第174話 憑依霊の素性

カフェ青葉の2階は居住スペースとなっている。

お店の片づけが終わったはずの夜半過ぎに僕が訪れると、自室のリビングで山葉さんは巫女姿になって一心に舞っていた。

静かな口調で唱える祭文に合わせ、緩やかに舞ういざなぎ流の祈祷は神々に捧げる神楽だ。

彼女は祈祷の依頼を受けていない時もこうして舞う時がしばしばある。

僕は雅俊の件を相談に来たついでに今夜は泊めてもらうつもりで、彼女が祈祷を終えるまで無言で見つめていた。

「時々、頼まれてもいないのにそうやって祈祷をするのはどうしてなんですか」

祈祷を終えた山葉さんに尋ねると、彼女は謎めいた微笑を浮かべる。

「本当のことを言うと、私が普段依頼を受けて行う祈祷は、「呪詛返し」や、「取り分けの儀」のエッセンスの部分だけなのだ。本来の儀式は「取り分けの儀」だけで1日かかってしまう」

それは僕も気付いていたことだ。いざなぎ流の儀式は膨大な量の祭文によって構成されており、それは口伝により現在の形に至っている。

既存の研究や栗田准教授の聞き取り調査でも、いざなぎ流の家祈祷や氏神祭祀は3日はかかるとされているからだ。

「決め技の部分だけ使っていたのですね」

僕の言い方が可笑しかったのか彼女はクスクスと笑う。

「言い得て妙だな。しかし、神を使役しておいて礼もしないのではいつかは神罰が当たると言うものだ。私は時間があるときにこうして残りの祭文を唱え舞を捧げることで神々を慰めているのだ」

彼女の考え方は義理堅いと言うべきか僕には判断しがたい。

「祭文を唱えて舞うことはどんな意味合いがあるのですか」

僕は祭具を片付けるのを手伝いながら、彼女に聞いた。

「そうだな。神々にとっては金銭など何の意味も持たない。敬ってかしずく人間が供物を備え祭文を唱えて舞うことが彼らを楽しませることになるのではないかな」

彼女は自身も楽しそう答えた。

霊感が鋭い彼女は、神事を通じて神々と交わることが楽しいのかもしれない。

僕は彼女が巫女姿から部屋着に着替えたところで、雅俊の様子を話した。

「ほう、沼ちゃんが逆襲されるとはかなり性質の悪い霊に取りつかれているな。クラリンのためにも早く居場所を突き止めて浄霊する必要がありそうだ」

山葉さんはベッドに腰を下ろして、ため息をついた。

「明後日の定休日に一緒に探しに行ってくれませんか?」

「もちろんいいよ。足取りをたどれる手掛かりがあればいいのだが」

彼女はベッドのヘッドボードに置いてあった書類を手に取りながらつぶやいた。

その書類はポートレートの顔写真が張られていてどう見ても履歴書の書式だ。

「それは新しく採用する予定の人たちの履歴書ですか」

「うん。専属シェフとフルタイムのウエイトレスさんをハローワークで公募したらシェフの方は応募が2件。ウエイトレスは長野県で会った小沼祥さん一人だ」

僕は積雪のため立ち往生し、山の神の眷属を自称する龍の化身や姫君に遭遇したことを思い出して思わず身震いした。

「彼女のお姉さんは、山の神の眷属を使いこなすような人間離れした人でしたよ。大丈夫なのですか」

「あの人が植物状態で話すこともできなかったのが残念だった。だからこそ、妹さんにここに来てもらってゆっくり話してみたいのだ。彼女も例のドラゴンや姫君を召喚出来たら面白いではないか」

山葉さんは霊や妖に対して畏敬の念を持つことはあっても恐怖を感じることはない様子なので、僕はその話題はそれ以上深追いしないことにした。

翌日は大学のキャンパスで雅俊の姿を見ることはなかった。雅俊に憑依した霊はキャンパスで沼さんに除霊されかけたために、用心して近寄らなくなったのかもしれない。

講義が終わってからクラリンの姿を探すと、彼女は講義室の窓際でぼんやりと空を見ていた。

「クラリン、明日はカフェ青葉も定休日だから山葉さんも加えて雅俊を探してみよう」

僕が声をかけると彼女はゆっくりと振り向いた。

「どうやったら見つけられるかな。私がLIMEのメールでどこにいるか尋ねても、既読にはなっても返事は帰ってこないからどうしたらいいかわからなくて」

クラリンは悲しげにつぶやくが、僕は意外なことに気が付いた。

「既読になるという事は雅俊のLIMEのアカウントを削除していないんだね」

「うん、でも応答してくれないから仕方がない」

クラリンは目を伏せるが、僕は手掛かりが得られそうな気がした。

翌日の水曜日は新装カフェ青葉の初の定休日だった。

僕が事前に連絡しておいたので、お昼時に沼さんとクラリンが相次いで定休日の看板を下げたカフェ青葉に訪れた。

沼さんは雅俊がバイト先の先輩とはいえそこまで入れ込まなくてもよいのだが、キャンパスで悪霊を取り逃がしたことを悔しがる彼女は今日の捜索にも参加することを希望したのだ。

僕たちは厨房の隅にある従業員用のテーブルに集まって、雅俊捜索のための知恵を出し合うことになった。

「ウッチーに沼ちゃんごめんな。雅俊のために大学の講義をすっぽかして集まってもろうて」

クラリンが申し訳なさそうに皆に詫びる。

「クラリンさんが謝ることはありませんよ。問題があるのは雅俊さんの方なんですから」

沼さんが声高に言うのを、山葉さんが手で制しながらクラリンに尋ねた。

「雅俊君の様子がおかしくなる前に何か前触れのようなことはなかったのかな。クラリンの就職先でもめた話は別にして心当たりがないか思い出してくれ」

クラリンは当惑した表情で、思い当たることがないか過去を振り返っている様子だ。

「そういえば、年末に二人で渋谷に買い物にいた時、雅俊がガードレールに備えられた真新しい花を見つけたんです。雅俊はこんなところで人が亡くなったんやなあってしゃがみこんで手を合わせていました」

クラリンがポツリポツリと話すのを聞いて山葉さんは表情を曇らせた。

「それは余計なことをしたものだな。一見、良いことをしているように思えるかもしれないが、他所のお墓に手を合わせることはしてはいけないことなのだ。道端に備えられた花は、その場で死んだ人がいる訳だからなお具合が悪い」

クラリンは心なしか青ざめた様子で山葉さんに問い返した。

「どうして他所のお墓に手を合わせてはいけないのですか」

「手を合わせて祈るという行為は、そこに意識を集中するわけだから普段は鍵がかかっている自分の心の玄関の扉を開けてしまうようなものだ。葬られているのは善意のものだけではなく、この世に未練を残していたり、邪悪な性質のものだったりしたら、そこから入り込まれていたずらをされる場合がある」

クラリンは口元を手で押さえた。

「雅俊がその後で寒気がすると言っていたような気がします。私の就職先のことで文句を言い出したのはその数日後からです」

それまで無言で話を聞いていた沼さんが、口を開いた。

「雅俊さんはしっかりした人格を持っているので何かが取り憑いたとしても簡単に付け入ることができなかったのですね。その者が足がかりにしたのが雅俊さんが表に出さないけれどクラリンさんの就職先に対して引け目や劣等感を感じている部分だったとしたら、そこから次第に傷を広げて最後に雅俊さんの人格そのものを乗っ取ってしまったのではないでしょうか」

「そんな、どうして私に引け目を感じる必要があるの」

クラリンの目がしらに涙がにじんだ。

「わかった。原因はそんなところだとして、まずは雅俊君の身柄を押さえなければならない。何か彼の行方を探す方法はないものかな」

山葉さんが誰にというわけでもなく聞いた時、僕は昨日から考えていたことを口にした。

「今の雅俊は死霊に乗っ取られているので本来の雅俊ほど頭が回っていないのではないかな。昨日クラリンに聞いたところではクラリンがLIMEで送ったメールを既読にして放置している。クラリンと雅俊はI-PONを使っているからGPSで友達の居場所を探す機能で捜せるかもしれないよ」

クラリンは僕の言葉を聞いて慌ててバッグからI-PONを取り出そうと捜し始めた。

「でも、探されたくないと思ったらGPSを切るとかアプリの同期を切断するとか対処方法はあるはずですよ」

沼さんが不思議そうな表情で尋ねるので、僕は自分の推理を話す。

「いつもの雅俊なら当然そうすると思う。しかし、今の彼はそんなことに気付きもしていない可能性がある」

「ほんとや。ちゃんと居場所が表示されています。旅行に行った時に登録したのがそのままになっているみたい」

僕たちはクラリンが持つI-PONの液晶をのぞき込んだ。

「渋谷駅の近く。井の頭通りを北西に進んだ辺りですね」

「恐らく、ネットカフェか飲食店にいるのだろう。みんな私の車に乗ってくれ。表示された場所に急がなくては」

山葉さんに促されて棒たちは慌てて席を立つ。

「あれ?車買ったのですか」

彼女に続いて歩きながら僕は不思議に思って聞いた。

「そう、それが仕入れ用にADバンを買うつもりでカタログとか見ていたのだが」

彼女が言葉を濁した理由は直後に判明した。お店の裏口に面した駐車場に置いてあるのは商用バンではなくスポーティーな国産セダンだったからだ。

「これは、どう見てもWRX-STIですね」

ぼくがつぶやくと彼女は言い訳モードに突入した。

「いや、ADバンを買うつもりでカタログを見ていたのだが、同じ支払い額で残価設定型ローンを組めばこれが買えることに気が付いてしまって」

「魔が差したんやな」

クラリンがつぶやいた。

「魔が差して買っちゃったんですね。残価設定型ローンは2年のローンが終わっても残りの金額を支払わないと車を手元に残せないのですよ」

クラリンと沼さんが口々に指摘するのも耳に入らない様子で山葉さんは新車のフロントフェンダーにすりすりしながらご満悦の表情を浮かべていた。

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