
「重いからいやだ」
僕は沼さんの意見を冷たく切り捨てた。大変な時こそ合理的な判断が必要なこともあるのだ。
「ウッチーさん、さっき捕まえたあれはどうしました」
今度は小沼さんが僕に指摘する。沼さんアンド小沼さんのW沼コンビは僕に細かく指摘する傾向があるようだ。
「そういえばどうなったかな」
僕は雅俊を運ぶのに気を取られて、片手に握りこんだ「彼」の魂のことをすっかり忘れていた。恐る恐る片手を開いてみたが、青白い光は見えなくなっている。
「どうしよう。逃げられちゃったのかな」
「大丈夫だ。あいつはウッチーに取り憑いたに違いない。うちに帰ったら真っ先にウッチーの体からいぶりだしてやるよ」
山葉さんは自信のある素振りで話すが、僕は思わず両手の手のひらを見べ比た。何かが物理的に右手に食い込んだのではないことは自分でもわかっているが、彼女の言う通りにお祓いしてもらう方がよさそうだ。
その時、緩やかな坂道の下の方からタクシーが来るのが見えた。
「一台に全員乗ることはできないから、先に私とクラリンが雅俊君を連れて帰ろう。沼ちゃんも同乗してくれ」
山葉さんはタクシーを止めながら乗車の順番を指示する。
「それでは後から追いかけますよ」
僕が答えると彼女はうなずいてからタクシーに乗り込んだ。
山葉さんが乗り込んだタクシーが見えなくなっても、新たなタクシーはなかなか現れなかった。
「スマホ使って配車を頼んだ方がいいのかな」
僕がぼやくと、小沼さんはクスクスと笑った。
「そんなに慌てなくてもいいじゃないですか。こんなに大きな町だからすぐに別のタクシーがきますよ」
年下の小沼さんに諭されたような気がして、僕は気恥しくなった。そして、慌てていないそぶりを装うために、道端に備えられた花をよく見ようとのぞき込んだ。
山葉さんが言ったとおりで、少し萎れかけているが百合を中心に小さな青い花や白い花をあしらった綺麗な取り合わせだ。
僕はもしも自分が交通事故で死んだら、山葉さんは事故現場にこうやって花を供えてくれるのだろうかと柄にもなく考える。
雑踏の中で道端に備えられた花を見つめる僕と小沼さんは、交通事故で親しい人をなくし祈りを捧げているように見えたのかもしれない。
タクシーが通りかかるのを待ちながら、しばらくそうしていると、僕たちの背後から声をかける人がいた。
「あの、永遠君とお知り合いの方ですか」
僕は自分の心臓がトクンと鳴り、急に脈拍が上がるのを感じた。振り返って声の主を見上げるとその風貌を見るにつけて曰く言い難い感情が沸き起こる。
「ええ、知り合いと言えば知り合いですね」
それは全くの嘘ではない。僕たちは雅俊を乗っ取った「彼」と対峙していたのは間違いないからだ。
「ありがとうございます。彼もきっと喜んでいますよ」
彼女は道端の花瓶に差された少ししおれた花を抜き取ると、持参した新しい花を活け始めた。
「彼の家族の方ですか」
僕が尋ねると、彼女の手が止まり、しばらくしてゆっくりと話し始めた。
「私は彼と付き合っていたのです。でも就職が決まって、そこに勤務されている大学の先輩に話を聞きに行ったりしているのを彼が男女関係があると邪推し始めたのです」
再び僕の胸がトクンと鳴り、今度は目の前がグニャッとゆがむような感覚に襲われた。
小沼さんが歩道の縁でよろけた僕を慌てて支えるが、花を活けるためにうつむいている女性は気づいていない。
「誤解を解こうと思ってこの場所に呼び出した時に、彼が交通事故に遭って亡くなってしまったので誤解は解けずじまい。きっと彼は今でも私のことを悪く思っているんでしょうね」
女性が花を活け終わって立ち上がった時。僕は自分の口が勝手に言葉を紡ぎ出すのを感じた。
「こうして花を供えているからきっと彼も喜んでいますよ。自分が誤解していたことなんてとっくに気が付いているんじゃないですか」
僕の言葉を聞いて、彼女は控えめな微笑みを浮かべた。
「ありがとう。そう言ってもらえると少し気が楽になりました」
僕が彼女に向かってさらに言葉を発しようとした時、小沼さんが僕の背中をつついた。
「内村さん、タクシーが来ましたよ。早く乗ってください」
僕は小沼さんに引っぱられてタクシーに乗り、小沼さんは運転手によどみなくカフェ青葉の所在地を告げていた。
走り始めるタクシーの中で、僕が片手をあげると歩道に残された女性も会釈を返す。僕はほんわかとした温かい感覚に満たされて座席に収まった。
タクシーの中では僕も小沼さんも無言だった。僕は先ほど会った女性のことを考えていたのだが、小沼さんは違うことを考えているようでしきりにスマホをいじっていた。
タクシーは、ほどなくカフェ青葉に到着し、お店の前には山葉さんとクラリン、そして沼さんまで待ち構えている。
僕はそのことを深く考えもせずに先に降りた小沼さんの後を追いながらタクシーの料金を支払おうとしていたが、山葉さんに腕を掴まれるといきなり車外に引きずり出された。
「早く、内村さん取り憑かれてしまっているんです」
小沼さんが叫び、クラリンと山葉さんは左右から僕の両腕を掴んで店の中に連行していく。
僕はタクシーの支払いが気になって振り返ったが、そこでは沼さんが僕の代わりにタクシー代を運転手に支払っていた。
「よく知らせてくれた。微妙な変化のはずなのに気が付くのはさすがだ」
「お花を供えている人との会話が明らかに内村さんではなくて「彼」が発した言葉だったのです。彼の名は永遠というらしいのですが、本人に気取られないようにSMSで伝える時に手が震えましたよ」
僕は小沼さんと山葉さんの会話を聞きながら、え?そんなことになっているの?と映画の画面を見るように一部始終を傍観していた。
店の奥まで連れていかれた僕は、両手を背中にねじ上げられていざなぎの間の畳の上にうつ伏せに押し付けられた。その上にクラリンが乗るという念の入れようだ。
山葉さんは外出着のままでいざなぎ流の祈祷をはじめ、祭文を唱えながら式神の御幣を持って舞う。
やがて、祈祷が山場に差し掛かると、僕の口からポワンと青白い光の塊が飛び出した。
青白い光の塊は山葉さんの掌の上に静止し、彼女がひときわ強く気を込めるとフッと消えていった。
その瞬間、僕は自分の聴覚が元に戻ったことを自覚した。意識していなかったがイヤーパッドを着けたようにくぐもった音で聞こえていたのだ。
視覚も同様で周囲が明るくなった感じがする。
「ウッチー大丈夫か?」
山葉さんは身をかがめて僕の顔をのぞき込む。
「大丈夫、元に戻りました。意識が無くなっていたわけではないけど自分が隅の方に押しやられていた感じなのかな」
僕の答えを聞いた山葉さんはクラリンに告げた。
「本物のウッチーのようだ。クラリン、もう降りてもいいよ」
僕の背中に乗っていたクラリンは即座にどいてくれた。
「ごめんなウッチー」
「いいんだよ。それよりも雅俊の様子はどうなった」
畳の上に起き上がった僕は、隣に雅俊が寝かされていたことに気が付いた
「さっきから呼びかけているけど目を覚まさないんや」
クラリンの目には涙がにじんでいる。やっと雅俊を連れ帰ったのに意識を取り戻さないことで焦燥が限界にきているのかもしれない。
僕は何気なく雅俊の額に手を伸ばした。
つんと指先で突いたら目を覚まさないかと思って試してみたのだ。
しかし、予想とは反対に僕は雅俊に触れた部分に吸い込まれていくような感覚を味わっていた。
視野も暗転し、物音も聞こえない。そして気が付くと僕はちょっと古い作りの住宅の玄関にたたずんでいた。
今日はいろいろな目に遭う日だなと僕はぼんやりと考え、同時に何をしたらよいのか迷っている。
その時、住宅の2階の窓が開くと雅俊が顔をのぞかせた。
「ウッチー、何しているんだよ。部屋まで上がって来いよ」
その声を聞くとにぼくは彼の家に遊びに来たような気がして、すんなり彼の家の玄関を開けていた。
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