第151話 ひまわり畑の記憶

山葉さんが祈祷を終えると小学生の子供たちは、部屋の中央に据えた「みてぐら」の前に集まり、しげしげとそれを眺めた。

「触ってはいけないよ。それに君たちの病気のもとを封じ込めて、人の手に触れない場所に埋めに行くのだからね」

山葉さんの言葉を聞くと子供たちは一斉に部屋の隅まで後退し、泉と呼ばれていた年かさの女の子は覚めた表情でその様子を眺めていた。

「私の病気の根源があるなら、一緒に封じこめて持っていってほしいものね」

看護師の女性は口を開きかけたが泉さんがそれ以上何も言わないので、小学生たちのフォローに回った。

「さあみんな、ご祈祷をしてくれた巫女さんにお礼を言いましょうね」

「巫女じゃなくて陰陽師なのよ」

小さな女の子が訂正し、看護師は苦笑しながら皆を集める。

「分室の壁新聞に使うから、記念撮影をしましょう」

美咲嬢が声をかけて、黒崎氏がカメラを構える前で皆が山葉さんを囲んで笑顔を浮かべた。

撮影が終わると、子供たちは病室に引き上げていき、僕たちは分室に残された。

山葉さんが言った通りに、「みてぐら」は式神と共に、人気のない場所で土中に埋めるしきたりだ。

僕と山葉さんが、梱包作業を行っていると、一人で残っていた泉さんが近寄ってきた。

「ねえ、あなた達は霊感があるというのは本当なの? 人は死んでも霊としてその存在の一部は残るものなの? 」

先ほどまでのシニカルな態度とは一転して彼女は真剣な表情で僕たちに尋ねる。

「霊と言われるものは見たことがあるよ。それは、亡くなった人の生前の姿をしている場合もあるし、そうでない場合もある。本当に死んだ人の霊魂を見ているかどうかは自信がないな」

ぼくが、思ったままのことを告げると、彼女は怪訝そうな表情を浮かべた。

「何よそれ、宗教の人ならもっと自信満々に自分の信じている教義を説明して、死んでも必ず天国に行けるから大丈夫だとか言うと思っていたのに」

僕は、失敗したのかなと思って美咲嬢の表情を伺うが、彼女は穏やかな微笑を浮かべてうなずいている。

「私も彼も死んだことはないから、本当に死後の世界があるかは知らない。でも、その存在を示唆するものは目にしたことがあるから、人の死後に意識のエッセンスのようなものは残るのかもしれないね」

山葉さんがのんびりとした口調で告げると、泉さんは笑顔を浮かべた。

「やっぱりあなた達おかしいわよ。何で『かもしれないね』みたいな頼りないことしか言わないのかな」

「それは、その人たちが本当に思っていることを言っているからですわ。二人とも自分の考え方を人に押し付けようなどとは思っていないから本音のトークですのよ」

美咲嬢が話すと、泉さんはゆっくりとうなずいた。

その時、僕は彼女の鼻の下に透明なチューブがある事に気が付いた。そのチューブは、彼女がキャスターバッグのように引っ張っている車輪付きのキャリーケースに収納された黒いボンベから延びている。

「私は死ねば何もかも無に帰るだけだと思って虚無的になっていたので、先生がいろいろな宗教の人を呼んでくれたけど、こんなにやる気がない人たちは初めてだわ」

山葉さんは眉毛を下げて困惑した表情で僕を見る。僕にしても彼女と同じ表情に違いない。

「でも、やる気がないのが逆に信ぴょう性を高めているみたいね。私はもしかしたら死後の世界が存在するのかもしれないという気がしてきた。ありがとう」

僕はお礼を言われても、どう返していいのかわからない。どう答えようかと迷っているうちに、彼女は話題を変えた。

「ねえ、美咲先生。私は先生に言われたとおり、夏休みの宿題を全部やったのよ。約束通りヒマワリが沢山咲いているところに連れて行ってよ」

「あら、本当に全部やってしまわれたのかしら」

「分室の藤本先生に聞いたらわかるわよ。もう全部やってあるから新学期の授業が始まるまでやることがないくらい」

自慢気に言う泉さんを見て美咲嬢は傍らにいた黒崎氏に何か耳打ちした。

黒崎氏は少し慌てた様子でスマホをのぞき込んでいたが、お目当ての情報を見つけたらしく、スマホの画面を美咲嬢に見せながら何かささやく。

美咲嬢はうなずくと、泉さんに告げた。

「よろしいですわ。9月のはじめまでオープンしている観光ヒマワリ畑があるようですから、あなたの外出許可が取れるなら今度の週末にご招待しますわ」

「本当? 外出できるか看護師さんに聞いてくるから待ってて」

泉さんはガラガラとキャスターの突いた黒いボンベを引っぱって小走りに部屋から出て行った。

「彼女はどこが悪いんですか」

僕は美咲嬢に尋ねた。あまり気乗りしなかったが聞かずにはいられなかったのだ。

「彼女の病気は肺の機能が次第に失われていく遺伝性の疾患です。ごく最近、指定難病として認定された病気ですわ」

美咲嬢は平板な口調で答える。

「治療法はないのか? 」

山葉さんが尋ねると、美咲嬢は彼女には珍しく暗い表情をして目を伏せた。

「症例自体が非常に少ない病気なので、治療方法は確立されていません。現状では症状が進んだら肺を移植するしか助かる方法がありませんの」

僕は部屋の隅にたたずんでいる黒い影に目を移した。どうやらこの部屋の黒い影は泉さんを「お迎え」に来ているようだ。

僕は、少し投げやりな雰囲気もあるが、あどけない表情の彼女を思い出して胸が痛む。

「私たちを呼んだのは彼女のためだったのか」

「いいえ、当初の目的はあなたに質問していた京香ちゃんを元気づけるためです。そして二番目に期待していたのが、泉ちゃんに来世的な思想を信じてもらうことですわ。いずれもある程度の目的は達しました」

僕たちは彼女の期待通りの役目を果たしたと言っているようだ。

その時、ボンベを乗せたカートを引っぱって泉さんが戻ってきた。

「美咲先生、外出は多分大丈夫みたい。ドクターがいないと正式な許可は出ないけど私の場合は大丈夫だろうって言ってた」

「わかりました。明日お家の方にも連絡を取りますから、詳しい時間はその時に決めますわ。土曜日あたりにお出かけすると思ってくださいませ」

泉さんは歓声を上げながら僕たちに会釈し、再び部屋から出て行った。

「みてぐら」の梱包を終えた僕たちは、黒崎氏が運転するミニバンで病院を後にした。

山葉さんは車の窓から病院の建物を眺めながら、尋ねた。

「泉さんの病状は良くないのか」

「ええ、彼女の病気は人によって進む速さが違いますの。人によっては長い年月にゆっくり進行するケースもあるようですが、彼女の場合は年齢が若いうちに発症して極めて進行が速いのですわ」

僕は彼女が引っ張って移動していたボンベを思い出した。

「彼女が引っ張っていたボンベは酸素ボンベなのですか」

「そうですの。肺機能がかなり低下しているので日常生活で息切れ等の症状が出るため、酸素ボンベを携行しているのですわ」

ミニバンの助手席にいる美咲嬢の表情はうかがえなかったが、その声には沈痛な響きがある。車から外を見る姿勢のままで山葉さんは口を開いた。

「彼女が虚無的になっていたというのは、自分の死が近いことを知っているからなのか? 」

「ええ、今どきの日本人は信仰らしきものを持たない人も多いから、自分の死という事象を客観的に見つめると、精神の平衡を乱す人も少なくありませんわ。彼女は若くしてそのことに直面してしまったのです。死んだらどこかに生まれ変わると無邪気に受け入れられるタイプならよかったのですけど」

山葉さんはため息をつくと正面に顔を向けた。

「週末にヒマワリ畑にお出かけするとき、私たちも同行していいかな。」

「あら、もちろん構いませんわよ。私でもさすがにそれは頼みづらかったのに、同行を申し出てくれるなど助かりますわ」

美咲嬢が心なしか明るい声で答える。

「いや、たまには広々としたところでヒマワリの花を見てみたいと思っただけだよ」

山葉さんは僕に顔を向けると、営業用の笑顔で微笑んで見せた。

結局、9月の初めの週末に僕と山葉さんは美咲嬢たちとお出かけすることになった。

行先は茨木県の観光ヒマワリ園で筑波山を間近に臨むあたりにあるそうだ。

当日の朝、僕は新宿駅で待ち合わせして、黒崎氏が運転するミニバンに拾ってもらった。

山葉さんは先に合流しており、お出かけ用コーデをばっちり決めて乗車している。

「お店は大丈夫なのですか」

「今日はクラリンの予定が空いていたので、沼ちゃんと木綿ちゃんを加えた3人体制だから安心して任せられるよ」

僕が尋ねると山葉さんは笑顔で答える。

ミニバンを運転している黒崎氏は、最後に泉さんをピックアップするために、先日訪れた病院を目指した。

病院のエントランスに車を乗り入れた黒崎氏は、警備員と二言三言、言葉を交わすと病棟の正面玄関に車を回す。

土曜日で外来患者の受付をしていない病棟の玄関周辺は先日より閑散としていた。

閉鎖されているメインの出入り口の脇に小さなドアがあり、その横に看護師に付き添われた泉さんが立っていた。彼女は日帰りのお出かけには大きすぎるようなボストンバッグを肩にかけ、その横には黒く塗られた酸素ボンベのキャリアーも置いてある。

僕は車を降りると、黒崎氏が酸素ボンベをミニバンの荷物室に収納するのを手伝った。

「美咲先生ありがとう。私出かけるのは久しぶりなのよ。この前の陰陽師の人たちも一緒に来てくれるの?」

「ええ、あの二人は私のプライベートな知り合いでもあるので、ヒマワリを見るために一緒に行くことになりましたのよ」

美咲嬢と山葉さんは泉さんを車に乗せる手助けをしようとするが、彼女は手伝う必要もないようでさっさと車に乗り込んでいた。

「橋村さん、息切れすると思ったら無理はしないでその場で休まないとだめよ」

「はーい」

看護師さんの注意に素直に答えた彼女は窓越しに手を振って見せる。

黒崎氏は手近なゲートから首都高速に乗る。

「私の両親が離婚する前に、家族一緒で出かけた最後の場所がヒマワリ畑だったの。この夏の間に一度見に行きたいと思っていたのよね」

彼女の話はドキッとさせられる内容が多くて、僕は相槌が打ちづらい。

「ご両親はどうして離婚したの? 」

山葉さんが尋ねると、泉さんは高速道路の脇にあるビール会社の屋上のオブジェを見ながら答えた。

「私の病気が原因なの」

山葉さんはそれ以上詮索することをやめたようで、車の中には大排気量車の低いエンジン音だけが響いていた。

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