第177話 思い込みと勘違い

「待て、ここには浄霊できる能力者が3人もいるからお前がどうあがいたところでクラリンに危害を加える前に少なくとも2、3回存在を消されてしまうと思っていい。話を聞いてやるからその刃物を降ろさないか」

山葉さんは、人質事件のネゴシエーターのように、雅俊に話しかける。

雅俊、というか雅俊を憑依した「彼」は周囲を見回した。

既に沼さんは十字架を構えてスタンバイしているし、小沼さんも榊の枝を振りまわしていつでも浄霊できると言いたげだ。

「彼」は意外と素直にナイフを持った手を降ろすと、ボソボソとつぶやいた。

「俺は付き合っていた彼女に殺されたのかもしれない。だからそれを確かめるまでは死にきれない。大学の卒業を控えて俺はなかなか希望した企業に入れないのに、そいつは俺に比べて頭が良くて役所勤めが決まっていたんだ。それでも変わりなく付き合ってくれていると思っていたが、実は二股かけられていたことが判明したんだ」

雅俊の口からその言葉を聞くと、僕はクラリンが雅俊を殺そうとしている場面を連想するが、無論そうではなくて「彼」の生前の話だ。

「どうして?私は道端に供えられた花を見たからきっと交通事故で死んだんやと思うよ」

雅俊の目が泳いだ。これまで固く信じていたことがクラリンの一言で揺らいだのかもしれない。

「ち、違う。おれは彼女に呼び出されて待っている時にいきなり強い衝撃を受けて視界が真っ暗になったんだ。気が付いたらあんたと一緒にセンター街を歩いていた。だから、彼女が俺を呼び出しておいて誰かに車で引かせたのではないかと疑っている。」

雅俊に憑依した彼は、自分の考えを必死に説明し始めた。とりあえず、クラリンに危害を及ぼす可能性は減ったので僕は胸をなでおろす。

「クラリンと歩いていたというのはおそらく雅俊の体に憑依した直後の記憶だな。その間の記憶がないならば彼女に殺されたと主張するのは話が飛躍しすぎていると思うが」

山葉さんは困惑した表情で説得するが、「彼」は納得しない。

「だから、その前に俺たちはトラブっていたんだよ。ちょっと険悪な状況だった時に呼び出されていきなり死んだとしたら、疑わしいと思うだろ」

クラリンは「彼」の正面に回って、その目をのぞき込んだ。

「道端に供えられていた花は新しかった。あなたは単なる交通事故で死んだのであって彼女があなたをしのんで新しい花を供えていると考えた方が自然やないかな?」

「彼」は頭を抱えてしゃがみこんだ。何だか雅俊をいじめているみたいで心が痛む。

僕は意を決して口を開いた

「あの、事故でも殺人事件でも被害者名で検索したらヒットするはずだからあなたの生前の名前を教えてくれませんか」

雅俊を憑依した彼は口を開こうとしてそのまま止まってしまったように見えた。

しばらくして彼はぽつりと言う。

「思い出せない」

「はあ?どういうことですか?それじゃあ彼女の名前は?」

沼さんが少しイラついた声で問い詰めると、「彼」は狼狽した声を出した。

「思い出せない。どうしてだろう彼女の顔も一緒に出掛けたりしたことも覚えているのに名前が出てこない」

山葉さんはため息をつくと「彼」に言い聞かせるように話す。

「それは、その体の持ち主が君の名前も彼女の名前も知らないからだ。死者の霊にとっては現世での名前も住所も必要なくなるからその記憶を持っていけないのだろうね」

「あの世にお金を持っていけないのと同じですね」

小沼さんがぼそっと付け加えた。

「ねえ、ここで話しているより、クラリンさんが見た道端にお花を供えてある場所に行ってみたらどうですか。」

沼さんが提案すると、クラリンは上目づかいなってその場所を思い出している様子だ。

「渋谷駅から歩いて行けばその場所にたどり着けると思う」

クラリンが自信なさげに言うのを聞いて、山葉さんは「彼」の方に目を向けた

「行くのはいいが、こいつが逃げないか心配だ」

「逃げませんよ。真相がわかるなら言う通りにします」

「彼」は真面目な顔で答えるが、山葉さんはさらにダメ押しをした。

「たとえ逃げようとしても、お前の後ろにはエクソシストシスターズが張り付いているからな。おかしな真似をしたら彼女たちが瞬時にお前を消してしまうから覚えておけ」

「わ、わかったよ。逃げたりしないから」

「彼」は気圧されたように何度もうなずいて見せた。

僕たちは再び渋谷まで出かけることになりかけたが、クラリンがふと気が付いた。

「雅俊はお腹が空いているんとちゃうやろか」

「そうだな。体は雅俊君のものだからちゃんとメンテしなければ気の毒だ」

山葉さんはブツブツ言いながら「彼」のために食事の準備を始めた。

その後、僕たちは井の頭線で渋谷駅まで出かけた。そして、クラリンの記憶をもとに道端に花が供えられた事故現場の探求を始めた。

6人の男女が午後遅くに渋谷を歩くと、どこかに遊びに出かける雰囲気だが、その実態は少し寒い。

その辺りの歩道は幅が広いので、クラリンと山葉さんが雅俊を連行するように挟み込み、その後ろから沼さんが目立たないように十字架を突き付けていた。

僕が小沼さんと並んで歩いていると彼女は口をとがらせて愚痴をこぼした。

「私がエクソシストシスターズの片割れってひどいですよ。これでも由緒ある神社を受け継ぐ予定なんですから」

「いや、それは言葉のあやだから気にしないで」

僕は慌てて取り成すしかなかった。

そもそも彼女はあいさつに来たばかりに騒動に巻き込まれてしまったのだ。

「すっかり巻き込んじゃったけど、時間は大丈夫だったのかな」

「それは大丈夫です。あなた方がどんなことをしているか見るのが目的でしたから」

彼女は苦笑して見せ、僕は愛想笑いをするしかなかった。

やがて、僕たちはクラリンの記憶通りに歩道の隅に花が供えられた場所にたどり着いた。

真っ先に山葉さんがしゃがみこんで道端に備えられた花の状態を調べた。

「供えられてからあまり日にちが立っていない花だな。せいぜい2、3日くらいかな」

「ほらね、誰かが定期的にお花を変えている証拠よ。もしも意図的に殺したのなら、そんなことするわけないでしょ」

クラリンが決めつけると、「彼」は身をすくめた。

僕は現場の周辺に立ち並ぶ店舗を見回した。もしも死亡交通事故が起きたのなら店の中から事故の状況を目撃した人がいるかもしれないと思ったのだ。

花が供えられている歩道に面した店舗はカラオケスタジオだった。

受付等は店の奥にあるため、店員が道路の状況を見ていた可能性はなさそうだ。

道路を挟んだ反対側には、輸入雑貨店と居酒屋が並んでいる。僕が目を付けたのは雑貨屋だった。

その雑貨屋は素通しのガラスで店内が見える構造だったので、ショーウインドウ越しに事故を目撃している可能性は高い。

「あの雑貨屋に行って、死亡交通事故が起きた時に目撃していないか聞いてみませんか」

「ほう、いいところに目を付けるな、あのお店が開いている時に事故が起きたのならば店員が目撃しているかもしれない」

山葉さんも僕と似たようなことを考えたようで、僕たちはぞろぞろと道路を渡って雑貨屋に入った。

「すいません。前の道路にお花が供えてあるのですが、交通事故でもあったのですか?」

僕は無難な言い回しで輸入雑貨店のスタッフに尋ねる。

僕が尋ねたスタッフはショーウインドウ越しに見える道路をしばらく眺めていたが、何かを思い出した様子で僕を振り返った。

「たしか、店長がその事故を見ていたと思います。少しお待ちいただけますか」

スタッフはお店の奥の方に入って行った。

自分の店の営業にかかわりがないことでも尋ねられたら丁寧に対応してくれるのは日本人の美徳の一つだ。

スタッフに呼ばれてきたのは、上品な雰囲気の中年の女性で彼女がこの店のオーナー店長だと言う。

「私はその交通事故の瞬間を見てしまったんです。配送用のトラックがふざけて歩道からはみ出した人をよけようとしたのだけど、誤操作って言うのかしら、ブレーキをかける代わりに急にスピードを上げて歩道の縁石とその上にある柵にぶつかったんです。」

僕は彼女の話を頭の中で整理しながら、合の手を入れる。

「それでは、その歩道からはみ出した人がはねられたのですか?」

「違うのよ。急加速したトラックはこの店の方に向かってきたので、私はお店が壊れるのではないかと心臓が止まりそうだったけど、幸い歩道の段差と柵のおかげでトラックは反対側の歩道に乗り上げてそこにいた人を巻き込んでしまったの」

目の端に「彼」が小さく口を開けたのが見えたが、僕は構わずに話の続きを促した

「それでは、お花を供えに来るのはその人の遺族なのですか」

「遺族というか、彼女ね。なんでも彼の勘違いで仲違いしてしまったので、誤解を解こうと思って呼び出したら待ち合わせの場所でトラックに轢かれていたってことらしくて」

僕は心配になって「彼」の様子を見たが、思った通り雅俊の顔は放心したように無表情になっていた。そして緩んだ口元からふわりと青白い光の塊が漂い出す。

「ウッチー、それを捕まえろ」

山葉さんが小さな声で指示したので、僕はふわふわと漂う光の塊を片手でとらえて握りこんだ。

「ちょ、ちょっと内村さん。蛍じゃないんだからそんなことしちゃって大丈夫なんですか」

小沼さんが心配そうな声を出すが、山葉さんが身振りで彼女を制止した。

「大丈夫、ウッチーは幾度もこうやって捕捉に成功している」

それは成功したといえる話ではなかったが、僕は逆らわないことにした。

しかし、下北沢まで帰る間、事故死した男性の霊魂を何食わぬ顔をして握ったままでいるのかと思うと眩暈がしそうだ。

その横で雅俊の体は意識を失ったようによろけ、クラリンが慌てて支えた。

「あら、具合が悪いのかしら」

「いいえ、この人はひどい寝不足だと言っていたのできっと意識が飛んじゃったのだと思います。ちゃんと連れて帰りますからご心配なく」

クラリンは機転を利かしてその場をごまかすと、懸命に雅俊の体を支えた。

僕たちは雑貨店のオーナーに礼を言って店を出ると雅俊を引きずるようにして帰途に就いた

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