存在しない彼

第160話 新しい友達

「ウッチー、オーブンからステーキを出してくれ」

僕は山葉さんに指示されてオーブンの扉を開けた。

業務用オーブンの鉄板には、大ぶりのステーキが並んでいる。

僕がフライ返しを使って慎重にステーキをランチプレートに載せると、山葉さんは真剣な表情でサラダと添え物を盛り付けた。

その横では、木綿さんが僕が使ったのとは別の高温のオーブンからパイ生地がキノコのように膨れ上がったスープカップを取り出してプレートに載せる。

残ったプレートの隙間に山葉さんがカットしたバゲット二切れを乗せると、新メニュー候補のパウンドステーキセットが出来上がりだ。

今日はカフェ青葉の定休日だが、山葉さんが作った新メニューの選定会議の名目でスタッフが集まったのだ。

僕たちは人数分のプレートを乗せた配膳用のカートを押して、厨房のあるバックヤードから店内に移動した。

店内では、細川さんと雅俊、そしてクラリンが待ち構えていた。

「なんだか、お呼ばれされてるみたいで申し訳ないんやけど」

「それにメニューがやたらゴージャスだよね」

クラリンと雅俊がそれぞれに口を開く。

「今日は新メニューの選定会議だから経費で落とすので気にしなくていいの。まずはみんなで味を見て、一段落したところで食べながら発案者に説明してもらいましょう」

細川さんの仕切りで僕たちはめいめいが食べ始めた。

僕は最初にパイ生地で蓋をされたカップに取り掛かった。

パイ生地を突き破ると中にはオニオンスープが入っていて湯気が上がる。

さっぱりとしたスープと、スープに浸したパイ生地が、食欲をあおる。

メインのパウンドステーキの語源は1ポンドのステーキという意味で、1ポンドの重さは約450gに相当する。

日本の外食産業でステーキとして出される肉の重さは150gから200gが標準なので3倍近い重さの肉の塊だ。

ステーキにナイフを入れると表面は少し焦げてサクッとした手ごたえがあり中身はピンク色で切断面から肉汁が滴ってくる。

口に入れると香ばしい香りと一緒に、程よく脂肪を含んだ肉汁が口に広がっていく。

付け合わせは、サワークリーム風味のポテトコロッケとゆでたキヌサヤエンドウとブロッコリーにプチトマトの取り合わせでフレンチドレッシングが添えられていた。

「それでは説明してください」

細川オーナーの指示で山葉さんが緊張気味に説明を始めた。

「メインは穀物飼料で肥育された外国産牛肉のポンドステーキです。品種は日本の黒毛和牛に近いものでコスト面と見た目のボリューム感を考量して肩ロースを使用しています。サーロインに比べると少し硬いので表面に焼き目を付けてから低温のオーブンで火を通しました」

細川さんは自分が手を付けたプレートを一瞥してから続ける。

「パイ生地の蓋つきのスープの意味合いは?」

「ポンドステーキだけでは、目新しくないので目を引くために考えました。お客さんはどうやって食べようかと考えるはずなので、店員に食べ方を尋ねるというイベント性を持たせたかったのです」

細川さんはクールな口調で質問を続ける。

「このメニューを提供する値段は?」

「このセットで二千円の予定です」

細川さんはおもむろにナイフとフォークでもう一切れステーキを切り取ると口に運ぶ。

「油が多すぎず、火の通し方がいいからパサつき感もない。私でも全部食べてしまえそうな気がするわ。目新しくはないけどいいメニューができたと思います」

細川さんの言葉を聞いて、山葉さんの顔にほっとしたような笑顔が広がった。

細川さんはさりげなく質問を続けた。

「二千円で提供して利益はあるのかしら。『客引きのために、赤字覚悟でやります』ではないわよね。」

「利益は少いですが、赤字ではないですよ」

細川さんはゆっくりとうなずいて言う。

「新メニューとして採用しましょう。話は変わるけど私は以前から、体力が続かなくなったら引退しようと思っていたけど、そろそろ時期が来たように思うの。年末年始の会計年が変わる時に山葉ちゃんにここの経営を引き継いでもらえないかしら」

僕以外のアルバイトのメンバーは一斉に驚いた表情を浮かべる。

「細川さんまだ当分の間は行けますよ」

雅俊が慰留したが、細川さんはゆっくりと首を横に振って言う。

「惜しまれながら引退くらいがちょうどいいのよ。体が動かなくなって皆に迷惑をかけないうちに綺麗にピリオドを打つのが私の美学なの」

そんな言い方をされては、誰も引き留めることはできない。沈黙を破るようにクラリンが賞賛の表情で口を開いた。

「山葉さん若くしてカフェの経営者なんてすごい。」

「ウッチーは女性経営者のヒモの身分を手に入れるんだな」

「うるさいな、俺はヒモじゃないよ」

僕が雅俊の軽口に応酬している間に山葉さんが生真面目な表情で言った。

「まだ技術も経験も足りないと思いますが頑張ります。土地と建物の代金に足りないお金は何とか計画を立ててお支払いします」

皆が拍手をして食事を再開する中で、クラリンが口を開いた。

「そういえば沼ちゃんが来てへんな。山葉さんの襲名披露パーティーみたいになったから彼女もいればよかったのに」

僕たちは沼さんの同級生の木綿さんにそれとなく目線を向けたが、彼女は気まずそうに下を向いた。

「それが、沼ちゃんが何となく調子が悪いみたいなんです。今日も誘ったんですけど、今日は行けないというばかりで」

「どうしたん? 風邪でも引いたのかな」

クラリンの問いかけに木綿さんは、言おうかどうか迷った様子の後でゆっくりと話し始めた。

「それが、彼女は何だかメン樽ヘルスの調子が悪い感じなんです。」

「ええ? どうして? 」

クラリンが驚いて問い返し、僕も日ごろの元気な沼さんの様子からメンタルヘルス系の調子が悪いとは到底信じられない思いで木綿さんの顔を見る。

「アリエンティなんですけど、人目につかないような場所で、誰もいない方向に向かって、会話をするみたいに喋っていることがあるのです」

僕は山葉さんと顔を見合わせた。沼さんは霊視能力があるので霊の類に取りつかれているのではないかと同時に思い当たったのだ。

「そんなことならなぜもっと早く話してくれないのだ?」

「まじめんごです。沼ちゃんの様子が普通でないから人に話していいのか迷っていたのです。」

木綿さんは緊張したのか、ギャル語を丁寧表現にして使ってしまっているが、僕たちはそんなことに頓着していられなかった。

「心配だな。ウッチーが大学に行ったときにそれとなく様子を見てくれないか。」

山葉さんが心配そうに言い、僕は腕組みをしながらうなずいた。

翌日、僕は大学に行き午前の講義が終わってから、木綿さんとLINEのトークで連絡を取りながらキャンパスを歩いた。

同じ講義を取っている彼女が沼さんの場所を連絡し、僕がその場所にこっそり接近して彼女の様子を観察するつもりなのだ。

木綿さんの誘導に従って歩いていくと、僕はキャンパス内にある池のほとりに近づいた。

池のほとりにはベンチもいくつか置かれ、天気のいい日にはそこでランチを食べている学生も多い場所だ。

僕は池の周辺を見渡して、ベンチの一つに沼さんが座っていることに気が付いた。

そして、僕の目には彼女が座っているベンチにもう一人の人影が見える。見た感じでは同じ大学の男子学生で、沼さんはその人と楽しそうに談笑しているのだ。

沼さんの知り合いかなと思って、男子学生風の人影をよく見ると、彼の姿は妙に色褪せて見えた。

沼さんの姿が晩秋の日差しを浴びてクリアに見えているのに比べて、彼の姿はモノトーンに近いコントラストの弱いイメージとして見えている。

僕はその見え方に、既視感があった。

妙に色あせたイメージは昼でもなお姿を現す幽霊に共通する特徴なのだ。

僕がその霊の素性を調べようと意を決して沼さんが座るベンチに近づこうとした時、背後からささやき声が響いた。

「ウッチー先輩、沼ちゃんの様子をどう思いますか?」

木綿さんには霊感がないので、沼さんが一人で虚空に向かって話しかけているように見えるはずで、むしろその方が鬼気迫って見えるに違いない。

「彼女の隣に大学生くらいの男の霊が見える。彼女はそいつと話しているんだ」

木綿さんは口を押えて立ちすくんだ。

「ウッチー先輩そいつを秒でやっつけてくださいよ。私、そいつが沼ちゃんに憑りついたせいでずっとメンブレで、このままだとマジ病みなんですけど」

後輩の必死の訴えに答えないわけにはいかない。僕の力で浄霊まではできなくても、少しの間霊を排除して、沼さんを山葉さんのところまで連れて行こうと僕は足を進めた。

しかし、沼さんに接近してそろそろ声をかけようかと思った瞬間に、男の霊が僕に振り返った。

瞬きをしない、光のない目がじっと僕を見つめる。

僕が気をのまれて立ちすくんでいると、男の様子に気が付いた沼さんも振り返った。

「あ、ウッチー先輩に木綿ちゃん久しぶりね。今ね、彼と木綿ちゃんの話をしていたのよ」

沼さんは明るい表情で話し、僕は男の方に目を戻そうとして愕然とする。

男の霊は、忽然と消え失せていたのだ。

「沼さん、今誰と一緒にいたのか話してくれないかな」

僕が尋ねると彼女は、平然とした様子で答える。

「紹介しますよ、法学部の3回生の勇作さんです」

彼女は手で示そうとして男の姿がないことに気が付く。

「あれ、今まで一緒に話をしていたのにどこに行ったのかな?」

沼さんはきょとんとした表情で周囲を見回した。

僕の後ろにいた木綿さんは一部始終を見届けると、沼さんに駆け寄って後ろから抱き着いた。

「沼ちゃん、駄目よ。そんな人は何処にもいないの。もう二度と会ったり親しくしたら駄目。」

木綿さんは目にいっぱい涙を浮かべて沼さんに語り掛けるが、沼さん自身はなぜそんなことを言われるのかわからない様子だ。

「何言っているのよ。今度彼もカフェ青葉のアルバイトを一緒にしないかって誘おうかと思っているのよ。クラリンさんと雅俊さんみたいに仲良くするのが理想かな。木綿ちゃんなんだかおかしいよ」

僕は彼女になんと言ったらいいのかわからなくて、しばらくの間無言で立っていた。

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