第146話 殺害方法の疑惑

ホテルのスイートルームでテーブルをはさんで談笑する山葉さんと奈々子さんに緊迫感はないように見えたが、話の切れ目で山葉さんはおもむろに問いかけた。

「小島さんが亡くなった時の状況を教えてくれませんか」

奈々子さんは一瞬眉をひそめたが、ゆっくりと話し始めた。

「その日は関係者が集まって問題のドラマのキャストの発表会が開かれたの。普通ならスタジオとか会議室を借りるけど、その日は脚本家の野田先生のお家を使ってすごく家庭的な雰囲気だったのを覚えているわ」

山葉さんは鋭い目つきで奈々子さんを見ながら重ねて尋ねる。

「小島さんが亡くなったのはドラマのキャストの発表の最中だったのですか」

「いいえ。野田先生の奥様が作ったカレーをみんなで食べてその後でキャストを居合わせたメンバーに示して、制作に向けて軽く打ち合わせする予定だったの。だけど、食事の最中に小島さんが苦しみ始めたの」

奈々子さんは落ち着いて答えており、今までに同じ質問に何度も答えているのかもしれないと僕は思う。

「その時の小島さんの様子を憶えていますか」

奈々子さんは上目遣いになってその時の様子を思い出そうとしているようだ。

「そうね。彼女は落ち着いた様子だったけど、食事中に顔が赤くなって胸を押さえて苦しみ始めたの。すぐに救急車が呼ばれて病院に運ばれたけど、心臓発作だったらしくて蘇生措置が間に合わなかったって」

奈々子さんが言葉を切ると山葉さんは首を傾げた。

「その料理はあらかじめ並べられていたのか、それとも皆の前に運んでこられたのかどちらですか」

「野田先生の奥様が運んでいたけど、大変そうだったので私が手伝ったわ」

山葉さんはため息をつきながら首を振る。

「それで奈々子さんが毒物混入が可能だった容疑者の一人にされたのですね。ちなみにそのカレーはおいしかったのですか」

「うん。野田先生の奥様は手料理が好きみたいで、お肉は筋肉を赤ワインで煮込んだのを使ったと言っていたし、カレールーにもチーズが加えてあるみたいですごく濃厚な味だったのを覚えているけど」

奈々子さんは容疑者扱いされていることに頓着しないない雰囲気で答えた。

結局、僕たちは奈々子さんから話を聞いたので引き上げることになった。

「奈々子さんが本人が記憶していないが、彼女が毒物を混入した可能性は考えられませんか」

僕は奈々子さんの部屋を出て、ホテルのロビーを歩いている時に山葉さんに尋ねる。

「ウッチーが遭遇したという彼女の伯母の霊が関与していると言いたいのか。確かに彼女の背後に何かいるような気がするが、身内の霊が本人を破滅に導くようなことをするとは考えにくいと思うよ」

山葉さんは僕に答えてから考え込んでいる。

「僕の知っている奈々子さんは演劇で人の上に立とうとするより、周囲の人間関係を大事にする人だったと思います。今の彼女の言動は彼女の本来のキャラクターとずれているような気がするんですよね」

僕は坂田警部が言っていた、本人とは違う人のような振る舞いというのがその辺と重なるような気がしていた。

「即断はできないな。明日は室井さんが私たちのところに来てくれることになっている。警察側が集めた情報を聞いてから判断しよう」

山葉さんは、いつになく慎重に言葉を選んでいた。

次の日、僕と山葉さんは坂田警部の部下である室井巡査と面談することになった。

日曜日の午後だが、カフェ青葉の仕事はクラリンがフォローに入った。

カフェ青葉に現れた室井さんはカウンター越しに僕たちに固い口調で告げる。

「この度は、坂田警部の婚約者の件に非公式とはいえ協力いただけるという事でありがとうございます」

「私たちも坂田警部と奈々子さんにできることをしてあげたいと思っています。」

山葉さんは、室井巡査に華やかな笑顔を向けてから、お店のバックヤードに通じる従業員専用の通用口を示した。

「込み入った話もあるともいますから、申し訳ないけど従業員用の食堂で話をしましょう」

室井さんは無言でうなずいた。

カフェ青葉のバックヤードにはコーヒー豆の焙煎機や厨房がある。

僕たちは厨房の一角にある従業員の食事用のテーブルに座った。

「昨夜、奈々子さんから事件当時の話を聞いたが、警察では小島さんに毒物の投与があったと確認しているのかな」

山葉さんは前置きもなしに話を切り出す。室井さんはその手の会話の進め方に慣れているのかすぐに話を合わせた。

「小島さんの検視の結果から毒物の投与は確認できませんでした。死亡する直前に食べたとみられる胃の内容物から薬物の反応はありませんでしたし、血液中からも致死性の薬物は検出されませんでした」

山葉さんは腕組みをして目を閉じた。

「それではなぜ、奈々子さんが重要参考人として聴取を受けなければならないのかな」

室井さんは唇をかんでうつむいた。

「実は小島さんには殺害予告の手紙が届いていたのです。当然、小島さんは警察にも相談していましたが、その矢先に不審死したのでどうしても他殺の疑いを捨てきれない」

室井さんは言いにくそうにつぶやく。僕は当然気になることを訪ねた

「殺害予告の内容はどんな内容だったのですか」

「小島さんにあてた殺害予告は、彼女が不正な手段でヒロインの座を手にしていようとしていることを知っている。今回のドラマ出演を見送らなかったら必ず命を奪うという内容だったそうです」

室井さんは観念したように目を閉じると話し始めた。おそらく部外者の僕たちに話してはいけない内容なのだろう。

「そして、動機を考えると彼女とテレビドラマのヒロインの座を争っていた奈々子さんが最も怪しいということですね」

僕は思わず考えを口にしていた。室井さんは顔を伏せたままで聞き取りにくい声で答える。

「動機と状況証拠が彼女に不利です。悪意のある捜査官に自白をするように誘導されたら、決定的な証拠がなくても犯人にされかねないのです」

「殺害予告があったにもかかわらず、十分なガードをしないままに被害者が不審な死に方をした。もしも他殺ならば所轄署としては何としても早期に犯人を逮捕して汚名を返上しなくてはならない」

山葉さんが、平板な口調で言葉を連ねると室井さんはゆっくりとうなずいた。

「でも、所轄署でも他殺だと断定しているわけではないのですよね。その証拠に奈々子さんの身柄を拘留しているわけではない」

ぼくが考えを告げると、室井さんは顔を上げた。

「小島さんには心臓病の持病があったようです。それから確認中ですが精神科の通院歴もあったみたいですが、いずれも突然倒れて死ぬような病状ではありません。現在所轄署では検視結果や彼女の身辺の調査を総合して死因を確かめることに全力を挙げているようです」

室井さんが話し終えると僕たちの間に沈黙が訪れた。所轄署が違うので室井さんが捜査に直接携わっているわけではなく、僕たちが関与できることは少ないように思えたからだ。

「私たちが現場となった、脚本家の野田先生のお宅を訪ねることはできるかな」

山葉さんが言うと、室井さんは肩をすくめる。

「一般人として私的に訪問することは可能ですよ。この件の所轄署の捜査班に私の警察学校の同期がいますが、同行するように頼んだら露骨に嫌がるでしょうね」

山葉さんは室井さんをまっすぐに見つめて言った。

「あなたの同僚に頼んで、私たちをプロファイリングの専門家とか適当な肩書で連れて行くように頼んでくれ」

「いえ、でも彼だけが捜査をしているわけではありませんし、専門家として同行させるなら上司の承認も得ないと無理ですよ」

室井さんは途方に暮れたように手を広げて見せる。

「いいや、おそらく彼らも手詰まりを感じているはずだ。室井さんなら同期のおまわりさんを説得できるはずだよ」

「彼は刑事です」

ほとんど命令するような雰囲気の山葉さんに室井さん大筋では反対できないようで、細かい部分を弱々しく訂正した。

室井さんが山葉さんと連絡方法を話している時に、厨房の入り口に沼さんが姿を現した。

僕は沼さんが厨房に用事があるのかと思って気に留めないでいたが、彼女はさりげなく近寄りながら室井さんの様子をうかがっている。

僕は彼女が十字架を片手に何かブツブツ言っているのを見てようやく気が付いた。

彼女は室井さんに何かが憑いていることに気づいて除霊しようとしているのだ。

彼女はキリスト教系の強力な除霊術を使うことができる。

「沼さんちょっと待て」

僕が大きな声を出したので山葉さんも事態に気が付いたようだった。

「沼ちゃんやめろ。闇雲にその技を使うな。」

僕たちが制止しようとするのも甲斐なく、沼さんは術を解き放っていた。

沼さんが普段首から下げている銀の十字架を片手に持って突き出すのと同時にまばゆい光が周囲を満たす。

次の瞬間、僕と山葉さんが目にしたのは気を失って厨房の床に伸びている沼さんと、キョトンとした表情で周囲を見回す室井さんの姿だった。

「沼ちゃん大丈夫か」

山葉さんが駆け寄って沼さんを抱き起すと、彼女はうっすらと目を開けた。

沼さんは山葉さんに抱えあげられたままで室井さんの方を見て、再びゆっくりと目を閉じる。

「どうにか追い払うことはできたようです。何か強い怨念を持った生霊が彼にくっついていたのです」

「生霊だって。いったい何者だったんだ」

山葉さんの問いかけに、沼さんはゆっくりと立ち上がりながら答えた。

「いてて、その人が捜査している事件の犯人が、少しでも捜査を遅らせようとする思いが生霊として捜査関係者に取りついているのでしょうね。術の大半がはじかれて私に戻ってしまいましたよ」

「大丈夫なのか。少し休んだ方がいいよ」

僕が気遣うと、沼さんは両手を上げて見せた。

「もう大丈夫、ちょっとしびれているだけです。以前にもこんな目に遭ったことはあります。それよりも、ウッチー先輩や山葉さんもその人がかかわっている事件に首を突っ込むなら気を付けた方がいいですよ」

沼さんは少し足を引きずりながら厨房を出て店に戻っていった。

「犯人の生霊っていったい何ですか」

室井さんは青ざめた顔で僕たちに問いかける。

「人を殺すほどの恨みを持った人間は無意識のうちに生霊を飛ばしているのだろうな。あなたは別に気にする必要はないよ」

山葉さんが説明しても、室井さんは納得するより更に青ざめたようだ。

無理もないな、と僕はひそかに思った。

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