第175話 雅俊拉致作戦

僕たちは山葉さんが勢いで買ってしまった新車のWRX-STIに乗り込むと、渋谷方面に向かった。

山葉さんはナビゲーションの案内に従って都道413号に乗り入れたが、代々木公園に近寄るに連れて道路は混雑し始めた。

渋滞してしまうとWRX-STIのスペックも活かすことはできないが、山葉さんは機嫌よくステアリングを握り、左手はシフトノブに置かれている。

「この車マニュアルトランスミッションなんですね」

最近のスポーツ仕様の自動車はデュアルクラッチ付きのATにパドルシフトが組み合わされたモデルが多く、純正のマニュアルトランスミッションはむしろ珍しくなりつつある。

「私はマニュアルトランスミッション派で、この車は6速MT付きなのが気に入っているのだ。シフトダウンしたくても機械が受付てくれないのは嫌いだ」

彼女が言っているのはデュアルクラッチ付きのAT仕様車で急制動がかかるようなシフトダウンを試みると、警告表示が出て無効にされることだ。

僕としてはそんな無茶な運転はしてほしくないのだが、山葉さんは荷下ろし中のトラックが前方をふさいでいるのに気が付くと、アクセルをふかしてエンジンの回転を合わせ、ギアを2速にねじ込んだ。そして後続車がないのを確認しながら、右の車線に移動して景気よく加速する。

心なしか助手席のシートに押し付けられるような気がしながら僕は雅俊のことを彼女がどう考えているか尋ねた。

「雅俊が憑依されてしまったのは、霊が執着している事柄とシンクロするようなことを雅俊が考えていたためですかね」

「それは本人に聞かないと分からない話だ。今は彼を取り押さえて本人の意思で体をコントロールできる状態に戻すことが先決だ」

急加速したWRX-STIの前には交差点で止まった車列が迫っていた。山葉さんはブレーキングしながら今度は4速から1速まで順番にシフトダウンして見せる。

「ひょっとして、余計な運転操作して遊んでません?」

「うん、買ったばかりであれこれやってみたい盛りなのだ」

僕は彼女が巫女姿でマニュアルミッションの自動車を運転しているので何だか心配だ。

「山葉さんはどうして巫女姿なのですか」

後部座席から沼さんが尋ねる。そういえば山葉さんは依頼を受けて祈祷をするとき以外は巫女服で出かけることはあまりない。

「それは、雅俊君に取り憑ついた霊を、本気で退治しようと思っているからだよ」

山葉さんはステアリングを握りながら微笑する。

山葉さんは代々木公園周辺から、テレビ局の前を通り、道なりに左折する。区役所前から渋谷駅に隣接するデパートの正面に出た彼女は、クラリンに尋ねた。

「彼の居場所は把握できるか?」

「右の方向です。距離は200メートルくらい」

山葉さんはクラリンの答えを聞いて一方通行の道路にWRX-STIを乗り入れた。彼女はその辺りが一方通行なので回り込んでいたらしい。

「そもそも雅俊のテリトリーって新宿界隈なのになんで渋谷にいるんだろう」

「ウッチーさん、私は対面したからわかるけど、今の雅俊さんは別の人格なのですよ。雅俊さんの記憶や趣味ではなくて彼を乗っ取った憑依霊の慣れ親しんだ場所に来ているんだと思います」

沼さんに指摘されて僕は改めて雅俊が憑依されたていることを認識した。

山葉さんが車を進めていくと、自分のi-PONを見ていたクラリンは顔を上げた。

「この通りの次の信号を超えたあたり、道路の右側です」

周辺はテナントビルが立ち並び、飲食店、ブティック等の看板が入り乱れている。彼女が指示するあたりには、ひときわ大きなネットカフェの看板が目を引いていた。

「とりあえず、あのネットカフェに入ってみよう」

後ろを振りかえりながら声をかけると、後部座席にいたクラリンと沼さんがうなずいた。

「私はこの辺に停車して待機している。姿が見えなくなっていたらスマホで呼んでくれ」

山葉さんは両側に広い歩道が設けられ、車道は一車線しかない一方通行の道路の少し広くなった場所に車を止めた。

パトカーが来るなどしたら移動してやり過ごすつもりらしい。

「何かあったら連絡します」

ぼくが助手席のドアを閉めながら山葉さんに言うと、彼女はスモークの入ったウインドウ

越しにうなずいて見せた。

ネットカフェに入った僕たちは、とりあえず受付カウンターで会員登録することになった。

会員カードの発行を受けた僕たちはドリンクコーナーに隣接したオープン席にたむろする。

「ウッチー先輩、とりあえず入ってみたものの個室に立てこもっていたらどうやって雅俊さんを見つけるんですか」

沼さんがちょっと不満そうな表情で僕の顔を見つめる。

「待ってくれ、ここならフードメニューをオーダーに来たり、ドリンクを取りに来たら見つけることができる。そろそろ昼時だから雅俊が店内に潜伏しているとしたら姿を見せるはずだ」

外で待っている山葉さんの状況を考えると、個室のドアを片っ端から開けて探したい衝動に駆られるが、そんなことをしたら店のスタッフに警察に突き出されかねない。

「そんな悠長な事言っていられませんよ」

沼さんは食い下がるが、僕も引くわけにいかない。

「ドリンクを持ってきて、コミックでも読みながら待つんだ」

共用スペースには監視カメラもあるかもしれないので、コミック好きな大学生3人組がそれぞれに好きな作品を読みふけっているふりをする必要があった。

「沼ちゃん、ウッチーの言う通りにしてあげて。無理をしたら警察を呼ばれるかもしれない」

クラリンは僕の考えを見抜いて、沼さんを説得し、沼さんも浮かない表情でブックコーナーに向かった。

数分後、各自がドリンクとコミックを抱えた僕たちは、本当の気分とは裏腹にのんびりと時間をつぶすふりをしていた。

僕は以前読んでいたコミックの続巻を見つけて続きを読もうとするが、雅俊のことが気になって内容が頭に入らない。

隣に座るクラリンを見ても同じ状態のようなので、小声で尋ねた。

「クラリン、「友達を探す」機能で雅俊の位置が確認できるか?」

クラリンは自分のI-PONを取り出して操作すると、すぐに顔を上げた。

「至近距離にいる。少なくとも同じ建物内にいるのは間違いないわ」

クラリンの言葉を聞いて、沼さんも自分の手元のコミックスを見るふりをしながら周囲に注意を注ぐ。

僕たちが、コミックを読みふける大学生3人組のふりを始めて30分が経過し、何も得るものがないことにイライラし始めたころ、僕は見慣れた後姿が他のお客に交じってドリンクバーの前に立ったことに気が付いた。

「雅俊!」

僕は鋭く声をかけたが、彼の反応は鈍く、店内で大きな声を出す迷惑なやつを見るような顔で僕を振り返り、僕の顔を見ても平然とした表情をしている。

しかし、僕の隣にいる沼さんの顔を認めると雅俊は表情を変えて店の出入り口にダッシュし、僕たち3人は猛然と後を追う。

すぐに取り押さえられと思ったが、気が付くと僕の目の前にコミックの表紙が迫っていた。追っ手を撒くために雅俊が投げつけたのだ。

鼻にコミックスが当たって涙目になっている間に、雅俊はカウンターの中から制止する店員を無視して店の外に飛び出していた。

周囲を見ると、沼さんもクラリンも追いすがった瞬間にコミックスをぶつけられて気勢をそがれて立ちすくんでいる。

「あいつを追うんだ」

僕は気をとりなおして、雅俊の後を追う。しかし、店の入り口では雅俊に逃げられた店員がカウンターから出てきてこちらをにらんでいる。

「先輩たち先に行って、ここは私が清算します」

沼さんが店員の前に立ちふさがった間に僕たちは素早くその横をすり抜けた。

雅俊は既に走り去った後だろうと思いながら外に出て目にしたのは意外な光景だった。

猛スピードで走り出たはずの雅俊は歩道に出たところで立ち止まっている。よく見ると彼の体にはいざなぎ流の御幣がぐるぐると巻き付いて体の自由を奪っているのだ。

山葉さんがいざなぎ流の術を使って彼をとらえてくれたようだ。僕とクラリンが近寄ると、雅俊は怯えたような表情を浮かべて叫び出した。

「助けて、殺される」

周囲は人通りも多いので騒ぎを起こされるのはまずい。僕が何とか彼の口をふさごうと考えていると道路の反対側から来た山葉さんが雅俊に素早く猿ぐつわをかましていた。

「さあ、身柄を押さえたから早くここを立ち去ろう」

山葉さんに促されて僕は雅俊の体を肩にかついで車まで運んだ。シートに載せるのかと思ったら彼女はトランクルームの蓋を開けている。

僕が雅俊の体をトランクルームに降ろすと彼女は無表情に蓋を閉めた。

「さあ、帰ろう」

沼さんもネットカフェのスタッフをなだめて必要なお金を支払って僕たちに追いついた。

皆が急いで車に乗り込むと、山葉さんはWRX-STIを急発進させ、素早く現場を離脱すると、首都高速に乗る。

「さっき、スマホで動画を取っている人がいましたよ。SNSに投稿されたりしたらまずくありませんか」

沼さんが心配そうな表情を浮べた。

「現場で雅俊君に騒がれたら、警察が来たりして厄介なことになりかねなかった。一旦連れ帰ってしまえば、後日に警察官に職質されても彼が無事ならばふざけていただけだと言い逃れができる」

山葉さんは涼しい顔でステアリングを握っている。首都高速に乗ったWRX-STIは本来の性能を発揮して、スムーズに速度を上げていった。

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