第156話 幽霊の正体

高中さんはスムーズな運転で環状7号線から目黒通り経由で第3京浜に乗った。

渋滞もなかったため、僕たちは40分ほどで横浜に着き、桜木町界隈から西に向かった。

「問題の物件は京浜急行線の最寄り駅から徒歩3分、便利なところでしょう」

目的地近くに来ると後藤さんは自慢気に言う。

「問題は駅からの直線ルートは階段になるところですかね」

運転席の高中さんがぼそっとつぶやくと、後藤さんはキッと高中さんをにらんだ。

「余計なことは言わなくてもいいんだよ」

高中さんは、車を止めると、社長の剣幕に頓着しない雰囲気で告げる。

「この辺が田中の家から一番近い地点です。僕はここで待機していましょうか」

後藤さんは周囲を見回して彼の言った事に気が付いたようだ。

「ああそうだな、そう時間はかからないと思うからこの辺りにいてくれ、近所の邪魔になるようならどこかに移動していいよ。そのときは電話を入れて」

「はいわかりました」

後藤さんと高中さんのやり取りを聞きながら、僕たちは車を降りた。

高中さんが言っていた通りで、その住宅地は斜面に造成されているため、斜面方向に移動する場合は通路が階段になっている箇所がある。

「斜面の住宅地ってこういうところが不便ですよね」

僕が階段を下りながらつぶやくと山葉さんが答えた。

「でも、日当たりが良かったり、見晴らしがよいという利点もあるから善し悪しだよ」

彼女の言葉に後藤さんはウンウンんとうなずいている。

車を降りてから50メートルほど歩いたところで、僕たちに駆け寄ってくる人がいた。

「社長、遅いですよ。私をこんな場所で一人で待たさないでください」

「何だ、田中君は先に家に入って待っていてくれれば良かったのに」

後藤さんがこともなげに言うと彼女は、情けない声で訴えた。

「何を言うんですか、私は怖くて友達の家に避難しているんですよ。早くこの家の幽霊を退治してください」

「わかっている。今日は江田島団地の事件を解決してくれた陰陽師の先生を連れてきたから大丈夫だよ」

後藤さんが山葉さんの方を手で示すと、彼女は山葉さんに駆け寄って両手を掴んだ。

「私、ゴトー不動産の社員の田中と申します。この家の幽霊を何とかしてください」

「ええ、そのために来たんですから頑張ります」

山葉さんは苦笑気味に答えた。

僕たちは田中さんの案内で室内に入ると、1階のフロアを見て回る。

「この家は1階が12畳のLDKと和室。2階に6畳の部屋が3部屋がある作りです。田中が不審な音を聞いたり、気分が悪くなるのはリビングにいる時のようなのでそちらを中心に見てください」

後藤さんの案内で、僕たちはリビグルームを中心に見て回ったが、特に不審な点は見つからなかった。

「後藤さん、不審死した方が発見されたのはどのお部屋だったのですか」

霊的な気配はあまり感じられないので僕は後藤さんに尋ねる。

「そこの、田中が置いているソファーの前の床の上で発見されたそうです」

「ちょ、ちょっと社長、そんなこと私は全然聞いていませんでしたよ」

田中さんが後藤さんに食って掛かるが、後藤さんはのんびりした雰囲気で言葉を返す。

「聞かない方がいいこともあるんだよ。それに今回は床も張り替えて神社のご祈祷もしていたから、あとは君が住んで安全を確認するだけだったんだ」

「ふむ、後藤さんの考え方は間違ってはいないと思うが、妙な気配を感じなくもない」

僕は彼女がいざなぎ流の祈祷を始めるのかと思って、祭具を部屋の中央におろしたが、彼女はリビングの隅に立てかけてあったモップを手に取った。

「どんな気配がするのですか」

田中さんが、恐る恐る山葉さんに聞くが、山葉さんはモップの部分を手近かに持つと、刀を構えるようにモップの柄を構えて目を閉じている。

その姿はまるで剣道の達人が、目を閉じて相手の気を読もうとしているようだ。

次の瞬間、山葉さんは一歩踏み出すと、気合を込めてモップの柄を突き上げていた。

「そこだ」

ドンッ。

モップの柄は大きな音を立てて天井板をつく形になり、それと同時にトントンと軽い足音が天井から響き、続いてガリガリと引っ掻くような音が壁の中から聞こえた。

「後藤さん、カーテンを開けて。何かが逃げ出そうとしている」

後藤さんが慌ててリビングのカーテンを開けると、部屋から洩れる明かりで庭の情景が浮かび上がった。芝生の隅に花壇をしつらえた洋風の庭は塀の代わりに垣根で囲われている。

その庭の中を柴犬ぐらいの大きさの動物が目にもとまらぬ速さで駆け抜けていくのが見えた。

「今のやつが天井裏に住み着いていたのだ」

山葉さんはモップを元の場所に戻しながらつぶやいた。

「何、何だったの今のやつ。妖怪?」

「いや、ただのタヌキじゃないかな」

後藤さんと田中さんが口々に話す横で、山葉さんは腕組みをして考えていたがやがて口を開いた。

「今のはアライグマです。専門で退治してくれる業者がいるはずだから依頼してみてはどうですか」

後藤さんは驚いたように顔を上げた。

「アライグマだったんですか。私が子供のころにアライグマを主役にしたアニメが流行っていたのを覚えていますよ」

僕はどこかでその話を聞いたことがあった。

「確かその時期にペットとしてアライグマの輸入が急増したものの、飼育ができなくなった人が日本の野山にアライグマを捨ててしまったので、日本国内でアライグマが繁殖して問題になっているというのを聞いたことがありますよ」

後藤さんは、自分のスマホを取り出す。

「横浜市内で害獣退治を請け負っている業者を知っているから連絡してみます。」

後藤さんが電話している横で、田中さんは腑に落ちないような顔をする。

「それじゃあ、私が時々嫌なにおいや刺激を感じて気分が悪くなっていたのもアライグマに関連があったのでしょうか」

「アライグマが天井裏にトイレを作っていたのかもしれませんね。私もアライグマは初めて見たが、四国の実家の納屋にタヌキが入り込んで、大量の糞をしていた記憶がある。ほら、天井の隅にシミができているのが怪しいのではないかな」

山葉さんが示すあたりを、田中さんは呆然と見ていたが、気を取り直したように廊下の方に駆けだした。

「私はちょっと脚立を持ってきます。点検口から天井裏を覗いてみないと」

山葉さんは僕の顔を見ると、苦笑して見せた。

「どうやら、浄霊の必要はなさそうだね」

「アライグマ退治で済めばそれに越したことはないですよ」

僕は幽霊に遭遇せずに済みそうなので、今の状況が極めて好ましかった。

後藤さんは害獣退治業者と連絡が取れたらしく、落ち着いた表情で僕たちに告げる。

「横浜市内の害獣退治業者と連絡が取れました。高中が案内してもうすぐここに到着するはずです」

彼は既に問題は解決したと思っているようで、山葉さんの前に行くと礼を言い始めた。

「今回もあなたのおかげで原因が究明されたようですね。なんとお礼を言ったらいいかわかりません」

「アライグマに気付いたのはたまたまですよ。それに浄霊を行ったわけでもないから、今回は謝礼をもらうわけにもいきませんね」

彼女は謙遜して見せたが、後藤さんは大きく首を振った。

「いいえ、謝礼は約束通り支払います。あなたが事態を解決に導いたのは変わりませんからね。あなたはわが社にとって救いの神ですよ」

後藤さんは本気でそう思っているようで、目が潤んでいるくらいだった。

やがて、田中さんが脚立を持ってリビングに戻った。

間もなく、高中さんが案内して害獣退治業者も到着したので、天井裏の検分が行われることになった。

「社長、大変ですよ壁の断熱材が引き裂かれて細かいかけらが天井裏にいっぱいたまっています」

田中さんの声が天井裏から響き、業者の声がそれに続いた。

「こちらの隅に、アライグマの糞がだいぶたまっていますね。壁の断熱材や天井材も含めてリフォームに近い修繕が必要だと思いますよ」

後藤さんはそれを聞いてため息をついたが、傍らにいた高中さんと、もう一人の害獣退治業者に言った。

「大丈夫だよ、うちはリフォームが仕事だ。それよりも、二度とアライグマの被害を受けないように退治することはできますよね」

後藤さんはすぐに退治に取り掛かってほしそうだが、害獣退治業者は意外と即答しなかった。

「実はアライグマといえども捕獲には許可がいるのですよ。それと、こんな住宅密集地で捕獲しようとすると必ず近所の飼い猫が間違ってワナにかかるトラブルが起きるんです。さしあたってはアライグマの侵入ルートを完全にふさぐのがおすすめです」

後藤さんは何か言いたそうにしていたが、思い直した様子で害獣退治業者に告げた。

「わかりました。それが最善の方法ならば、そうしてください」

「それでは、私は外側から侵入経路を確認してきます。先ほどのお話だとおそらく通気口から床下に入り、壁伝いに天井に入っていると思われます」

害獣退治業者の男性は後藤さんに告げると玄関から庭に出て行った。

後藤さんは、僕と山葉さんに申し訳なさそうに言った。

「お二人を下北沢までお送りしますが、私も天井裏の状況を見ておく必要がありますのでもう少しだけお待ちいただけますか」

山葉さんは、笑顔を浮かべて問題ないから慌てなくていいと告げる。

後藤さんが脚立に昇って天井裏に潜り込もうとするのを高中さんが脚立を押さえて手伝っている。

僕も近寄って脚立に手を添えようとした時だった。

僕の足にバチンと電撃を受けたように強い衝撃が走った。

周囲にはまばゆい白い閃光が走り目がくらみそうだ。

目が慣れた時、周囲の様相に強い違和感があった。リビングの中を見回すと違和感の原因はすぐに判明した。

僕以外のすべての人が先ほどの瞬間のまま、動きを止めて凝固していたからだ。

脚立の上で上半身を点検口に突っ込んで、不安定な姿勢で立っている後藤さんや、それを見上げる山葉さんは静止画のように動かない。

遠くからバックグラウンドノイズとして響いていた街の喧騒さえも消えて、しんと静まり返った中、僕は自分の息遣いだけが響くのを感じた。

そして、全ての者が動きを止めているはずの時空間で、僕は自分の右足を誰かがつかんでいるような気がして、おそるおそる下に目を向けた。

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