第161話 判明した素性

沼さんに現実を理解させるためには、幽霊の素性を突き止める必要があった。

僕と木綿さんは翌日、法学部所属で名前が勇作という手掛かりをもとに、幽霊の素性を探ってみることにしたが、もちろん沼さんとは別行動だ。

僕は昼休みにキャンパスで木綿さんと落ち合った僕は、まずは大学の教務部で情報が得られないものかと思い歩き始めた。

「昨日の幽霊だけどせめてフルネームがわかれば探しやすいのにね」

僕がつぶやくと、木綿さんは並んで歩きながらスマホを操作し始めた。

どうやらLIMEのトークで沼さんに尋ねるつもりのようだ。

スマホの画面をのぞくと、彼女はほんのわずかな時間しか操作していないのに、画面には「ちょりーっす。マジ卍」と文章のヘッダの部分が入力されている。

木綿さんがトークを送信して数十秒後には、彼女のスマホから着信音が聞こえた。沼さんが返信を返したのだ。

「苗字は三谷さんみたいですよ」

木綿さんは、ドヤ顔で報告する。

「わかった、ありがとう」

僕はフルネームがわかったことで、少し自信がつき、教務部の事務所に乗り込んだ。しかし、数分後には自分の甘さを痛感することになった。

僕の考えとは違い、特定の誰かが在籍していたことを確認しようとしても、本人以外は照会に応じられないというのだ。

「フルネームがわかっているので、その人が法学部に在籍していた事と、現在の状況だけわかればいいのですが」

「ですから、第3者の場合はご本人からの委任状がないと在籍確認はできないので。卒業生の場合でも同様ですし、本人が亡くなられている場合に在籍証明等を取るなら、遺族の方の委任状が必要です」

教務部事務所の女性は丁寧だがクールな口調で僕に説明する。個人情報の保護が厳格になっているため、特定の人物がかつて在籍していたかどうかも、むやみに開示できないらしい。

僕はあきらめて事務員に礼を言うと教務部の事務所を出た。

「ウッチー先輩、今は情報公開条例とかあるから個人情報は簡単には取れないんですよ」

僕は一見、社会常識に乏しそうな木綿さんに指摘されて、次第に気分が落ちこんできた。

「オフィシャルな情報にアクセスできないとしたらどうやったら彼の素性を探ることができるだろう」

泣き言に近い僕のつぶやきを聞いた木綿さんは、再び自分のスマホを取り出した。

「ウッチー先輩、学生生活で学業と並んで大きなウエイトを占めるのは部活やサークル活動ですよ。沼ちゃんに彼がサークル活動をしていなかったか尋ねてみましょう」

彼女の手はすでに動いてLIMEのトークを打ち込んでいたようだ。しばらくするとピローンと彼女のスマホの着信音が鳴った。

「ウッチー先輩、手掛かりがありましたよ。沼ちゃんが彼が入っていたサークル名を聞いていました」

木綿さんは嬉しそうに僕に報告する。

「どんなサークル活動をしていたのかな」

「アウトドア活動が主体の冒険サークルだそうです。サークル名がコロボックルです」

木綿さんのおかげで調査は一歩進んだかのように見えたが、僕は自分の大学には星の数ほどのサークルがあることを思い出した。

新入生が入る頃の部員獲得競争の激しさは体育会に始まって、公認されていない仲良しグループのような集団まで苛烈を極めている。

「サークル名がわかっても、あれだけたくさんのサークルがあると探し出すのは大変だな」

僕がぼやくと、木綿さんはいらいらしたような表情を浮かべた。

「登録サークルだったら学生会館に行けば調べてもらえるはずですよ。しっかりしてくださいよ先輩」

学生会館とはキャンパスのはずれにあるサークルの部室やカフェテリアを中心とした学生の福利厚生用の施設だ。

僕はサークル活動にあまり首を突っ込まなかったので不幸にしてその実態をよく知らない。

「木綿さん一回生なのに詳しいんだね」

「先輩、学生会館ってアルバイト先の斡旋もしているし学生生活の基本ですよ。私がカフェ青葉のアルバイトを知ったのもあそこに募集の告知が出ていたからです」

そういえば、クラリンがそんなことを言っていたような気がする。僕は自分の無知を恥じて消えてしまいたいような気分になった。

しかし、木綿さんは些末なことにはこだわらない性格だった。彼女は僕を引っ張るようにして先に立って歩き始める。

学生会館に着くと、僕はその大きな建物を見上げた。

学生会館は10階以上のフロア数を持つイーストタワーとウエストタワーの二棟の建築物で構成され、ちょっとした分譲マンションほどの大きさだ。

ウエストタワーの一階にある事務局を訪ねて、木綿さんはあっさり尋ねた。

「すいません、知り合いに紹介されたサークルの部室を探しているんですけど」

窓口にいた職員は穏やかな表情で応対する。

「サークル名はわかりますか?」

「アウトドアサークルのコロボックルというのですが」

職員は手元のラップトップで、リストを検索しているようだったが、すぐに顔を上げた。

「登録サークルですね。イーストタワーの11階に部室がありますからそちらに行ってください」

「ありがとうございます」

木綿さんは得意げな表情で僕に振り返り、僕のメンタルはますます落ち込んだ。

早速部室を訪ねたかったが、昼休みにサークルの部室にいっても人がいない可能性が高い。

僕は木綿さんと後の講義が終わってから、改めて部室を訪問することにした。

夕方になり、秋の日が暮れ始めたころ、僕と木綿さんは学生会館のイーストタワーを訪れた。

最上階に当たる11階までエレベーターで昇ると、エレベーターホールから奥に続く廊下の周りにはずらりと部室のドアが続いている。

僕たちは、木綿さんが学生会館で聞いてきた部屋を探し当てると、ドアをノックした。

「返事がありませんね」

木綿さんがつぶやき、僕はドアノブをガチャガチャと回した。

ドアはカードキーで開けるタイプで明らかに施錠されている。

僕があきらめて引き上げようかと思った頃に背後から声が響いた。

「うちの部室に何か用ですか」

僕たちが振り返ると、そこにはキャンパスによくいる男子学生風の男性が立っている。

「すいません。こちらのサークルのことで少し教えてほしいことがあるのですが」

「入部希望ですか?とりあえず中に入ってください。僕は部長の鬼塚と言います」

鬼塚さんは自分の学生証を取り出して、カードキーのようにドアのリーダーを通すと、ドアはカチャリと開いた。

「これ、学生証で開くようになっているのですか?」

僕が尋ねると、鬼塚さんは気さくな雰囲気で僕たちを招き入れながら答える。

「部員として登録されている人の学生証を認識して開くんです。これだけいろいろなサークルがあると勝手に出入りできたらいろいろなトラブルが起きますからね」

部屋の中央には長テーブル二つをくっつけてその周りにを取り囲むようにたくさんの折り畳み椅子が並べられていた。

いかにも、ミーティングとかしていそうな雰囲気で、部屋の奥の方にはソファーやテレビ、そして冷蔵庫や本棚も並んでいる。

「それで、教えてほしいことというのは何ですか」

僕たちは鬼塚さんに勧められて、彼とテーブルをはさんで向かい合うように座ると、おもむろに説明を始めた。

ただし、幽霊の素性を調べていると話すと正気を疑われるのが落ちなので、内容は少し脚色した。

「実は知り合いに頼まれて、三谷勇作さんの足取りを調べているのです。このサークルに所属されていたと聞いているのですが、ご存じないですか?」

鬼塚さんは首をかしげていたが、部室の奥にある本棚からノートとラップトップパソコンを持ってくると、パソコンを起動しながらノートもめくって調べ始めた。

「その名前、聞いたことありますよ。僕たちのかなり以前の先輩にあたる人ですけどね。いつ頃大学に在籍していたかわかりませんか」

「あ、それが私たちにもよくわからないんです」

木綿さんの答えを聞いて鬼塚さんはちらと僕たちの顔を見て怪訝な表情を浮かべたが、すぐに起動したラップトップパソコンに目を戻した。

「5年前の名簿にはその名前があります。当時4回生だったみたいですが在学中に行方不明になったらしいですね。僕たちもちょっとした伝説みたいな感じで聞いたことがあります」

どうやら、現実との接点が見つかったようだ。僕は重ねて尋ねてみた。

「その三谷さんは交通事故死したとか、病気で亡くなったわけではないのですか」

鬼塚さんは今度はジロリと僕の顔を見て言った。

「違いますよ。ただ居なくなっただけのようです」

鬼塚さんは一度言葉を切ってから僕たちに質問を返した。

「あなた達は三谷さんとどういうご関係なんですか。身内の方なら失踪した前後の理由とか知っているはずでしょう」

彼の問いに僕は答えに窮した。幽霊話を抜きにすると、何故僕たちが三谷さんの事を尋ねているかを彼との関係性を明確にして説明するのが難しい。

最初に言った、知り合いに頼まれた話にするには、僕たちが当然知っているべき情報をあまりにも知らないから不自然なのだ。

「実は私の友達が三谷さんの幽霊を見たと言っているのです。このサークル名は友達が三谷さんに教えてもらったんです」

木綿さんが本当のことを話し始めたので僕は慌てて鬼塚さんの顔を見た。

僕は、彼がふざけた話だと感じて怒り出すのではないかと思ったのだ。しかし、鬼塚さんは最初見た時少し赤ら顔に見えた顔色が紙のように白くなっていた。

「その話、本当なんですか」

僕と木綿さんは無言でうなずく。

「僕の先輩が、三谷さんと面識があったはずです。ちょっと話を聞いてみますから待っていてください」

鬼塚さんは自分のスマホを取り出すと、部室の隅に行って通話し始めた。

鬼塚さんが通話したのは時間にして5分ほど、僕たちの前に戻って来た時彼の顔はさらに青ざめて見えた。

「僕が1回生の時に部長をしていた井田さんという方に聞いてみました。三谷さんは卒業に必要な単位数の計算を間違えて、希望していた会社に内定をもらっていたのに卒業できないことが判明して、その翌日から姿を消したらしいんです」

木綿さんと僕は顔を見合わせた。

「もしかして、あの池に身を投げて遺体が上がらないままだったとか」

木綿さんは思考がそのまま口に出てしまうところがある。

僕はあわてて僕は慌てて人差し指を口の前に当てて見せ、彼女を黙らせようとしていた。

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